第四七話 バッドデイ
そして、光陰は矢の如く。
三〇日という日数が、流れた。
その間にマーガレットフリートが攻撃を仕掛けてくる予兆もなく、アイアンリバーの中では、焦らされているような重苦しさだけが充満していた。マーガレットフリートはアイアンリバーと争う意志を撤回はしていない。むしろ、武装列車を喪失したマグニフィセントを捨て駒のようにつかい、つけ入る隙を探るように工作は続けてきていた。
工作といえば聞こえはいいが、計画は杜撰で、そもそもマグニフィセントはアイアンリバー内に人員をこっそり送り込めるような手段を、持ち合わせてはいなかった。散発的に起きる工作は、それが実際効果を及ぼすような段階になる前に露呈し、スズネやエノハ、或いは数多いる冒険者達の手によって列車に近づく影はすぐに始末された。
そんな日々が続く中、アーケインスケープの若い魔術師の一人が、中央帝宮にいたフェリーチェルのもとに、ひとつの報せをもって駆け込んできた。
「マーガレットフリートが陥落しました!」
という、フェリーチェルが予測もしなかった報に、彼女はすぐに言葉を返すことができなかった。忍者の里はずっと返答せず、ゴーファスのアンデッド部隊も既にない。多くの情報収集源を失ったアイアンリバーは、アーケインスケープからもたらされる周辺情勢の報告が唯一の頼みの綱で、逆に言えば、こうしてアーケインスケープから報せが入らない限り、今となっては、周辺情勢がそんなことになっているということを、フェリーチェルが知ることはなかった。
「……え? どういうこと?」
数秒経って、ようやく驚きが声になる。悪いことに、この時、フェリーチェルの周囲には、カインも、エノハもいなかった。彼等は、マグニフィセントの、杜撰とはいえ無視はできない侵入を阻止し続ける為、常に最前線で備えていた。
「何が起きたの? 陥落させたのはどこ?」
「アイボリーローズと名乗る武装集団です。それが……保有列車数、二五編制だと……」
言っている本人も半信半疑の様子だった。若い魔術師は要領の得ない顔で、自分の報告の信憑性に疑問を持っている喋り方をした。
「え? 維持できない数じゃない? それ」
どう考えても、まず食糧と水が不足する。そういった人が生きていく為の糧を生産する車両の負担が大きすぎるのだ。また、もしそちらに比重を傾ければ、防衛力が疎かになる。他の武装集団に対応できなくなるばかりか、集団内の治安維持すらままならなくなるだろう。デザートラインの暮らしでは、それ程の大規模集団は、限界を超えているのだ。
「いや、実際本当のようです」
遅れて、アーケインスケープのリーダーであるレイモンドが現れた。彼も納得がいかない顔をしているあたり、どのようなカラクリがあるのか、想像もつかないでいるようだった。
「それで? マーガレットフリートの被害はどんな状況?」
フェリーチェルは頭を一旦冷静にして、聞いた。敵対している旅団とはいえ、住民に恨みはない。難民が出るようであれば、可能な限り助けたいという思いは浮かんだ。
「元老院が、全員、荒野に放り出されたようです。正規部隊の被害は相当のようですが、市民の被害は軽微だということです。物資が相当量奪われた以外は。奪われたのは上流階級が溜めこんだものばかりのようですね。下級市民の財産については興味がないようです」
ただの略奪集団ではないらしい。フェリーチェルもそう予想したが、レイモンドが告げた言葉に、再度の驚きを隠すことはできなかった。
「アイボリーローズの首魁は、当初はミス・メリルと名乗ったそうです。今は、名を改めて、アン・イライザ・マーガレット・スプリングウインドを名乗っています」
と。その言葉に、フェリーチェルは絶句した。アン女王がアイアンリバーを出たという報告は、フェリーチェルも聞いていた。そのこと自体には、別に驚きはない。てっきり帰ったものだと思っていたのだ。まさか、アンがマーガレットフリートに攻撃を仕掛け、制圧するとは。その必要性に、フェリーチェルには、まったく理解が及ばなかった。
「なんで?」
としか言いようがない。そもそも、あの女王に、それだけの武装集団を従えられる程の手段があるとは思えなかった。しかも、アンはマーガレットフリートの女王なのだ。自分で出奔してきただけで、追放された訳でもない。自分の国に、外部の戦力を用いて戦を仕掛ける女王が、どこにいる。
