第五〇話 グッドバイ、マナストリーム
砲が、火を吹く。
世界を破滅させるのに十分な数の砲弾が、吐き出される。砲弾は自力で飛行する機能をもたない。放物線を描き、まるでそのすべてで何か一つの像を象るように、アイアンリバーに対し、集まっていく。飛翔している間はただの物体に過ぎないが、砲弾が着弾し、毒がばら撒かれた時、世界は死ぬ。
コチョウはすぐに動いた。だが、すぐに砲弾は消さなかった。一旦何かの呪文を待機させたあとで、別の行動を、挟んだ。
アイアンリバーの障壁が消える。バタリング・ラムを形成していたフィールドも消え失せた。一方で、マーガレットフリート率いる大連合も、次弾を砲から放つことはできなかった。それどころか、デザートラインの設備、証明から空調に至るまですべての機能が、息の根を止められた。
「魔力流を止めたか」
すぐにハワードが気付く。彼はコチョウに声を掛けたつもりだったにだが、その時には、リリエラ達の傍には、コチョウの姿はなかった。
魔力流を停止させながら、飛んで来る砲弾の中心へと移動していたのだ。そのタイムラグを利用すれば、砲弾を十分に引き付けられる、そう確信していたようだった。
そして、待機していた呪文を発動させる。傍目にはアナイアレーションに似た効果を及ぼしたように見えて、その実、まったく異なる魔法だった。
魔神がもっていた死の力を、竜神がもっていた属性を乗せる力で包み、整える。魔法でありながら呪文ではない魔術で、コチョウはゴーファスが最後に見せた異空間に繋がるゲートを模倣した。だが、繋がるのは永遠に終わらない呪われた夜の世界ではない。コチョウが開いたのは、虚空へのゲートだった。
空気が歪む。大口の化け物が息を吸い込むように、周囲の空気がゲートに飲み込まれていく。そしてその中を飛翔する砲弾も、次々とゲートの中に消えていった。そのゲートはすべての砲弾を飲み込むまで閉じず、砂粒や地面に転がっていた屑、デザートラインの外に出ていた冒険者やパペットレイス達が身に着けていた小物の幾つかを巻き上げ、一緒に飲み込んだ。
砲弾が飲まれるたびに、ゲートが歪む。亀裂が生じるように、ひび割れ、空がはがれるように、何か虚空へのゲートとは別の物がうっすらと見え隠れした。
「あれか」
まだ薄い。コチョウは動かなかった。やはり、世界を破壊する程のエネルギーにあてられ、何かが起きようとしている。その正体はコチョウにも分からず、それだけに彼女はその現象に興奮を抑えられなかった。
地上では、次々と虚空に吸い込まれてゆく砲弾を見上げ、大連合側の兵も、アイアンリバー側の戦力も、互いの間の障壁が喪われたことも忘れて空を見上げていた。
「何のつもりなのかしら?」
空でコチョウの行動を見つめるリリエラが呟く。近づきすぎれば、シャリールの翼でも吸い込まれてしまうおそれがあって、彼女達がコチョウの行動に反応できたのは事実だったが、実際のところ、とれた行動というのは、なるべく距離をとって退避する、ということだけだった。それはハワードも同じだった。
おそらく、地上の争いの中心である、フェリーチェルやアンにも、コチョウの行動が理解できていないだろうことは、リリエラにも推測できた。
すべてのデザートラインが沈黙している。コチョウに魔力流を止められたのだ。彼女が魔力流を復活させない限り、デザートラインはもう二度と動かない。それは人々がこれまで続けてきた、コラプスドエニーで生き延びていく為の基盤を失ったのかもしれないということに他ならなかった。
「あの人は、魔力流を復活させる気がない。なんとなく、そんな気がするわ」
当然、おそろしいことだ。だが、いざリリエラがその推量を口にすると、意外な程、言葉は軽かった。
「だろうな」
ハワードも同意の言葉を吐いた。
「世界の為、というのとも、少し違うような気がします。あの方は、そんなことはもう、気にしていないでしょう。おそらく、何か、もっと別の目的を見つけたようにも見えます」
二人よりも少しだけコチョウのことに詳しいシャリールが、彼女の理解が及ぶ範囲を告げた。
そして。
