第二七話 トランセンデント
つい先刻まで悠然と腕組みをしてシャリールを見ていたギャスターグは、一転、今度は、腕組みをした挑発的な態度で眺められる立場になった。
コチョウはシャリールとギャスターグの間を遮るように浮き、その尊大な態度とは裏腹に、ギャスターグには、手を伸ばして握りつぶせば殺せそうな、僅か身長三〇センチメートル程のフェアリーにしか見えなかった。
「馬鹿な」
だが、間違いなく。
彼の手勢の首を、一瞬で全員刎ねた人物であることは事実なのだ。恐るべきフェアリー。それが遥か昔に滅んだ筈の種族でもあることは、ギャスターグも知るところだった。
コチョウはギャスターグの一党だけを蹴散らし、だが、彼等に捕まっていたエニラとマールを巻き込むことはなかった。気を失っていた二人は飛ぶことができずに落下を始めたが、無造作にコチョウが超能力で受け止めて浮かすと、その反動で彼女達も目を覚まし、すぐに状況を理解したように、自力でシャリールの傍らに飛んで行った。
「何者だ」
乾いた声でギャスターグが聞く。手勢を失い、完全に余裕は消え失せていた。
「主役さ」
コチョウが不敵に笑う。言葉の意味は、リリエラにも、シャリールにも分からなかった。リリエラはコチョウの超能力で受け止められ、浮遊状態でシャリールの背に戻された。それを阻む隙など見当たらないことは、ギャスターグにも理解できた。
「お前如きに使う時間はない。今回は見逃してやる。行け」
コチョウはどこまでも高圧的で、まるで子供を相手にするように、ギャスターグを追い払う素振りを見せた。殺すのは簡単だが、殺す意味も、コチョウは見出していなかった。
「シャリール。お前もだ。さっさと仲間を追え。時間が惜しい。急げよ」
「は、はい。ですが」
シャリールからすれば、ここで助けられただけでは足りない。とはいえ、今の状況で、更なる頼み事など口をすれば、コチョウの機嫌を確実に損ねる気がして、言葉が続かなかった。
「察しの悪い奴だ。馬鹿」
と、コチョウが舌打ちする。彼女が横目で見るようにシャリールを振り向くと、ほとんど本能的に反応してしまったのだろう。その隙を狙ってギャスターグはコチョウに殴り掛かった。
「あっ」
「だめ」
シャリールも、リリエラも、無理だ、と瞬時に確信した。自殺行為だ。コチョウに、例え彼女の視線がはずれたとしても、隙などある筈もない。
案の定、拳は防がれた。そして、苦悶の表情を浮かべたのは、リリエラ達も予想した通り、ギャスターグの方だった。彼の拳は、あろうことか、コチョウの、人差し指と親指の指先だけで受け止められた。あまつさえ、ギャスターグの拳は、軽々と、押し返された。
「頭の悪い男だ」
コチョウが視線を戻す。侮蔑の表情すら浮かんでいなかった。圧倒的な無表情だ。つまりは、無関心だと分かる態度だった。
「もう一度言うぞ。お前如き小物に用はない」
「く。何故だ。俺がこんな豆粒に。ここまで虚仮にされることなどあっていい筈が……」
コチョウに受け止められた時に痛めたのか、手首を押さえながら、ギャスターグが呻いた。去ろうとしない彼に、コチョウはやや苛立った表情に変わったが、自分がコアアイランドに留まる理由も彼女にはないことを思い出し、
「行くぞ。ついて来い」
結局、自分の方がシャリール達と去る方を選んだ。ぽつねんとギャスターグだけが現実を受け入れられない表情のまま残され、彼は、コチョウを追っては来なかった。
「一党はどうなったんですか? シャリールさま」
ふらつきながら飛ぶマールが、シャリールに問い掛けると、
「ひとまず、今回は難を逃れました」
幸運を喜ぶといった様子もなく、シャリールは複雑な顔を見せた。それから、彼女は大きく安堵のため息を吐き、
「それで、その。ありがとうございました」
コチョウに視線を戻した。コチョウは、先頭を切って飛んでいた。
「お前が手下を守れるかなんざ、ハナから期待してない。気にするな」
コチョウはどうでも良さげに言い、シャリールの頭の上に止まる。髪の上で踏ん反り返った姿には、まさしく妖精らしさの欠片もなかった。