また一人、フェリーチェルの仕事場に、入ってくる影があった。中央帝宮お抱えの通信士だ。
「陛下、外部から通信です。陛下とお話されたいとのことですが、如何なさいますか」
その報せに、
「相手は、何処の誰?」
とだけ、フェリーチェルは聞き返した。
「アイボリーローズの、アン女王と名乗られました。発信元の車両も、マーガレットフリートの列車に間違いありません」
通信士の答えに、フェリーチェルは額を抑えた。出ない訳がない。応じない訳にはいかなかった。
「繋いで。話すよ」
眩暈がしそうな思いで、フェリーチェルが答える。もう何が何だか分からない心境だった。
すぐに通信が繋がる。驚いたことに、音声だけでなく、幻影像付きの通信魔術だ。アイアンリバー内では可能だが、外部からその通信がくることは、フェリーチェルも想定していなかった。
『ごきげんよう、女帝陛下』
執務机の向こう側に立った幻影のアンは、顔に細かい傷が幾つもできていて、やや挑発的な表情をするようになっていた。赤い衣服を纏い、白いマントを肩から垂らしている。随分印象が変わった、というのが、フェリーチェルが最初に感じたことだった。
「突然の通信に準備ができてなくて申し訳ありません。女王陛下。本日はどのようなご用件でしょうか」
フェリーチェルが、外交的な対応で、通信に応じる。以前会った時とは、対照的な空気だった。
『何、私がマーガレットフリートを制圧し、元老院を追い出したことは、陛下ももう知っておられるじゃろう。となれば、当然疑問になるじゃろうと思っての。マーガレットフリートから宣戦布告されておる件は、どうなるのか、と』
そんな風に、屈託なく喋るアンだが、背後に映る人影は外交をするつもりの通信にしては、あまりに物々しい。山賊や暴漢もかくやといった風体の男達が、行き来しているのが見えた。
『こちらもまだバタバタしておっての。単刀直入に結論からお話させてもらうぞ。戦は、続行する。これまでのようなねちねちした嫌がらせにもならん工作は終わりじゃ。三〇を超える武装列車を、私は手に入れたからの。全力をもって、いずれアイアンリバーをいただきにあがるぞ。覚悟して待っておれ。今日はそれだけじゃ。おっと、そうじゃ。映像付き通信を送った訳も話しておかんと駄目じゃったな。これは、ひとつのデモンストレーションというやつじゃ。お得意の高等魔術は、最早アイアンリバーだけのものではないということじゃよ。これは、その証明じゃ』
アンの傍にはハワードの姿は見えない。彼女の周りにいるのはむくつけき男達ばかりで、その状況にも、アンは何の違和感も持たず馴染んでいるようだった。
「それはどういう」
フェリーチェルが尋ねかけるのを遮るように、
「アレン、ベティー、ディック、アリシアの四人でしょうか?」
と、レイモンドが聞く。画像の中のアンはうっすらと、挑発的に笑みを浮かべた。
『うむ。その四人であれば、確かにこちらで身柄を預かっておるわ。安心せい。皆、こちらの中核としての権限を与え、それぞれ自由に研究できるスペースも与えておるよ。むしろ、私には彼等の知恵と知識、研究成果が必要じゃからのう。好待遇をしない理由もない』
「先日、アーケインスケープのメンバーのうち、その四人が姿を消しました。アーケインスケープのほとんどのメイジが陛下に協力し、アイアンリバーに貢献することを誓ってはいますが、やはり、内心では貢献よりも知識欲を満たすことを優先したいと考えるメイジがいなかった訳ではありません。彼等四人は表の顔では私の方針のもと、勝手な行動はせずに活動してくれましたが、本心では不満を抱えていたのだと思われます。ですが、無事と分かっただけで、ひとまずはほっとしました」
レイモンドがフェリーチェルに説明する。その話を聞いたフェリーチェルは、映像の中のアンを見つめながら、何を聞こうかと、思い悩んだ。多くを答えてはくれない気がしたのだ。
「随分と傷だらけですね。そこまでしながら、私達に敵対して、何を求めているのですか?」
という問いが、精一杯だった。
『アイアンリバーには可能性がある。私はそれが欲しいだけじゃ。世界が滅びる前にの』
アンは不敵に笑い、そして、一方的に、交信を断った。