第二三話 アドベンチャラーズ
アイアンリバーは、もともと人形劇の為の“箱庭”の中にあったもので、旅団の中の住民達のほとんども、もともとは人形だった者達だ。それをコチョウが本物の人間やドワーフ、エルフなどに変え、現実の世界に連れ出してきた経緯がある。
故に、アイアンリバーでは、古来コラプスドエニーがそうだったように、まだ混血が進んでいない、純粋な人間以外の種族がいることは、普通のことだと思われている。
勿論それは、世界的に見ればアイアンリバーの方が特異であって、他の旅団で、人、以外の種族を見たことがある者はいない。アンも、ドワーフの血が残ってはいるものの、自分自身をドワーフだと思ったことはない。
「ドワ」
と言ったきり、アンは言葉が続かなくなった。本物だ。本物のドワーフを、アンは生まれて初めて見た。今の時代、絶対に見ることがないと彼女は思っていた、純粋種だ。あまりの驚きに、頭の中が真っ白になるのも、無理のない話だった。
アンが案山子のように棒立ちになり、微動だになっていると、
「はっはっはっ。見ろ、お前があんまりにもむさいもんで、嬢ちゃんが怖がってるぜ?」
店のテーブルの方から、霹靂のような大きな笑い声が聞こえてきた。
「えっ」
一瞬びくっと身を震わせ、アンが店内で視線を巡らせると、三つあるうちの、入り口から一番遠くにあるテーブルに、三人の男達がいた。笑っているのはそのうちの一人で、尖った耳が印象的な、革鎧を着た男だった。
「エルフか」
と、ハワードも呟く。実際、二人はエノハを知っているのだが、通信越しに話したことがあるだけで、実際に彼女を見たことがなかった。それで、エルフの男に驚いた。
エルフについて、アンは古い書籍の内容しか知らない。書籍には、上品で、美しさを貴ぶ種族だったと書かれていた。それがどうだ。
「おめえの声の方が怖いってよ」
店主のドワーフに逆に笑われている男は、品格という言葉から真逆な態度を示していた。
「うるせえよ、ヒゲオヤジ」
なにより、筋肉が付きすぎている。テーブルを打ち鳴らす拳は、まるで巌のようだった。
「んだと? 出禁にするぞデクノボウ」
「客なんざ俺等の他にほとんど来ねえくせに」
店主とエルフの言い合いは、まさに同類といった風情で、荒くれの類と言って差し支えなかった。
「いつものことです。気にしなくても殴り合ったりは、しませんから。心配いりません」
慣れているのか、スズネはそんな風にのほほんと笑って、それでも言い合いに巻き込まれては御免と言いたげに、空のテーブルをひとつ間において、店の入口に一番近いテーブルを選んだ。
「う、うむ」
アンはそれでも気が気でない。今にもどちらからともなく暴れ出しそうな店主とエルフの男の勢いに、完全に弱気を隠せなかった。
「初めてですよね、冒険者を目の前でご覧になるのは。それでは、柄の悪さに驚くのも、無理はないかと」
スズネは愉しむように首を傾げると、一枚のプレートをテーブルの脇から取りあげ、アンの前に置いた。プレートはくすんだ金属製で、何行もの文字が刻まれていた。
「?」
アンはプレートの文字を見下ろし、怪訝に思いながら首を捻った。そして、ハワードを見る。プレートのそれぞれの行には、単語、あるいは、二、三個の単語から成る短い言葉が記されている。アンには、それが文章には見えなかった。読めないのではないが、名詞、或いは、形容詞で修飾された名詞だけが書き連ねられていたのだ。さらに、それらの単語を、アンは学んだことがなかった。
「すべては俺にも読めないな。知らない単語がある」
と、ハワードもプレートを見下ろして認めた。彼の知識の中にもない言葉が混じっていた。
「分かる内容から推測するに、これは提供される飲食物のメニュー表だ」
「飲食物じゃと?」
もう一度プレートを見下ろし、アンが困惑の表情を浮かべる。やはり、意味が分からない言葉ばかりが踊っている。
「ほう、ミートパイか。ハイエアで最後に食べて以来だ。何の肉だろうな」
懐かしそうに呟くハワードに、
「うちのは羊だよ」
