第四二話 ウェイ・トゥ・コンカラー
忍者達に鎖を解かれ、エリスはアンの前に崩れるように膝をついた。体に力が入らなかったからでもあったのだろうが、頭を垂れ、片膝をついた姿勢が、それだけではないことを物語っていた。
「その無謀な挑戦、私も、微力ながら、協力させてはいただけませんか?」
口調も改め、エリスははじめてアンを女王と敬う様子を見せた。
「それは有難い話じゃ。本当に助かるわい」
アンも、エリスの同行を受け入れた。門地論のこと、コチョウもこうなることを期待して、忍者達にエリスを連れて来させたのだ。マグニフィセントとしては幹部でも、マグニフィセント自体が、マーガレットフリートの中では使い捨ての末端に近い。忍者達からの報告でも、特にこれといった特出する程の情報をエリスがもっていなかったことも、既に分かっていた。捕まえておくだけ時間と見張りの人員の無駄だ。
「コチョウどのもご助力いただけるのじゃろうか?」
アンはエリスから視線を外し、コチョウを見上げた。彼女の真下にいた忍者達は、いつの間にか姿を消していた。
「お前達だけじゃどうにも頼りない。しばらくは付き合ってやろう」
と、コチョウも頷いた。アン達がアイアンリバーと敵対するのは、コチョウから見てもメリットがあった。彼女は彼女で、思うところがあったから、協力することにも吝かではなかった。
「フェリーチェルのケツを叩くのに丁度いい。あいつは足元を崩さんと本気にならんからな」
アイアンリバーも、永遠に安定している訳ではないことを、フェリーチェルに実感させる必要があるのだ。フェリーチェルであれば、それを知ればすぐに動く筈だ。
「十中八、九、行き過ぎになるだろうが、その場合、後始末は私がつける」
その内容が、フェリーチェルやアンの望みに沿うものかは、コチョウの知ったことではない。とにかく、状況さえ動のであれば、コチョウにはあとの詳細はどうでも良かった。
「う、うむ。なんぞ不吉な予感もするがの、手伝ってくれるのであれば、心強いのじゃ」
アンはコチョウの答えに安心した気分にはなれなかったが、それでも、当面の敵ではないことだけは納得できたため、深くは追及しないことにした。詮索すれば何か恐ろしいものを穿り返すことになりそうな気がしたからだった。
「で、手始めに何から始めるつもりだ?」
コチョウはアンに尋ねながら、片手をエリスに向けて振った。その仕草ですべてのダメージを癒す魔法を発動させたのだ。エリスの全身の傷は綺麗に消え失せ、困惑しながら、エリスが立ち上がるのがコチョウの視界の隅にも見えていた。文明を置き去りにしてきた人類が喪った魔法は多い。コチョウが知る多くの魔法も、今となっては遺失呪文ばかりだった。
「うむ、まずは、手近なデザートライン旅団を手に入れたいのう。略奪旅団が良いのじゃ」
アンが答える。要するに、手っ取り早く戦力が欲しい、という発言と同義だった。
「分かった。いいだろう」
コチョウもその方針に賛成した。アンが目指している方向性を考えれば、マーガレットフリートがアイアンリバーと直接対決する前に、マーガレットフリートを制圧する必要がある。その為には、武装集団である略奪旅団を手に入れ、それを元に勢力を拡大させるのが早道だ。
「どのデザートラインが何処を走っているかは、だいたい感知できる。案内してやろう」
そういったごろつき集団を力でねじ伏せるだけであれば、コチョウには造作もないことだ。足がかりとして、アンが間に合わせの武力組織を纏め上げるまでは、コチョウも面倒を見てやるつもりでいる。そのあとは、コチョウの存在はむしろ悪影響になるだろうから、そうなる前に退くだけだ。
「とりあえず、組織らしいものの女王に君臨することだけ目指せ。お前が頭だ。私でなく」
と、コチョウは告げた。指令を出すのはアンでなければならない。略奪旅団は強い者に傾倒しやすい。コチョウが出しゃばれば出しゃばる程、アンの存在が軽視されることになる。それはコチョウとしてもうまくない話だった。
「歩いて行って追いつけるもんでもない。ポイントは確認したから一気に飛ぶぞ。いいか」
コチョウはアン、ハワード、エリスを見回した。
そもそも、アンがアイアンリバーで見た物から何を学び、何がこんな無謀な挑戦に出ることを決めるきっかけになったのか、フェリーチェル辺りでは根掘り葉掘り聞こうとしたかもしれない。コチョウはそんなことを聞くつもりはなかった。否、聞かなくても分かっていた。
