第四四話 アイボリーローズ
略奪旅団がアンの支配下にはいることに、大きな混乱はなかった。それまでのボスであるボルゴが手下達に通信で宣言すると、旅団のメンバーは大人しく従ったからだ。中には不承不承従っているという者もいるのだろうが、表向きは、騒ぎを起こす者はいなかった。
コチョウが魔力流を戻し、列車も平常通りの走行にすぐに戻った。アンが乗っ取ったそのデザートラインの群れは、アンの意向により、それまでの略奪集団としての名を捨て、旅団名を改めた。
アイボリーローズ。アイアンリバーの農園列車内で、アンは本物の薔薇というものを見た。マーガレットフリート内では、図鑑でしか見ることができない花だった。
コチョウは集団の名前に興味を示さず、ただ、次に襲撃すべきデザートライン旅団の場所を、淡々とアンに伝えるだけだった。アンが従えたアイボリーローズは重武装の車両を揃えていたが、広域捜索や妨害等の装備には乏しく、今の状態では、コチョウのサポートなしに、遠距離から次の旅団を探し当て、無血制圧することはできなかった。
「フォートリオン。列車数は四編制だけだが、武装、装甲ともに揃っている。手頃な相手だ」
アイボリーローズの現在の勢力は、デザートライン五編制だ。コチョウがターゲットに推した相手も、規模からするとそれ程の差はなかった。
「また飛ばしてもらえるんじゃな?」
アンが手筈を聞く。彼女達が話しているのは、アン達がボルゴを制圧した、テーブルの間で、だが、テーブルの上にあるのは食事や酒ではなく、古びた地図だった。
「ああ。ドンパチやったんじゃ、意味がないだろ?」
コチョウが頷く。部屋の中には二人の他にハワード、エリス、ボルゴがいて、テーブルを囲んで立ち、地図を覗き込んでいる。コチョウだけが地図の上に、どっかと腰を下ろしていた。
「私が飛ばし、魔力流を抑制する。お前達はその間にボスを脅すなり説得するなりしろ」
襲撃の手筈は、アイボリーローズとなった略奪旅団を手に入れた時と大きくは変わらない。車両を無傷で手に入れたいことから、デザートライン同士の戦闘にする気はなかった。その意見は、コチョウから口喧しく注意するまでもなく、アンも同意した。
「連中は探知性能と妨害性能に優れた装備を揃えている。私もお役御免になれるって訳だ」
と、コチョウはせいせいするように笑った。実際その通りなのだから弁解の必要もない。どの道、コチョウが後ろで睨みを利かせているから、手下共がアンに従うのでは意味がない、という問題が顕在化する前に、コチョウはアン達自身の実力で戦力を集めろと放り出すつもりでいた。
「え、俺達を配下において即日ですかい?」
その展開の速さについていけないのは、アン達が何を目指しているのかまだ知らないボルゴだ。彼はこれまで多くの“村”を襲い、その多くの襲撃で勝利してきた。ボルゴの下で従っている者達はその成果に満足していたし、彼の計画に従っていればあがりが得られると思えばこそ、反逆行為に走ることもなかった。だから、ボルゴからすれば、自分達だけでは力不足だとアン達に言われているのも同然に感じられ、プライドも傷ついたし、疑問も抱いた。
「お嬢達はそんなに急いでデザートラインを制圧しまくって、何をしようってんです?」
と、聞きたくもなった。何か危険な企みに巻き込まれているのではないかという不安もあったのだ。
「おお、それを話してなかったのう。私はマーガレットフリートを制圧するつもりじゃ」
アンの答えは、ボルゴには、案の定危ない橋だ、と理解させるのに十分だった。マーガレットフリートは伝統を秩序の拠り所として、末端まで統制を行き届かせている、一枚岩の砦のようなものだ。加えて、マグニフィセントという手段を選ばない戦力だけでも、一介の略奪旅団が相手として敬遠する理由に十分だった。ボルゴも、狙おうと思ったことさえ、一度もない。
「おぬしも、マーガレットフリートがアイアンリバーに宣戦布告したことは知っておるじゃろう。じゃが、今戦って、マーガレットフリートがアイアンリバーに勝てるはずがないことも、理解できよう? マーガレットフリートに勝ち目がないことは、誰の目にも明らかじゃ。じゃからのう、私はその直接対決までにマーガレットフリートの元老院を倒し、マーガレットフリートを制圧することを目指しておるのじゃ。そして、それが可能な戦力も加えた、新生マーガレットフリート大連合を編成し、アイアンリバーに勝つつもりじゃ」
