第四一話 ターニング・ポイント
ゴーファス達の列車は、闇に飛び込んだまま、戻ってこなかった。やがて暗黒のドームは薄れ、消え去ったが、その後には何も残ってはいなかった。
マグニフィセントの武装列車も、ゴーファスの暗黒列車も、暗闇は連れ去っていったのだ。それこそがゴーファスが語った、破壊することなく武装列車に満載された砲弾を無力化する方法であり、確かに、武装列車がコラプスドエニーに悪影響を及ぼすことも、アイアンリバーの市民が乗る列車に被害をもたらすことも、防がれたのだった。
ゴーファスが警告して言った通り、マグニフィセントの伏兵はいた。しかし、武装列車がどこかへ消え失せたことは、彼等にとっても想定外すぎる衝撃の事件で、彼等はアイアンリバーに潜り込むという、当初の任務を忘れて呆然と立ち尽くし、姿を見せた。マグニフィセントの目論見は外れ、彼等の作戦は完全に失敗したのだとは理解しているのだが、現実を受け入れられないでもいる様子が見て取れた。
もっとも、スズネやエノハが、それを黙って見逃すこともない。彼女達はただ淡々と、至極冷酷に、棒立ちのマグニフィセントを狩り尽くしていった。スズネは白刃を振るい、エノハは式神と己の体術を駆使して、マグニフィセントのパペットレイス達を追い立てた。マグニフィセントも当然応戦はしたものの、一度広がり始めた混乱はにわかには収まらず、アイアンリバーでも屈指の使い手であるスズネとエノハから身を守るには、彼等の動揺は致命的だった。
アイアンリバーのデザートラインに取りつく余裕もなく、マグニフィセントは撤退を試みた。そしてそれも不可能だと彼等が悟るまでには、長くは掛からなかった。エノハが呼ぶ四神により退路は塞がれ、マグニフィセントの歩兵部隊は、最早袋の鼠の状況に陥っていた。
そんな大混乱の戦闘が繰り広げられる荒野に、デザートラインから逃れるように降りてくる影があった。その影は遠目には二つで、スズネやエノハがマグニフィセントを追い立てている方へは向かわず、むしろ遠ざかるようにデザートラインを離れていった。
遠目には存在が見えない程の小さな生物に先導され、アイアンリバーを去って行く。先導しているのはコチョウで、アイアンリバーを出たのは、アンとハワードだった。
「迎えに来た」
唐突にアン達の前の姿を見せたコチョウはそう告げ、二人がアイアンリバーを離れると決意していることを確信している態度を取った。
「なんと。これは思いもよらぬ助けじゃ」
アンはコチョウが現れたことに対しては驚きはしたが、コチョウの発言自体には否定しなかった。そして、コチョウの手引きにすんなり従い、コチョウの確信が真実であると答えるように、ハワードを伴ってアイアンリバーを離れた。
「どこへ案内してくるのじゃろうか」
と、アンが問う。彼女の目は真っすぐに荒野の彼方を見据えていて、何かしらの覚悟を決めた、揺らぐことのない道を見つけた者の空気を纏っていた。
「まずはすぐそこに人を待たせている。そいつらと合流するところからだ」
コチョウは多くを答えず、ただ、何かしらの準備だけは済んでいるという態度を見せた。コチョウの答えはアンには不可解なものだったが、コチョウに尋ねて答えてもらえる雰囲気ではないことは、アンにも理解できた。
「人? 誰ぞ、私に協力してくれるお方がいるということじゃろうか」
そして、それがアンには最も気になった。そんなアンの疑問にも、
「会えば分かる」
と、コチョウは答えただけだった。
そして、コチョウに先導され、アンとハワードは荒野に歩を進める。実際には、ドワーフの血が混じるアンの体格では、飛行するコチョウのあとをついていくのは困難だ。アンはハワードに抱きかかえられ、運ばれていた。
しばらく歩くと、前方に人の姿が見えた。人数は四人。だが、そのうちの三人はすっぽりと全身を黒い装束で隠していて、容姿を窺い知ることができなかった。
「ん?」
ただ、残る一人には、アンにも見覚えがあった。黒装束の二人の手に握られた鎖に繋がれて拘束されていたのは、マグニフィセントのメンバーの一人として、知られていた。
「あれは……エリスか?」
その名はアンも知っている。エリスがマグニフィセントのメンバーになる前に、パペットレイスになったばかりの頃のリリエラから友人として紹介されたことがあったからだ。その後、エリスがマグニフィセントを志望したことから接点はなくなってしまったが、名前と容姿は、アンもまだ覚えていた。