アンはアイアンリバーの豊かさと文明の高度さ、住民達の力強さを肌で感じたのだ。あそこにあった自立した意志と頑強な心身は、マーガレットフリートにはないものだ。そんな両者がまともに激突すれば、砕け散るのはマーガレットフリートで、普通に考えれば、アイアンリバーは揺らぎもしないだろう。百歩譲って、マグニフィセントの思惑がうまくいっていたら、アイアンリバーも大きな痛手を負うことになったかもしれない。しかし、それも、外殻組織であるアンデッド軍団の犠牲はあったものの、アイアンリバー自体には届かなかった。
「う、うむ。い、いや。しばらく待ってくれ。今、覚悟を決めるからの。すぐにじゃ、うむ」
一旦はコチョウの言葉に反射的に頷いたものの、すぐに話しの重大さに気圧され、アンは態度を翻した。行かないというのではない。その証拠に、彼女はすぐに気持ちを落ち着かせる為の深呼吸を、大きく繰り返し始めた。
「駄目だ待たん。時間がいつも待ってくれると思うなよ」
しかし、コチョウは皮肉っぽく笑うだけだった。嘲りにも近い表情には、どうなっても一切責任をとるつもりがないことを、アンに確信させるに十分な当事者意識の欠如が表れていた。
「待て。待つのじゃ。どうやって制圧するかの話し合いだけでもさせてくれ。こういうのは、無策で飛び込むもんじゃないじゃろう?」
うろたえてアンが言い返すと、
「そんなものが必要か? ボスを叩きのめすなり、話をつけるなりすればいいだけだろう」
何のことはないと、コチョウはさらに一笑に付した。もっとも、それでもアンには安心できないだろうことだけは理解しているのは確かで、コチョウは面倒くさそうに、一応の作戦らしいものも付け加えた。
「強いて言えばだが、旅団のボスの目の前に飛んだら、私が列車を走行不能にしてやる」
と。内容の荒唐無稽さとは裏腹に、あまりにもコチョウの口調はこともなげで、いっそ頼もしささえあった。
「その混乱の隙に、アンとハワード、エリスの三人でボスを不意打ちして制圧してしまえ」
「はあ……は?」
アンには、当然、耳を疑う内容だった。
「どうやって止めるのじゃ。デザートラインを、そう簡単に止められるものじゃろうか?」
「デザートラインは世界を循環している魔力流を利用して動いているからな。何、簡単だ」
デザートラインの周囲の魔力流を止めるだけで、デザートラインは走行不能になる、と、コチョウは話す。アンは技師でもない。そんな話は、初耳だった。世界に魔力流が循環しているということ自体は知っていたが、魔力流を止める方法があるということも、初めて知った。
そもそも、そういうものだと自然に受け入れてきたが、何故魔力流が流れているのか、それが自然現象なのかということを、アンも良く知らない。魔力流は循環しているもので、それは当たり前なことで、疑問に思ったこともなかった。
「私は魔法学の教師ではないのだが」
喉の奥で笑って、コチョウが僅かなため息を吐く。それから彼女は、まあいい、と、小さく頷いた。
「魔力流は原初の世界にはないものだった。そもそも、荒れた原初の世界の全体に、人がどうやって環境改造の効果を届けたと思う。魔力流は、環境管理の機能と一部として、人が生み出した技術だ。大本のシステムをある程度掌握すれば、管理することは可能ってことだ。一部だけ止めることも可能って訳だ」
コチョウが把握している限り、その機能をすべて、或いは一部だけでも利用できる人物は二人いる。一人はコチョウ自身だ。彼女は世界に五ヶ所ある環境管理システムをすべて掌握していて、全世界に対し、その制御を行使することができる。もう一人は、ハワードだ。現在まで生き残っている、正規の管理権限を持っている最後の一人だ。彼はハイ・エア・マーガレットの環境管理システムのみ管理権限を持っていて、その影響が及ぶ地域、マーガレットフリートが活動している近隣だけであれば、現在もその制御を行使することができた。
「とにかく、デザートラインは任せろ。人同士のごたごたは、自分達で何とかしろ」
コチョウは、ハワードにもできることを、敢えて話題にはしなかった。面倒臭い、ただそれだけで。それよりも、早く飛びたかった。
「う、うむ」
アンは、コチョウやハワードが隠していることには気付きもしない。ただ、頷いた。