第三〇話 ビギニング
マグニフィセントの重砲撃列車の追撃を振り切り、マーガレットフリートに棄てられたデザートラインは、荒野を一直線に走る。
実際のところ、列車の状態は、廃棄も止む無しといったところで、車両は走行中良くない軋みを上げっぱなしで、出力こそ一応の安定は見せているが、いつまでもつか分からない程に、システムの老朽化は顕著に表れていた。まるで悲鳴を上げながら逃げ続けるように、デザートラインは、騒々しく駆けた。
そして、それは、不幸にしろ、幸運にしろ、遠距離からでもその存在に気付かれやすいということでもあった。今回は、それは幸運の方に天秤が傾いた。
異常な走行を続けるデザートラインを、最も早く外部から発見したのが、アイアンリバーだったのだ。アイアンリバーの、中央帝宮と呼ばれている列車の中にいた、フェリーチェルの耳にも、その報告はすぐに届いた。
「マーガレットフリートの一般車両が、何故か、同じマーガレットフリートの武装車両に追われているみたい」
フェリーチェルに報告を持ってきたのはエノハで、ちょうどフェリーチェルの傍にいたカインも、その報告を聞いた。
「何が起きているんだ?」
カインには理解できなかったが、
「マグニフィセントね。老朽車両を廃棄しようとして、奪われたのかな」
フェリーチェルは報告を聞いて、そう推測した。
「一編成失うとなると、市民の収容スペースにも問題が出るよね。市民ごと捨てられて脱走したのかも」
エノハの推測はそうだった。車両を廃棄すれば、一人当たりに割り当てられる床面積は当然減少する。廃棄する車両で暮らしていた市民を全員収容すると、まともな生活が保障できなくなることも少なくなかった。そうなると、非情な決断となるが、いなくても問題のない市民や、いても問題にしかならない市民から、追い出すことになる。
実際の処、世界的にみれば、珍しい話ではない。既にデザートラインの老朽化については、待ったなしの問題になっている旅団ばかりだ。むしろ、まだ数年しか運用年数が経っていないアイアンリバーが異常に新しいといえた。デザートラインを新造する技術も、資源もなく、デザートラインでの暮らしも、破綻寸前の旅団は多い。
「助けるかい?」
アイアンリバーの頭脳たる女性達の会話に出口が登場しないことは、時々ある。二人が判断に自信が持てない時だ。そんな時に、会話の出口となる判断を求め、尋ねるのはいつもカインの役目だった。
「反社会的な人間しか乗っていないってこともあるんだよね。うーん、どうしよ」
フェリーチェルは人形の体をゆすり、椅子の上に身を起こすように姿勢を直した。
「マーガレットフリートは封建的で、階級意識も強いって聞くけど。最下級に犠牲を強いただけって可能性もあるよ?」
エノハはむしろその意可能性の方が高いのではないかと穿った。二人の中に当然明確な答えはなく、推論は可能性の域を出なかった。
「それはそう。私も分かってはいるんだ。だから悩んじゃうんだよね」
どちらに決めるにも、決め手がない。フェリーチェルは大きなため息を吐いた。
「だったら、分かる人に聞くしかないんじゃないか? 確か関係者がいるんだろう? 姫」
カインはフェリーチェルのことを、姫、と呼んでいる。会ったばかりの頃から、今まで、ずっとそうだ。その呼び方に対して、できればやめてほしいと思うフェリーチェルだったが、カインの尊敬と信頼の気持ちからの呼び方だと分かっているから、嫌だとは、強く言えていない。
「そうだね。アン王女と、オースティン殿に意見を貰おう。エノハ、ちょっと頼める?」
読んでほしいと、フェリーチェルがエノハに頼むと、
「うん。任せて」
すぐに連絡をとると、エノハは頷いた。アン王女達は、農園列車で農家の手伝いとして、土いじりや家畜の世話に精を出しているという。その傍には、ずっとスズネがつきっきりで護衛しているのだ。スズネとエノハはデバイスなしで言葉を交わせる技術を習得していて、それはコチョウの弟子として過ごした期間に素養が養われ、コチョウと行動を共にしなくなってから覚醒した能力だった。
「スズネ。アン王女達と少し話せる?」