マーガレットフリートの、王宮列車の中で、アンはその光景を、窓から眺めていた。戦の最中であれば常にシャッターが閉じられている筈の、今では名実ともにアンのものとなった宮殿で、アンはその光景を頼もしげに眺めていた。アンの視線からは、小さすぎるコチョウの姿を肉眼で捉えられる筈もなかったが、アンには、弾丸が消えるという不可解な現象が起きている場所の傍には、間違いなくコチョウがいると信じることができた。
「うむ。やりすぎれば何とかしてくれると言うたからの。やりすぎてやっただけじゃぞ?」
そう告げるアンの声がコチョウに届くことはない。だが、アンは自分が成そうとしたことが、成されたのだと、動かなくなった自分の列車の中で、確信していた。
「うむ。では、外に行くかの。最早これまで。アイアンリバーを落とすどころの騒ぎではなくなるじゃろうしの」
近くにいる者に声を掛ける。アンが告げた相手は、エリスだった。エリスはただ、
「は」
と、短く敬礼しただけで、意見は挟まずに、アンに従った。そして、アンは自分の部屋を出て行く。皆の前に出るには、極めて質素な服装をしていた。そして、死を覚悟している者の装束のように、彼女が身に着けた物は、くすみもなく白一色だった。
マーガレットフリートでそんな動きがあった一方で。
アイアンリバーの中央帝宮では、フェリーチェルは、アーケインスケープのメイジが映し出してくれた外の様子の映像を凝視したまま、どう始末をつけるべきなのか、まったく結論が見いだせないでいた。
「何を、してくれたの?」
コチョウが何かしでかしてくれたのだということは、フェリーチェルにも理解できている。ただ、その影響が絶大すぎて、現実がフェリーチェルには受け入れられなかったのだ。
まだコチョウが魔力流を止めた直後で、フェリーチェルの元には、デザートラインの、装置的な仕組みがすべて止まってしまっている報告は届いていない。彼女自身も、そこまで深刻な事態が引き起こされたのだということを、想定できていなかった。
大連合からの一斉砲撃は、タイミングが同時という訳でもなかった。その為、コチョウが虚空へとすべての砲弾を消し去り終えるまでに、一分以上は、虚空へ続くゲートは開かれていた。砲弾だけでなく、それ程重量のないものも巻き込まれていくのが見える。地上にいる人間を飲み込むまでの吸引力は発揮されていないようだが、おそらく接近すれば人でも飲み込むのだろうと、推測できた。
「確かに、世界の破滅は防がれるけど」
コチョウがそれだけの為に、こんな派手な行動を起こすような酔狂な正確でないことを、フェリーチェルは熟知している。
「だからって影響が大きすぎる」
部屋の明かりが消えたことから、デザートラインの仕組みに幾らかの影響が出ている程度の認識でしかないが、まったく何も問題が起きていない訳でないことまでは、フェリーチェルにも分かった。
「あなたね、本当に、何してくれてるの?」
そんな言葉しか、フェリーチェルは、出せないでいた。
そして、そんな呟きが、コチョウの耳に届くこともない。フェアリーは、ひとつ残らず飲み込まれていく砲弾と、その数が増える度にはっきりと目視できるようになっていくスパーク、それを生じさせている、虚空へのゲートとは別の何かを、じっと観察していた。
裂け目、で、合っているのだろう。その中はまったく見えず、どういった類の空間の裂け目なのかも分からなかった。まるで物体を拒絶しているかのような冷厳な斥力と、同時に、すべてを巻き込もうとするような強烈な引力を感じた。
「面白い」
もうすぐだ。まだ不安定だ。
コチョウは虚空へのゲートを維持しながら、すべての砲弾が虚空ですり潰され、純粋なエネルギーとして破裂していくまで待った。
そして、飛来する砲弾も残り少なくなってきた頃、亀裂はいよいよ現実的な現象となって確実に目視できる濃さを得た。
最後の十数発の砲弾は、コチョウが開いたゲートではなく、裂け目に吸い込まれていった。炸裂するのではなく、ただ静かに、波も生じぬ静のエネルギーに変換されて消えるのを、コチョウは見た。
そして、最後の一発が裂け目に飲み込まれると、裂け目はすぐに消えるのだろうと分かる程動揺し、不安定な状態に戻る。すぐに裂け目は閉じるのだと、コチョウにも分かった。
コチョウの行動に迷いはなかった。
砲弾を消滅させたその裂け目に、自ら飛び込んだのだ。コチョウの姿も一瞬で見えなくなり、肉眼で見えた者には、彼女も消滅したように見えたことだろう。
虚空へのゲートも、その瞬間に、消えた。