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1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
危急存亡のパペットレイス
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第三九話 フェイタル・デイ

 暗黒に包まれた車内で、ゴーファスは自分の“城”に戻った。絨毯の敷き詰められた通路を歩き、その奥に扉のないアーチで区切られた謁見室のような部屋に入る。何処で見つけてきたのか、それとも誰かに作らせたのか、悪魔と骸骨の意匠で縁取られた玉座に、彼は腰かけた。

 玉座は二つ並んでいて、既にもう一つは埋まっていた。

「戻っていたのか」

 ゴーファスは、隣を見ずに、声をかけた。

「はい。あなたがする決断は分かっているつもりですから」

 答えたのは、先程まで中央帝宮にいた、ピリネだった。子を宿している腹部を愛おしそうに撫でながら、その瞳に愛情の光はなかった。

「腹の子とお前の為に、中央帝宮に移っても良かったのだぞ?」

 ゴーファスの言葉は偽らざる本心だった。彼も愛情に篤い方ではないと自負しているが、ピリネとその子供に対しては、夫であり、父である自覚はあるつもりだった。故に、生きていてほしいと願う思いも、本物だった。

「いいえ。あの日、あの方に共に仕えると誓った時から、あなたと運命を共にするのだと、あなたがこの世から消えることがあれば、その時は私も死ぬ時だと、心に決めていました」

 そして、ピリネがゴーファスの隣に居続けた日々も。

 最初は贖罪のつもりだった。

 そもそも、その頃のピリネはピクシーで、傷つき、蝙蝠の姿をとるのがやっとだったゴーファスに襲われたことが原因だ。その事件のせいで、ピリネはゴーファスを、理性のない狂暴でおぞましいヴァンパイアだと勘違いしたのだ。だが、実際に会話をしてみると、単にその時は、ゴーファスも消滅を免れるために必死だっただけだと分かり、彼への評価がひどい誤解だったと気付いたピリネが、彼への罪滅ぼしのつもりで共にあることを選んだのだった。

 そして、実際それは人形劇の為のかりそめの世界の中の話で、今のピリネには、ゴーファスにヴァンピリック・ピクシーに変えられたあとの記憶はない。その人形は、魂ごと魔神に貪られ、消滅したからだ。

 だが、現実には、ピリネ役の人形は二つあった。ゴーファスに襲われる前の、ピクシーのピリネ役の人形と、ヴァンピリック・ピクシーに変えられたあとのピリネ役の人形だ。外見が大きく変わる為、ある意味当然の配役といえる。その為、消滅したのは後者で、前者はまだ残っていた。それをコチョウが再生したのが、今のピリネだ。

 故に、ヴァンピリック・ピクシーとしての、ゴーファスへの怨みや、吸血鬼としての苦悩は、今のピリネにはなかった。故に、彼女はゴーファスという人物と、冷静に話し合うことができ、そして、自分がゴーファスに抱いた印象を、誤解だったと気付くこともできた。ただ、こわかったという記憶しかなかったのだ。そのことから、むしろ自分の勝手な決めつけを恥じる結果になったのだった。

「あなたに襲われたのが私で良かった」

 と、ピリネは言う。その後、自分がどのような苦しみを味わうのか、彼女が知ることはもうないからだ。その言葉に他意はなかった。

「うむ。私の隣にいる女性が貴女で良かったと、私も考えている」

 二人の会話はそれだけだった。それだけで、ゴーファスとピリネはお互いの覚悟を確かめることができた。

 折も折、数少ない人の言葉でコミュニケーションが取れるアンデッドの一人が、入ってくる。既に人の姿は崩れ去り、朽ちた樹木が動いていると見紛う程に干乾びた姿をしていた。男なのか女なのかも外見から定かでないそれは、二人の前にそろそろと進み出ると、言葉を待つように、絨毯の上に膝をついた。

「女達を他のデザートラインに退避させなさい」

 部下に、ゴーファスが自ら声を掛けることは少ない。隣に座るピリネが、代わりに命じた。その命令を聞いて、はじめてアンデッドはくぐもった声を上げた。

「恐れながら、マム」

 と、ピリネのことを呼んだ。この列車の中では、ゴーファスはマスター、ピリネはマム、と呼ばれているのが通常だった。

「皆、退避を拒否してございます」

 女、というのは、ゴーファスに血液を提供しつつ、ピリネ共々身の回りの世話も受け持っている者達だ。ヴァンパイアであるゴーファスが男の血を飲めないということでもないのだが、嗜好としてはやはり女性の血を好んだ。故に、生きている者は、この列車には、女しかいない。