便利なもので、その能力は、スズネやエノハのすぐ傍にいる人物であれば、他人を巻き込んで会話することもできる能力だ。その能力のお陰で、フェリーチェルも、スズネをアン達に同行させておくだけで、アン達の安全を毎日確認することができた。
『少々、お待ちを』
スズネの応答は早い。さらに、呼び出されたと知ったアンの対応も、それ以上に早かった。
『作業しながらで良ければ聞くのじゃ』
「怪我しないでね」
フェリーチェルの声も、ばっちり向こうに届いた。
『朝飯前じゃ。私は生まれを間違えただけで、農民が転職だったのかもしれんわい』
アンの声は明るかったが、ふざけているという訳ではなかった。
『私達に用となると、マーガレットフリート絡みで何か問題が起きたんじゃろか?』
「そう。マーガレットフリートの老朽車両が、マーガレットフリートの戦闘車両に追われてる」
アンに単刀直入に聞かれたのを幸いと、フェリーチェルも単刀直入に答えた。アンはしばらく答えに困ったように黙ってから、
『どういうことじゃ?』
フェリーチェル達にではなく、おそらく傍にいるのだろうハワードに疑問をぶつけたような困惑の声を上げた。
『型式は分かるかね?』
アンに回答が難しいと判断したらしく、ハワードも自ら会話に応じる。彼の問いに、
「分かる?」
今度はフェリーチェルが傍らのエノハに向かって問いを投げかけた。
「壱参肆漆玖甲」
と、エノハが答える。アシハラの血を引く者達が製造したデザートラインに使われていた型式名だった。
『最初期の車輛だな。葦原諸島国の鋳造師でなければ、成型の精度が保てなかった頃の』
だとすると、と、ハワードは続けた。
『乗っているのは、運行技師達以外、最下層の貧民達だ。運悪く、すべての財を失った』
「犯罪者や働けない人々という訳ではないんだね?」
フェリーチェルが問うと、
『中にいるかもしれないが、ほとんどは本当に運がなかっただけの普通の市民達だ』
と、ハワードは認めた。フェリーチェルには、ハワードが嘘を吐いたり、他者を陥れたりするような人物だとは思っていない。彼が普通の人々というのであれば、間違いなくそうなのだろうと。
「それなら、助けるのを躊躇う必要はないね」
彼女には迷う理由はなくなった。エノハやカインを見て、二人が頷くのを頼もしげに感じた。
『だが、マーガレットフリートの問題に横槍を入れれば、敵対を表明したのと同じだ』
ハワードは、その覚悟があって助けに入るのかと、問う。それは当然の心配だ。マーガレットフリートが、黙ってアイアンリバーの横槍を流すことはないと、彼は十分に理解していた。
そして無論、フェリーチェルもそれは理解していた。だが、それよりも、大事なことが、彼女達にはあった。
「アイアンリバーは、罪のない人々が謂れのない不遇な扱いを受けていることを看過することはないよ。相手がマーガレットフリートであろうと、断固として立ち向かうことに、躊躇いは絶対にないと断言する」
フェリーチェルの力強い言葉に、
『うむ。有難い。私はこれまでそのような非道が罷り通っていたとは知らなんだが、じゃからとゆうて言い逃れをする気はない。身内の恥を忍んで頼むのじゃ。すまぬが、助けてやってくれぬじゃろうか』
アンも、自らの罪と言わんばかりに、フェリーチェルに決断を貫徹することを、懇願した。
『身内のこととはいえ、私も赦したくはないのじゃ』
「あなたが気に病むことはないよ。あなたのせいじゃない」
フェリーチェルは、アンの立場も、ある程度理解していた。アンはあくまで象徴君主で、彼女の意志は、旅団の在り方にまったく影響力を持たないことを、知っていた。
「エノハは冒険者達に、カインは正規軍に交戦の準備要請をお願い」
とはいえ、アイアンリバー全体の意思決定を、フェリーチェル達三人の間だけで決めることはできない。最終決定権は主導者であるフェリーチェルにあるとはいえ、それを支える議会がアイアンリバーには存在していて、フェリーチェルがアイアンリバー全体に、協力要請を発令する時には、彼等との合意を、形の上だけでも必要とした。
「私は議会と交戦開始協議をしてくる」
すぐにそれは終わるだろう。議会が反対するとは、彼女も疑ってはいなかった。