「何故縛られておるんじゃ?」
というアンの疑問の声に、
「奴等が、市民ごと廃棄車両を爆破しようとした一件は知っているな」
コチョウは聞き返した。
当然、アンも何があったのかは把握している。むしろ、あの時にアイアンリバーにいなければ、アンが知ることは逆になかっただろう。彼女が怒り出すようなことを、元老院がわざわざアンに知らせることなどないことは分かる。だからこそ、マーガレットフリートでそんな非道が公然と成されている歴史を、アンはこれまでまったく知らなかった。
「勿論じゃ。女王として、あれ程までに市民に顔向けできんと思ったことなどないわい」
恐ろしいことだと、アンも思う。マーガレットフリートの市民を大切に思う気持ちは今も消えないが、マーガレットフリートそのものへの愛着は、アンの心からは既に消え失せていた。彼女が今思うのは、マーガレットフリートの支配構造は、破壊しなければならないのだという使命感だけだった。
「その作戦の指揮をしていたのがあいつだ」
コチョウの答えは端的で、濁すところがなかった。つまりエリスはマーガレットフリートの市民に非道を働き、それが原因でアイアンリバーの関係組織に捕まったのだ、と、アン達にも状況が理解できた。
コチョウは、エリスと、彼女を捕えている忍者達の頭上まで飛び、アンを抱きかかえたハワードが、その前に立ち止まった。アンはハワードに目配せをし、地面に降ろしてもらうと、エリスに視線を注がせた。
「酷い有様じゃ」
しかし、何故かアンには、エリスを詰る気持ちは生まれなかった。彼女はおそらく元老院の命令に従っただけだ。それでエリスに完全に罪がないということになる訳ではなかったが、エリスを責めたところで何も変わらないことだけは、アンにも理解できていた。
「女王陛下におかれましては、こんなところで呑気にお散歩でございますか?」
皮肉たっぷりに、エリスが呻き声に近い声を出す。項垂れたように前屈みの姿勢のエリスの顔は腫れ上がり、ひどい拷問を受けたあとだと、ありありと分かる状態だった。
「うむ、そうじゃ」
言われても仕方がない、アンにも、そう分かっていたから、反論しなかった。
「おかげで今まで見えなかったものが、いろいろ見えたんじゃ。私にも」
「へえ」
エリスの態度は変わらない。痛々しい程に立っているのもやっとという姿ではあったが、アンを睨みつけるようなまなざしには、まだ力が残っていた。
「それで、女王陛下は、どちらへおいでになり、何をされるおつもりでしょうかね」
その言葉を聞き、アンはエリスから視線を外し、エリスの侮蔑混じりの問いには、すぐに答えなかった。その問いに答えた瞬間、自分の未来が、本来そうであった筈のそれから逸れるのだと分かっているように、遠い目で、地平線を見つめた。
「私は、マーガレットフリートを征服し、アイアンリバーを倒したいと思うておる。その為に必要なことであれば、どんなことでもするつもりじゃ。私にあるのは、今はまだこの五体だけじゃ。じゃから、まずは己の身をその道のすべてに対し、擲つところからじゃな」
「その為ならば、どんな泥も啜ると?」
驚いた顔で、エリスがアンを見つめた。険がとれた目を見開き、ようやく自分が覚えているアンという女王とは別人のようだと、エリスも気付いた。
「うむ。私に啜れる泥があるのであれば、喜んで啜ろう。その先に市民達が無事過ごしていける未来があるというのであれば、私はどうなっても、それで良い。私が知らんだけで、マーガレットフリートの女王の私は、それだけの罪の上に、座しておったのじゃろう?」
アンの声には、恐れはなかった。ただ未来を望む求道者のように達観した口調には、アンという己はなかった。
「死ぬつもり?」
と、エリスが問う。コチョウも予測したのと同じで、エリスも、アンの道の先に死を見た。
「覚悟はしておる。私は死ぬじゃろう。じゃが、何も成さぬ、象徴の女王である私が、民の死の上に生き残って、何の意味があろう」
アンは静かに目を閉じ、静かに祈りを奉げるように、頭を伏せた。
「その先に、世界の死があるというであれば、尚更じゃ」
口元には、柔和な微笑さえ浮かべていた。