第一七話 亡国
フェリーチェルの言葉は、ある意味当然のものだった。
「連れて行って」
その言葉は真剣で、自分の目で確かめなければならないということに迷いがないようだった。
「分かった。ついてこい」
コチョウも拒否はしない。彼女からすれば、フェリーチェルの性格からして、つきまとってくる可能性が高いことを、面倒臭い問題として危惧していた。さっさと王国の再建とかいう、コチョウから言わせればよく分からない目標を諦め、何処かに去ってくれればそれに越したことはなかった。とにかく早めに関わりが断ちたい、その一心しかない。
今回は戻るつもりもなく、自分のオーブを、貯蔵棚から取り、ローブのポケットに忍ばせた。それを見て、フェリーチェルもコチョウに戻るつもりがないことを理解したように、彼女も自分のオーブを就寝室から取ってきた。
「気を付けて」
レントの見送りに、コチョウは答えもしない。看守室の力は強力なのかもしれないが、ある意味、コチョウはその影響からローブの呪いに守られる状態になっていた。看守室内にあっても、完全に喪失された良心を動かすことはできなかったのだ。コチョウはもう、看守室内の力にペースを揺らがせることはなかった。
監獄内を飛ぶ。当然、追ってくるフェリーチェルを気遣いなどしない。遅れるのであればおいていくだけだ。コチョウの身体能力はアンフィスバエナから強さを奪ったことで、あからさまにフェアリー離れしたものになっていたが、だからといってフェリーチェルに対する配慮などするつもりもなかった。
監獄の中央部にあたる、焚火がある四方に通路が伸びる部屋で、ジェリと出会った。ジェリは復活した二人の男達を用心棒のように連れていて、彼等は考えることは苦手なのか、ジェリに従っているようにも見えた。コチョウから見れば、男達が用心棒になるかは怪しい限りだったものの、もっとも、監獄内に生き残りは、ジェリ達とレントしかいない。用心棒そのものが不要と言っても良かったから特に頼りないと指摘はしなかった。
「行くんだね」
ジェリに聞かれ。
「せいせいするだろ?」
コチョウは皮肉っぽく笑ってみせた。
「ああ、そうだね」
ジェリは頷いたが、表情は冴えない。コチョウはしんみりした空気は嫌いだ。ため息をついて、苦笑いした。
「私は弱虫と回りくどい奴と能無しと馬鹿と阿呆は嫌いだ。特に名残惜しいとか言い出す奴が、今は一番嫌いだってことに私が決めた。纏めて首を刎ねられたくなければ、さっさとあっちへ行くか死ぬかしろ」
コチョウは何日か前にも言った言葉を、まったく同じ調子で口にした。だいいち、別れを惜しまれる程交流があった訳でもない筈だ。
「分かったよ」
ジェリは、あんたはそういう奴だった、と言わんばかりの顔をして、看守室の方へすれ違って行った。レントならこんな連中ともうまくやっていくのだろう。二度と会うことはあるまいと、コチョウはその姿を見送ることはしなかった。
ラウンジへ続く抜け穴を抜け、通風孔に飛び込む。罠は当然動いていない。静まり返った縦穴を、コチョウは垂直に上がった。フェリーチェルも窮屈そうながら、必死についてきている。
コチョウは遺跡の通路に飛び出すと、ない筈の気配に気付き、一旦、フェリーチェルを待った。フェリーチェルが上がってくると、コチョウはすぐに声量を落として、告げた。
「ここで待て」
一人だけ、開け放った門の先へ飛んだ。巨大な足がコチョウを踏みつぶそうと迫る。だが、それは床を踏んだだけだった。
コチョウは身を捻り、巨体を掠めて飛んだ。原理は分からないが、広間のアンフィスバエナが復活していたのだ。遺跡攻略者であるコチョウ以外の存在、つまり、フェリーチェルに反応したのか、とコチョウは推測した。だとしたら、面倒なことだ。
とはいえ、既にコチョウはアンフィスバエナの強さを一度手に入れている。巨体は脅威だが、今となってはそれだけだった。むしろ、もう一体分の強さが奪えるとなれば、儲けものと言える。アンフィスバエナの巨大な顎も、空を噛むばかりで、コチョウのスピードには対応できなかった。一度倒してしまえばこんなものか。コチョウは侮蔑の表情を浮かべ、アンフィスバエナの、体の前方に生えた首を蹴り飛ばす。その首はコチョウの鋭い蹴打を受け、ねじ切れて飛んで行った。その後は、もう、勝負にすらならなかった。
