第三五話 デクラレイション・オブ・ウォー
あれから三日後。
マーガレットフリートの元老院から、アイアンリバーの中央帝宮に通信が入った。前日に一旦予告の通信が入っていたとはいえ、内容は一方的で利己的な要求でしかなかったが、フェリーチェル達が予想していた通りの通告でもあった。
『拉致した市民の解放を要求する』
そんな言いがかりも甚だしい要求だ。
『こちらアイアンリバーは置き去りにされ、殺されかけていた人々を収容はしたが、旅団より人を攫った覚えは一つもない。攫った覚えのない人間を解放することは不可能である』
喧嘩腰の何癖に対し、フェリーチェルの返答は毅然としていた。マグニフィセントに爆発物を仕掛けさせようとしておいて、何をかいわんや、といった態度だった。
そして、アンも、その日ばかりは農園の仕事を休ませてもらい、他に聞く者がいない場所を確保し、中央帝宮と元老院の通信を聞いていた。そうしたいと、フェリーチェルに頼み込んだのだ。当然、それを聞くアンのすぐ傍には、ハワードの姿もあった。
アンも、マーガレットフリートに棄てられた市民達を、アイアンリバーが保護した一部始終については聞き及んでいる。アイアンリバーの農園列車にいても、マグニフィセントの砲撃とは無関係ではいられず、実際に攻撃を受けていたことも、アン自身知っている。着弾とは違う衝撃に戸惑いはしたものの、魔術師達が対魔法弾障壁で、デザートラインからの砲弾を消滅させた余波だったと、あとから知った。そのような魔術があることに、恐怖すら覚えたものだ。アイアンリバーは、彼女から見て、本当に底知れない。
あの日、砲撃はそう長くは続かなかった。そして、悠然とアイアンリバーが停車していたことも、アンはある程度把握していた。救助対象の列車が、ついに走行不能に陥ったためだった。停車したデザートラインの群れなど恰好の的だったろうに、マグニフィセントは攻撃を続けなかった。
そのこともアンにしてみれば前段未聞のことのように思えたが、コチョウたった一人を前にして、敗走したのだと聞いて、さらに驚くしかなかった。
どこまで。フェアリーとは何なのか。すべてが、コチョウの桁外れな戦闘能力と、謎だらけな存在に、リリエラが惹かれたのも、どこか理解できるような気分になったものだ。
『旅団内の問題である。外部からの干渉は看過できない』
元老院は強気であり、マーガレットフリートのやり方を考えれば、当然そうだろうという態度でもあった。マーガレットフリートは、もともと内部事情を知る人間が、外に出奔することをほとんど許容しない。アン自身、今も捜索されている身だろうという自覚もあった。
『たとえ内部事情がどうであれ、無辜の民を一方的な暴力で蹂躙する方針を、アイアンリバーは受け入れない。そのような選択を貫かれるというのであれば、我々はそのような貴君らの行動を強く非難し、我々はそのような暴力に晒されている民を、たとえ他の旅団の人々だとしても、見殺しにすることはないと宣言する』
主張は真っ向から対立しており、アイアンリバー側も、争いを避ける気は全くないという対決姿勢を見せていた。実際、そうやって他のデザートラインの者達を保護しても、そうやすやすと限界を超えることはない生産能力と文化レベルをアイアンリバーは有していたし、アンから見ても、ただフェリーチェルが理想を語っている訳ではないと理解できた。現在最大規模の旅団であるアイアンリバーのあらゆる文化レベルは、そのどれか一方面に特化している旅団をも凌駕していて、人類がもっとも栄華を誇っていた時代から、そっくりそのままを持ち込んできた、と言われても納得しそうなレベルだった。そう。軍事面においても、だ。
「勝てる訳がない」
と、アンはやり取りを聞きながら、ぼやいた。老人達の無謀に、彼女は腹を立てていた。
「アイアンリバーをただのデザートラインの群れだと思うておるのか。まったく愚かしい」
すり潰されるのはマーガレットフリートの方だ。いや、それよりも酷いことになりかねない。なにしろ、だ。
「アイアンリバーだけでも勝ち目がないというに、あのフェアリーに狙われたら、マーガレットフリートなぞ、ひとたまりもないわい」
「確かにな」
ハワードも同感だと頷く。間違いなく、マーガレットフリートが壊滅する未来だけが予測できた。
「おそらく今アイアンリバーと戦えば、間違いなくコマチがアイアンリバーに加勢する」