 そして、奇妙なことに、ゴーファスはそんな女達から、直接血を吸うことはしなかった。柔肌に触れるのはピリネだけと、まるで妻に遠慮をしているように。ピリネはヴァンパイアでなく、それ故に彼女の身の回りの世話をさせる女達もヴァンパイアにはしないと決めているようだった。

「連れて来い」

 そんなゴーファスを、女達は紳士的だと持て囃した。そもそもこの列車には、ゴーファスが配下のアンデッドに無理矢理攫ってこさせた女は一人もいない。ピリネが嫌がるからだ。自ら望んでやってきた女達しかいないが故に、彼女達の間でのゴーファスとピリネの夫妻の人気は高かった。ゴーファスが死地に赴こうとするのであれば、女達もそれに従おうとすることは、ゴーファスも予想していた。

 アンデッドは一度下がり、すぐに女達を伴って戻ってきた。彼女達も呼ばれることは承知の上といった風で、梃子でもこの列車からは離れないと、無言の圧を放っていた。女達の人数は、全員で一五名だった。

「この中に、親兄弟がいない者はいるか」

 女達が玉座の前に並ぶと、ゴーファスは自ら声を掛けた。女達に対する扱いは、部下のアンデッド達よりも格上と見なしている証拠だった。

 女達は一様に無言だった。彼女達が答えるまでもなく、ゴーファスは、一五人の女達の家族構成は、最初から把握している。無言を貫かれても、困ることはなかった。

「天涯孤独な者はいない筈だ。家族を残し、命を捨てることはよせ。それは私が許さん」

 人形劇用の仮装世界でアンデッドの主を気取っていた頃のゴーファスであれば、出なかった言葉だ。実際、ピリネとともにいるうちに、随分と彼女からの影響で考え方が変わったことは、ゴーファス自身も自覚していた。

 ヴァンパイアは、世界に疎まれ、世界を憎むものだ。純粋悪と言ってもいい。凍った血が、そうさせるのだ。それは正気を失わせ、邪道を急かす、夜の呪いのようなものだった。ゴーファスにもそれはあり、かつての彼も、生者を敵とし、餌としか見ていなかった。そこに安らぎなどなく、それは当たり前のことだった。しかし、ピリネと過ごしている間に、彼はその血の渇望よりも強い、穏やかさを得た。ある意味で、ピリネがもたらした奇跡なのかもしれなかった。

「お言葉ですが、マスター。皆、ここに来た時に、親兄弟とは離別を済ませております」

 女の一人が言う。俗にいう侍女長を務める女だった。

 女達に、夫や恋人がいる者はいない。その為、夫や恋人との別れを口にする者はいなかった。

「だとしてもだ。お前達の死を悲しむ者がいる以上、お前達を連れて行くことはできん」

 ゴーファスの答えに、

「では、私達を残し、逝くことはおやめください。まさかお二人の死を、私達が悲しむことがないと、お考えでございますか?」

 女達は、これからゴーファスとピリネが死のうとしているのだということも、知っていた。だからこそ、彼女達は列車を離れることを、拒んだ。

「それでは私から聞きましょう。あなた達の死で、アイアンリバーが何か得るものはあるのですか?」

 会話に、ピリネも口を挟んだ。威圧的な声ではなく、どちらかと言えば落ち着いた、本当に素朴な疑問を問いかけるような口調だった。

「それはありませんが、少なくとも私共は満足できます。残れば、一生を後悔と共に過ごすことになります」

 きっぱりと侍女長は答えた。その答えに、ピリネは大きく頷いた。

「分かりました。あなた、私達の負けです。彼女達を説得する時間はありません」

 そして、彼女もゴーファスの説得に回った。

 ピリネの言葉には多分の事実が含まれていた。マーガレットフリートの列車は進路上にスタンバイしていて、アイアンリバーへの攻撃準備も間もなく終わる状況だ。マグニフィセントの狙いを挫くには、今すぐにでも行動に出る必要があるのは間違いなかった。

 勘のいい女帝フェリーチェルに気付かれれば、絶対にゴーファス達の対応方法を許容しないだろう。防止される前に、動く必要もあった。

「これ以上時間は無駄にできん。後になって、やはり降りたいなどといっても無駄だぞ」

 女達に警告してから、それでも誰も動こうとしないのを見て、ゴーファスは、折れた。

「速度を上げろ。緊急加速だ」

 という命令に、アンデッドの部下が、女達のうしろで、また、口を開いた。

「畏まりました」

 同時に、彼等の列車が、大きく振動した。


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