のたうつアンフィスバエナは、ただの肉と鱗の塊に過ぎなかった。コチョウはもう一方の頭部の眉間へ飛び、踵で蹴り下ろす。鉞のような軌道を綺麗に描き、コチョウの踵は、アンフィスバエナの鱗を一撃で叩き割った。アンフィスバエナは沈み、動かなくなった。
コチョウは軽い落胆の中、フェリーチェルを呼んだ。
「もういいぞ」
落胆の理由は、前回と違い、自分の身体能力が格段に上昇したという実感が薄かったからだった。ひょっとすると、同じモンスターを何度も倒しても、奪える強さは多くないのかもしれない。
「……もう、動かない?」
門の所から、覗き込んでいたらしい。フェリーチェルは、おそるおそる、傍に飛んで来た。魔力の壁は消滅している。アンフィスバエナが死んだ証拠だった。
「強すぎるって、言ってなかった?」
「もう雑魚だ。話にならない」
コチョウはそれだけ答え、地下三階への梯子へと飛んだ。こうなってしまえば、アンフィスバエナに興味もない。地下三階にはバジリスクがいた筈だ。面倒だがどうせ一撃なのは分かっている。たいした強さが奪えるとも思えなかったコチョウは、チャクラムを外して梯子穴を登った。そして、昇ってすぐの広間にバジリスクが確かにいるのを確認した瞬間、チャクラムを投げつけて沈黙させた。バジリスクは縦に二つに裂けて、明らかに死んだと分かる屍を晒した。無視して、コチョウがとおり抜けるのを、フェリーチェルは、げんなりした顔で追った。
「なんなのよ、あなた」
そんな風に半ば抗議するような声をフェリーチェルは上げたが、コチョウは答えなかった。
地下二階は、流石に壊れたままだった。迷宮の壁まで復活したりはしていない。
「なにこれ」
フェリーチェルは階層の最短ルートを貫いて、一列に破壊された壁を見て驚愕の顔をしたが、
「化け物が力に任せて突っ切っただけだ」
コチョウは面白くもないと気にせず進んだ。自分のことを化け物と称したのは自虐でも皮肉でもなく、ただ、端的な表現が他になかっただけの話だった。
地下一階。開けた扉は、どういう仕掛けか閉まっていた。もっとも脇を抜ける最短ルートへ続く扉のボタンがこちら側にあることが変わった訳でもない。コチョウはそれを押し、その階も無視した。
そして、地下一階への穴を登る際もまた、チャクラムを腰から外した。今回は両手に持ち、穴を上がってすぐに、自分の左右、真横に向かって投げつけける。当然そこにいたゴーレムは、木っ端微塵に砕けた。それで終わり。これ以上、障害はない。
「出口だ」
コチョウは抑揚のない声でフェリーチェルに告げ、外への出口を指差した。出口の向こうには、相変わらず焼け焦げた森の木々が、生気を失った姿を見せていた。
「あ」
遅れて登って来たフェリーチェルが頷く。コチョウが進むより先に、フェリーチェルはふらふらと不安そうに飛んで行った。出口に近づくと、
「なんで……?」
と、呆然とつぶやく声が聞こえてきた。どうやら、コチョウの予想は、当たっていたようだった。フェリーチェルを追い、コチョウは躊躇いもなく聞いた。
「お前達の森か?」
その問いに、フェリーチェルは、蒼白な顔で、気力なく頷いた。
「そう……。でも、どうして? みんなは? 残った皆は? お父様は? お母様は?」
フェリーチェルの声には何処か現実感に乏しいといった、当惑の感情が浮かんでいた。
「お前がどれだけ稼ごうが、再建はないってことだな」
コチョウはフェリーチェルを追い抜き、振り返りもせず、切り倒された古木が山と積まれている上に腰掛けた。
「これがお前の国らしい。フェアリーが今後も住めるようには見えないが。ま、諦めろ」
「そんな……そん、な」
フェリーチェルは古木の切り口の方へ飛んでいく。そこに住居の穴を見つけたのだろう、地面に彼女が崩れた音が聞こえてきた。
「ま、そういうことだ。じゃあな」
あとはフェリーチェルの好きにすればいい。短く声をかけると、コチョウはすぐにその場を飛び発った。
フェリーチェルが追ってこないのならそれでいい。それならば、関わるつもりには、それ以上なれなかった。