真っ向勝負では、まったく話にならない。二人の意見は、その見解で一致していた。
「そもそもじゃ。車両が老朽化しとるのは昨日今日の問題ではないじゃろうに。老朽化して、満足に走れん車両を廃棄処分するしかないことはまだ分かる。それにより収容しきれなくなった市民が出る事情も分かる。じゃが、だからと言って、余所に行かれては困るから他の列車に収容する必要がない市民を切り捨て、車両と一緒に殺そうというのは、もはや、人間の発想ではないわい。そんな鬼畜同然な決断をする旅団に、未来なんぞあるものか」
かといって、自分に何ができるのか。アンは苦悩した。このままアイアンリバーにいて、何もしないのは元老院のやることを黙認しているのと変わらない。だが、マーガレットフリートに戻るとして、自分はただのお飾りの女王でしかなく、何の権限も権力もない。元老院の無法に対して、お願いをすることしか認められていないのだ。そして、元老院が、彼女をお願いを聞いたことは、今まで、ない。
『であれば、アイアンリバーによる大量の人攫いが行われたと発表し、我々マーガレットフリートは、アイアンリバーとの開戦を宣言させてもらうことになる。双方に大きな被害も出よう。アイアンリバーが戦争を望んだという公表もさせていただく。良いのだな?』
あくまで、戦争はアイアンリバーが吹っ掛けてきたもので、あくまでマーガレットフリートは被害者面を決め込むつもりなのだ。とはいえ、そんな理屈が通る訳がない。アイアンリバーが対抗して、マーガレットフリートが自分達の市民に対して行おうとした非道を公表されるだけだということも分かっているだろう。そうなれば、世界的に非難されるのは、マーガレットフリートの方だ。
『如何なる脅しを受けようと、無辜の民を虐殺しようとする貴君らの所業を、アイアンリバーは看過しない。それだけである』
対して、アイアンリバーの対応は、あくまで主張の一貫を通した。フェリーチェルの頑なさは、アンが聞いていても気持ちのいいものでさえあった。清々しいまでに、折れそうにない芯を感じた。
『では、我々は攫われた自旅団の市民の解放の為、アイアンリバーへの攻撃を辞さないことを宣言する』
ただ、折れないという点では、元老院も、同様だった。マーガレットフリートのこれまでの方針を鑑みれば、折れる訳がない、むしろ、折れる訳にはいかないのだということも、アンには理解できた。共感や同意は、これっぽっちも、できない。
「痴れ者共が」
思わず、アンの口から悪態が漏れた。壊滅への引き金を引きおった、彼女が思ったのはそれだけだった。
『アイアンリバーへの敵対、理解した。こちらとしても残念である。如何なる攻撃であろうと、アイアンリバーへの攻撃をそれらがされた場合、こちらも応戦させてもらわざるを得ない。ゆめゆめご再考を推奨するが、貴君らが曲がれぬというのであれば致し方がない』
アフェリーチェルも、応戦を辞さない表明をする。おそらく、まともに襲ってくるのであれば、手心くらいは加えるつもり、くらいの認識でいることだろう。マグニフィセント程度で、アイアンリバーが引っ掻き回せるとも、アンは思えなかった。
「このままでは」
アンは唇をかみしめ、自分がどうしたらいいのか、と苦悩した。このまま放置すれば、元老院は市民の多くを使い捨ての盾として使うのだろう。そんなことをすればマーガレットフリートはいずれ滅んでしまう。元老院がそれで壊滅するのは勝手だが、市民達の犠牲を考えると、もどかしかった。
「ハワード、私に何ができるじゃろう」
「今のところ、どうすることもできんな。どうにかしたいなら、人を集めることだ」
ハワードは、そんなアンに具体的なアドバイスはしなかった。できればこのまま、アイアンリバーの農園列車で暮らした方が、アンにとっては良いのだろうと、考えているふしがあった。
『切られたね、通信』
フェリーチェルの声だけが聞こえてくる。元老院が、一方的に通信を切断したらしい。フェリーチェルも、彼女の決断が正しいものだとは、思っていないようだった。
『アン女王は、どうするの?』
だが、同時に、どこか冷たくもあった。フェリーチェルは、アンに向かって、内部通信越しに、決断を迫った。
『こっちにいればむこうには帰れなくなる。むこうに帰ればこっちにはもう来られない』
アンはその放送を聞いているだけで、彼女がいる部屋に発信装置はない。行動で示せと言われているのだと、アンは受け取った。