第三六話 アイズ・イン・シャドー
全く忌々しい。
コチョウは不機嫌な顔を、隠すことなく晒していた。ここ三日間ずっとそうだ。マグニフィセントの武装列車をとり逃がすという、コチョウからすればまったく想定していなかった失態に、彼女は不満を解消できずにいた。
「まさかな」
思ったよりも、マグニフィセントという集団が厄介な連中らしいということを、今回のことで、コチョウも把握した。コチョウの襲撃を感知した瞬間、武装列車は、市民達が乗ったデザートラインの破壊を早々に諦め、逃げの一手に出たのだった。
「部隊員を使い捨てて逃げるとはな」
マグニフィセントは、武装列車でなく、白兵戦でコチョウを迎えうった。普通に考えれば、列車の援護を受けて迎撃する布陣だった。だが、実際には部隊はただの囮で、コチョウがそちらを先に潰そうと決めた時には、既に列車は全速力で逃げ出しはじめていた。
だが、コチョウは列車を追わなかった。終えなかったのだ。囮のマグニフィセント達が、剥き出しの砲弾を抱えて自爆を図ったからだった。コチョウからすれば、そんな暴挙を放っておくことはできず、まんまと時間稼ぎをされた結果に終わった。
「で、お前はこの先、どうするつもりだ」
マグニフィセントの武装列車を追うことを諦めたコチョウが、荒れ果てた地面に沿って飛ぶ。その後ろを、土と煤、細かい傷を全身につけた女がついて回った。
襲っては来ない。戦闘ができるコンディションではなかったし、女はすべての武装をコチョウに粉砕され、とっくに丸腰にされていた。
以前、リリエラをあわやというところまで追いつめた、エリスという名の女性型パペットレイスだ。当然リリエラ相手には優位に立てたからと言って、コチョウに通用する実力がある訳でもなかった。はっきり言うと、勝負にもならなかった。
「分かりません」
コチョウに完敗したエリスだったが、それでもマグニフィセントとして帰還することを諦めていた訳ではない。しかし彼女は、コチョウという、あまりにも実力が高すぎるフェアリーを追跡することを優先した。実際ボロボロの状態の彼女に出来たのは、尾行などという体裁の保てる追跡ではなく、なんとかコチョウの後ろをついて歩くことだけだった。勿論コチョウから丸見えだし、それを気にする余裕はエリスにはなかった。
「厄介な連中だ」
不快だ。コチョウに言わせてみれば、不快以外の言葉が出なかった。そんな状態でさえ、エリスの目は死んでいない。隙あらば殺すという意志を滾らせていた。それができないことは十分に理解できているだろうに、コチョウを敵視する視線には、一種狂気とも言える執着を覗かせていた。それどころか、殺すなら今すぐ殺せ、という不気味な覚悟まで見せていた。
「馬鹿な奴だ」
コチョウは、エリスを殺すつもりはなかった。殺すのは簡単で、その方が面倒でないのも事実だが、生かしておいた方が面白い、と感じてはいた。戦闘技術にも、隠密技術にも、珍しいところは一つもなく、別にコチョウが興味を引かれるようなところがある訳でもなかった。
放っておいてもいずれ死ぬだろう。そのくらい、エリスは酷い有様だった。立って歩けているのがやっとの状態で、たとえコチョウが眠りこけていたとしても、満足に危害を加えられる状態ではなかった。
そもそも、コチョウは一人ではない。彼女は配下の忍者達の列車まで、シャリール達を連れて行く最中だったのだ。忍者の里は意外に遠くを走行中で、三日間、まだシャリール達を引き合わせることができていない。途中で先にアイアンリバーと鉢合わせしたのも想定外で、おそらくとすぐにマーガレットフリートとの間で対立が起きるだろうフェリーチェルに、あの場でモンスターを合わせることは、コチョウはしなかった。フェリーチェルは真面目で優しい性格だけに、マーガレットフリートとの問題と、モンスター達の問題を、一度に抱え込んでしまい、うまく処理できないだろうと、考えたからだった。
「帰還を優先していれば、助かる目もあったろうにな」
コチョウはエリスを殺さなかったが、助ける気もなかった。治癒呪文を使えば満足に活動できるようにしてやれるのだが、そんな魔力を使ってやる義理も感じなかった。シャリール達は上空で遠巻きについてきていて、彼女達もエリスを助ける気はないようだった。市民と一緒にはアイアンリバーに移らず、シャリール達を心配して戻ってきたリリエラも、態度は一緒だった。知り合いらしいが、会うつもりもないらしい。