ドワーフの店主が手の埃を払うような仕草をしながらテーブルに寄ってきた。奥のテーブルも静かになっている。エルフ達が大人しくテーブルの上のものと格闘を始めているあたり、アン達には店主が勝ったのだろうと見えた。
「余所から来たのか? アイアンリバーに来たばかりの奴はだいたい面食らうらしいな」
店主はそう言いながら、首を鳴らし、
「そうなら今日はオートミールの粥にしときな。いきなり普通の飯は胃にきついからな」
そんな風に、普通のメニューを食べるべきでないと真剣な目でアンとハワードを見回す。
「どういうことじゃ?」
アンは理解が及ばず、思わず聞き返した。そんな彼女の様子に、店主は僅かに笑みを投げ返した。
「作物をごろっと使った飯は、食ったことがないんだろ? 粉を捏ねたんじゃない奴だ」
「芋を丸ごと、とか、じゃろうか?」
マーガレットフリートでは考えられないことだ。なんとか腐れていないというだけの、車両の中の土でも育つ作物は、芋や玉蜀黍くらいしかない。玉蜀黍は、粒のままではまずくて食えたものではない、硬粒種ばかりで、粉にして焼き菓子の生地にすることがほとんどだ。
「はっはっはっ、嬢ちゃん芋がそんなに好きか。だが、さっきも言ったが今日はやめとけ」
店長は笑い、奥のテーブルの男達も、僅かな笑い声を漏らした。店主はこうも言った。
「芋なんぞで良ければ、明日また来れば腹いっぱい食わせてやる。正直お勧めはせんがな」
「……」
アンはその言葉だけで腹いっぱいになりそうだった。通りを歩いいた時に、だいたい分かっていたことでもあるが、アイアンリバーの食文化は、マーガレットフリートと比べるまでもなく段違いだ。
「しかし、どこからそれだけのものが?」
一方で、ハワードは種や動植物を、何処から持ち帰ったのか、しきりに不思議がった。荒廃した世界に、それだけの動植物が見つかっているのであれば、ずっと昔に人々の間で取り合いになっていた筈だ。少なくとも、地上では、これ程の豊かな幸を見つけることができる筈もなかった。
「それは、難しいお話ですね」
スズネは微笑み、
「すみません。オートミールの粥で、お願いします。スズネの分は、結構です」
と、店主の薦めを受け入れることも忘れていなかった。店主はそれを聞いて、満足そうに頷くと、カウンターの奥へと戻っていった。それを見届けてから、スズネがアンとハワードに視線を戻す。
「スズネには、詳細は、分かりかねます。宜しければ、農園列車を、見学していただくのが、早いかもしれません。重要な畑や牧場には、立ち入ることができませんが、中には、見学を受け入れている畑もあります。ご希望でしたら、スズネも、案内できますよ」
「それは、後学の為にも、ぜひ見たいのう」
スズネの案内に、アンも食いついた。ハワードも興味深そうに、頷く。
「そうだな。伺わせてもらおう」
「では、明日以降に。夜間は、見学できませんので」
スズネが頷き、手を打ちあわせたその時。
社内の何処からかだろう、高く長く繰り返される、警告の喇叭のような音が響き渡った。
「おっと」
それに反応したのは、奥のテーブルにいる男達だ。すぐさま三人とも立ち上がり、食事が残っているにもかかわらず、
「親父、幾らだ?」
勘定を済ませようと聞きはじめた。
「いい。あとで戻ってきて残さず食え。行ってこい」
店主は、そんな三人に短く笑い声をあげ、向こうを向いて調理を続けたまま、背中越しの声で三人を送り出した。
「おう。分かった」
と、男達も反論はせず、店を駆け出て行く。面食らってそれを眺めているアンだったが、スズネの、
「冒険者の方々ですから。アイアンリバーは、彼等のお陰で、営みを保っています」
という説明に、
「さっきもいわれとったのう。冒険者とは?」
我に返ったようにスズネに聞き返した。
「アイアンリバーには、パペットレイスはおりません。同じような役目を引き受けてくれる、命知らずの冒険者達がいてくれますから。スズネ達には、必要がないんです」
スズネはそう話す。また唖然とするアンに代わり、
「すると、敵襲のサイレンか?」
警告音について、ハワードが尋ねた。
「はい。この鳴り方は、モンスターの襲撃ですね」
スズネは頷いて、笑った。緊張はなかった。