アンの言葉は、ボルゴの脳髄を貫いた。明らかに大それた戯言だ。略奪旅団のメンバーであれば、これまで一度くらいはどこかに消え失せてくれないかと、アイアンリバーの名を憎々しく感じたことくらいはあるだろう。唐突に出現し、近隣を席捲する勢いで数々のデザートライン集団に勝利してきた難攻不落の大旅団だ。おまけに近隣の“村”を保護する姿勢のせいで、アイアンリバーが見つかってからこっち、略奪旅団としては、活動がしにくくなったという迷惑を被っているのも事実だった。
「本気ですかい?」
とボルゴが聞きたくなったのも、無理のないことだった。
「本気も本気じゃ。おぬしも、直接でないにしろ、少なからずアイアンリバーには恨み言もあろう。じゃが、アイアンリバーは強い。単独で勝てる旅団は世界にも存在せんじゃろう。じゃから、数を揃える必要があるのじゃよ。如何にアイアンリバーが強大とはいえ、圧倒的物量で包囲すれば、勝ち目があるとは思わんかの? いや、無理にとは言わんのじゃ。じゃがの、私は実際に見てきたのじゃ。アイアンリバーの中はすごかったぞ。図鑑でしか見たこともない獣や植物で一杯じゃ。どうじゃおぬし。そういったものを、手に入れたくはないかのう? 抜ければ、私が勝っても、それらは手に入らんぞ? どうするかは、自分で決めてくれて構わんのじゃよ?」
無理強いはしない、と、アンは微笑を浮かべる。ただ、話に乗らなかった時の損も語って聞かせた。彼女なりの温情のつもりではあったのだが、傍目から見れば煽っているようにしか見えなかった。臆病者に与える分け前はない、と言っているも同然の態度に、コチョウが堪らず吹き出し笑いを漏らした。
だが、アンにはコチョウが何故笑ったのかが伝わらなかった。彼女は至極真面目な話をしているつもりで、公平な取引を提示しているつもりだったのだ。だからこそ、話をそらさず、ボルゴとの会話を続けられた。
「もし失敗したとして、それはすべて私の責任じゃ。その時はこの身を煮るなり焼くなり好きにするが良いわ。何、アイアンリバーのことじゃ。こちらが退けば追撃はしてこない筈じゃ。おぬしらには命まで捨てる覚悟は必要ないしの。せいぜいあがりが得られんだけじゃ。じゃからの。憤懣の矛先は私に向けてくれて良い。覚悟は私だけがしておれば良い。じゃが、私はその覚悟で臨むつもりでおる」
本来であれば、そんな言い方をするアンを、ハワードは、諫め、止める立場にあるのだろうが、彼も、アンの言動を止める素振りを見せなかった。そのことに対して、アン自身も不思議には思わなかったし、ハワードであれば静観するだろうという信頼も抱いていた。
ただ、アンの中でもまだ結論が出ない問題はあった。もし自分が死ぬ運命に決まった時に、ハワードを道連れにはできないという問題だ。おそらく世界を崩壊から逃れさせるために、ハワードをアイアンリバーとの争いの間で死なせる訳にはいかないという思いがあったのだった。
アンの最終目的はアイアンリバーに勝つことではなかった。むしろ、その勝敗はどちらでも良かったのだ。
自分が勝てば、アイアンリバーの技術を旗下に加えて自分が。
自分が敗れるのであれば、自分の思いをフェリーチェルに託し。
すぐにでもデザートラインというゆりかごから飛び出して世界の崩壊を止めなければならないことは、アンにも分かる。その為にどこを目指せばいいのかは知らないながらに、それを探し当てる能力を有しているのも、アイアンリバーだけだろうということだけは自信をもって断言できた。
フェリーチェルがアイアンリバーが保有している技術力を持て余しているというつもりは、アンにもない。あの女帝も、彼女なりに活動は行っているということは信じられた。だが、フェリーチェルには守らなければならないものが多すぎる。その活動を最優先と位置付けるには、デザートライン群の維持という責務が重すぎるのだ。そして、それを放り出すには、気真面目すぎた。
アイアンリバー内を秩序もって統治できていれば、平和すぎることが問題なのだ。だからこそ、フェリーチェルには、その平和維持が最優先になっているのだ。アンはそう断定していた。
アイアンリバーの市民の安全を維持する為に必要であれば、フェリーチェルは世界の問題に最大限のリソースを必ず割く。それは、多くのマーガレットフリートの市民を守ることにも繋がる。例え制圧できなかったとしても、アイアンリバーの安全を半壊させられればいい。アンは、それを勝利と考えていた。
それは元老院には、望めないことだと。