「リリエラとはそこまで仲が良かった訳じゃないのか」
ある意味薄情ともとれるリリエラの様子に、コチョウはどうでもいいことながら、少しだけ興味が湧いた。むしろ、リリエラの身辺の話という意味でだ。
「同時期に、パペットレイスになったというだけです。技術的には、ボディは同型です」
あっさりと、エリスは関係性を明かした。それを知られたところで、別に困らないと判断したのだろう。
「それで、少しだけ交流がありました。親近感が湧いたのでしょうね。お互いに」
「それだけか。道は随分違えたな」
聞いてみれば、どうでもよかった。コチョウは興味が失せるのを感じた。
「まあいい。助かりたければ去れ。もうすぐ手下共と合流する。捕まりたいなら止めん」
それも、どうでもよかった。忍者達が情報源をわざわざ見逃すとは思えなかった。間違いなく、エリスは里に監禁されるだろう。待っているのは、人道など意に介さない尋問と考えていい。サイオウ達なら、必ずそうするという信頼があった。
「そうですね。それが正しいのでしょう」
だが、エリスは離れて行かなかった。コチョウが手下と呼ぶ者達の存在は、マグニフィセントも把握していない。諜報機関としても活動している組織という側面もあるマグニフィセントだが、兎に角コチョウの周囲は何も情報が得られていなかった。すべてが謎で、さらに言えば、その情報を探りに出た隊員は、漏れなく帰ってこなかった。おそらく、マグニフィセントを上回る暗部組織が、コチョウの下で動いているとは、まことしやかに推測されていた。自分が捕らえられることになっても、それを見て見たかったのだ。勿論のこと、見れば帰れないことは、承知しているようだった。
「その隙があるようなら逃げますが。無理だからこそ、何も分かっていないのでしょうが」
だが、もしかしたら。情報を持ち帰れる可能性があるならば、諦めるつもりはないようでもあった。
「まあな。あいつらにそんな手抜かりはない。その程度なら、そもそも手下にしていない」
コチョウは、エリスが何を考えていようと、無駄な望みだということを理解している。そもそも、汚物処理班、などと揶揄され、他の旅団にも知れ渡っているマグニフィセントと、完全に影に潜み、その正体がアイアンリバー以外には漏れていない忍者達とは根本的な性質から異なっていた。
「まあ、好きにしろ。だが、まともな精神で生き続けられるとは思うな」
コチョウが忍者達を気に入っている理由の一つだ。コチョウ自身、倫理観が欠落している自覚はあり、忍者達も、その同類と理解しているからだった。コチョウは遠くを眺め、揺らめく黒を見つけると、エリスを相手にすることを辞めた。
「見えたぞ。降りて来い」
上空に向かって声を掛ける。陽炎のように不確かな、黒い塊は車体の色だ。ただ一編成で、ひっそりと荒野を走る列車は、まるで幽霊のように不気味だった。
「あ、あれ。ですか」
指示に従っておりてきたシャリールも、困惑を隠せなかった。彼女に従うモンスター達も、動揺している。シャリールの背で、リリエラが、
「探知魔法乱獲塗料。魔力流吸収素材。それに、熱交換式のカモフラージュ装備……?」
すべてステルスの為の技術だ。とはいえ、リリエラも実在するとは聞いていない。すべて実現不可能とされている、机上のものに過ぎない筈だった。
「あれじゃ、見つかりっこない筈だわ。最初から可能性が排除されて、誰も疑わないもの」
「分かるのですか?」
思わずと言ったように、シャリールの背を見上げ、リリエラにエリスが問いかける。しかし、リリエラからの、その問いに対する返答を、エリスは聞くことは叶わなかった。
「う」
短い呻きを上げ、エリスがぐったりと倒れかける。そんな彼女を、何処から現れたのか、全身真っ黒な衣装で正体を隠した人物が、抱え上げた。
「では、こちらで回収します」
「ああ。好きにしろ」
どうせずっと見ていたのだろう。コチョウは面倒に思いながら答えただけだった。
「あとは任せる。話は本人達から聞け」
と、伝言を残しておくだけで十分だ。
コチョウはシャリール達のことも、忍者に任せ、里には寄らずに、そのまま去った。