「だが、悪かったな。お前達が壊滅するまで気付かないとこだった。それは謝っておく」
「え?」
コチョウの殊勝な謝罪に、シャリールは驚きを隠せなかった。まさか、コチョウに気に掛けられていたとも、知らなかった。
「正直な話をするとだな、お前達に全滅されると、話がややこしくなる。私も困るのさ」
と、コチョウは素直に明かした。
「お前達がアイアンリバーとうまくやってくれないと、全部が手遅れになる。分かるだろ」
「じゃあ」
と、シャリールが期待の声を上げかけ、
「おっと。そいつは駄目だ。今はあいつらには紹介できない。時期が悪い」
しかし、コチョウはその期待には応えられないと訂正した。フェリーチェルにこれ以上負荷をかけるのはまずいと踏んでいた。
「あの時、お前を守らせた連中。忍者共だ。連中の里には連れてってやる。あとは自力だ」
と。自分が間に入らない方がうまくいく。コチョウはそう確信しているようだった。
「仲介は奴等に頼め。その方が早い」
「あなたは何を?」
それでも、シャリールは納得できない様子だった。世界規模の問題であれば、コチョウくらいの力がなければ太刀打ちが利かないと思えたのだ。自分は当事者ではないと言いたげなコチョウの態度に、不安を隠さなかった。
「お前達が駄目だった時のことを考えにゃならん。ぐずぐずしてるようなら、敵対だな」
要するに、利害が一致しなくなる訳だ。そのことも、コチョウはあけすけに語った。
「私は、お前達と違ってコラプスドエニーはどうでもいい。それは理解できるよな?」
と説明され、
「そういうこと、ですか」
さも心細そうに、シャリールは頷いた。コチョウならそうだろう。シャリールにも理解できた。だが、だから納得できるか、そして、仕方がないと思えるか、は、別の話だ。
「頭の中にいるっていうひと達が、あなたを止めてくれればよいのにと思います」
そんな言葉を、シャリールが苦笑いと一緒に口にする。リリエラにとっては初耳の話だ。
「どういうこと?」
口を挟むと、
「気にするな。以前の話さ」
とだけ、コチョウは答えた。詳しく話すつもりは、コチョウもなかった。話せば、リリエラ達が、自分達の生存とは別の問題を更に抱え込むことになる。面倒臭いノイズは、ない方がいいのだ。
「あれか」
コチョウが前方を見る。彼女達はコアアイランドの上を通り抜け、浮遊する陸地のない空の只中に、一団のモンスターの群れを見つけた。半数は飛んでいて、その半数より少ない数の、翼をもたないモンスターが、ぶら下がったり、背に乗ったりして、運ばれていた。ざっと見て、飛んでいるのが二〇体、運ばれているのが七、八体といったところだった。大型のモンスターもいない。
「少ないな」
コチョウは笑った。
「私に、大所帯の責任が、背負いきれるとお思いですか?」
拗ねたようにシャリールが答える。
その姿に気付いたらしく、一団は、喜びと安堵の叫びを上げながら、向こうからも出迎えに来た。
「それに、あなたが来てくれる前に、だいぶ被害が出ました」
「そうか」
コチョウは悪びれた様子も見せずに頷いたが、それが素振りに出そうとしていないだけのことだということは、シャリールにも、リリエラにも、感じ取れた。
「ところで、どうやってこの場所を見つけたのですか?」
シャリールが聞くと、
「何だ、お前は何も知らなかったのか」
呆れたように、コチョウはため息を漏らした。だが、仕方がなかった。コチョウがここに来られたのは、リリエラがあらかじめ信号を発していたからだったが、そのことは、シャリールには伝えなかったからだ。
「ケミカルマンシーは、大きなことはできないけれど、結構いろんなことができるのよ」
リリエラも、シャリール達が今回の闘争を切り抜けられるとは考えていなかった。だが、偶然助けが入る奇跡を期待するのも、無意味なことだ。それでリリエラが導き出したのは、
「このひとなら勝てるなら、このひとを呼び寄せれば良いのよ。シンプルな話でしょ?」
化学反応で信号を送る、という答えだった。
「随分雑な信号だからすぐに分かったしな」
わざとそうしたな、と、コチョウは笑った。
「良い判断だった。でかしたぞ、お前」