第一五話 双頭
コチョウが縦穴の罠をすべて破壊し終えたのは、当初の彼女の見込みよりも二日間が更に経過した日だった。縦穴の天辺の金網を外すと、そこは、のっぺりとしたよく分からない材質できた通路の隅だった。通路は薄暗く、点々と壁に掛けられた松明の火が揺れていた。通路の長さは一〇メートル程だろうか。片方は両開きの扉、片方は鉄の門が下ろされていた。
空気は淀み、冷ややかで、そして、静まり返っていた。門の向こうから、低い唸りと、巨大なものが退屈そうに身動ぎする気配が伝わってきた。
「遺跡か」
コチョウは呟き、まずは扉を目指した。モンスターと戦うこと自体はやぶさかではないが、無駄な面倒でも挑みかかる程の戦闘狂ではないつもりだった。
扉は金色だが、ただのメッキであり、黄金製という訳ではなかった。だが、中まで金属なのは間違いないらしく、開けようとするとそれなりに重かった。
両開きの扉のうち、右側だけを開けて抜けると、宝物庫と思しき部屋だった。残念なことに行き止まりだ。だが、そこにある、一着の女性用のローブに、コチョウの目が留まった。うっすらと青白い膜が掛かったようにも見えるが、衣装自体は黒い。青白く膜が見えるのは、どう見ても魔法の力を宿しているからだった。
コチョウはローブの傍まで飛び、凝視した。ろくでもない冒険者共から奪った経験の中には、装備に掛けられた魔法を感知し、判別する術の知識もあった。
「こいつはすごい」
おそらく売れば一〇〇万は下らない逸品だと、コチョウは把握した。彼女が判別した限り、呪文やブレスの軽減、病毒、催眠、麻痺、魅了、即死、ドレインという、ほぼ完璧に近い耐性を備えた装備であることが分かった。肩のあたりや首元に金属製の装飾があり、死霊を思わせる痩せこけた上半身の人型に囲まれた髑髏の意匠になっている。呪われそうな程に悪趣味だが、コチョウは、別に嫌いではなかった。色が黒というのも悪くない。彼女はローブに手を伸ばした。
魔法の装備というものは、たいていの場合、所持者の体格に合わせて大きさが変わるものだ。コチョウが触れると、ローブは彼女が着るのに丁度いい大きさまで縮んだ。コチョウは呪われるかもしれないリスクも顧みず、躊躇いなくそれを着込んだ。
事実、その装備は呪われていた。しかし、コチョウにはその呪いはまったく意味のないものだった。装備者からの良心の喪失。そんなものは、コチョウには、ほぼなかった。
コチョウは他に使えるものがないか、宝物庫を漁り、チャクラムを二個発見した。コチョウはローブの腰に、そのチャクラムを下げた。威力が少しだけ上がるだけと、魔法のローブと比べるとたいした代物ではないが、この手の魔法の武器の最大の利点は、投げてもなくならず、転送されたように手元に無限に出現するということだ。遠距離直接攻撃手段としては、これ程便利なことはない。
魔法の装備一式で身を固めることができたコチョウは、満を持して門の先に挑んだ。何がいるかも分からなかったが、活力も魔力も申し分ない状態だった。
門の鉄柵の間は、フェアリーがすり抜けるのには十分の隙間だった。コチョウが門を開ける必要はなく、その先の大広間に飛び出した。
瞬間、巨大な顎が襲い掛かって来た。それは巨体をもった怪物の尾にあたる部分で、しかし、尾ではなく、爬虫類の頭がついていた。
「キメラか?」
コチョウは避けながら思ったが、それにしては、相手が巨大すぎた。全く別の何かに見えた。そして、モンスターが、巨大な蝙蝠の翼を広げたことで、コチョウにもその正体が理解できた。
「アンフィスバエナかっ」
それは巨大な体の前後に首を持つ竜だった。
ファイアドレイクの比ではない。危険すぎる相手だった。宝物庫で見つけたローブごと引き裂かれても驚かない相手だ。コチョウは距離をとったが、アンフィスバエナの巨大は大きく、巨体の前後についた双頭はなおもコチョウに追いついてきた。
チャクラムを投げて応戦するが、硬い鱗に弾かれるばかりで、全く手傷を負わせるに至らなかった。ダメージを与えることが出来なければ即死させることも叶わない。コチョウは部屋が十分に広いことを活かすつもりで、複雑に飛び、徹底的に距離を保った。アンフィスバエナの毒牙から逃れるまでには至らなかったが、アンフィスバエナも首をいっぱいに伸ばしてようやくコチョウに届くという距離は保つことができ、避けることに問題はなかった。
とはいえ、コチョウにもアンフィスバエナを弱らせる手段がなかった。退路を断つ罠なのか、コチョウが入って来た門、それとは逆側に見える通路の入口には、光る壁が出現していて、広間を退くことは最早できなかった。戻ってもどうにもならないことは分かっているとはいえ、進むためには、アンフィスバエナを倒す以外の方法がないことは明らかだった。
コチョウが冒険者達から盗み取った呪文の知識は初級呪文ばかりで役に立たなかった。ファイアブレス、アイスブレスは、コチョウの体が小さすぎて、アンフィスバエナの懐に飛び込まなければ届かない。その他、モンスターを狩りまくって得た経験にも、役に立つものはなかった。
残ったものは、生来持ち合わせた、彼女自身の超能力だけだった。コチョウは敵を引き裂く能力を絞り出したが、アンフィスバエナの双頭が執拗に迫り、十分に精神を集中することができなかった。僅かに鱗を裂くことはできたが、肉まではなかなか到達はしなかった。
そして、アンフィスバエナのスタミナは圧倒的過ぎた。結局コチョウの超能力の集中力は決定打になる前に底をつき、不毛な追いかけっこをして広間をぐるぐる回りながら、いつか追いつめられるのは自分の方だと、コチョウは認めない訳にいかなくなった。
彼女に残された起死回生の手段は、相手の懐に飛び込む、だけだった。万に一つの賭けであることは分かっていた。しかし、逃げることもできない以上、コチョウには、勝つか死ぬかの二択しか残されていなかった。
彼女は意を決して、距離を詰めた。残された攻撃手段は、拳のみだった。ファイアブレスやアイスブレスで手傷を負わせるには、竜の鱗は厚すぎる。
そして、コチョウの拳は届く筈もなかった。アンフィスバエナが両の翼をひと振りするだけで、フェアリーの小さすぎる翅は突風に弄ばれ、コチョウの小さすぎる身体は吹き飛ばされた。
当然ながら、迫る顎を、転がるように飛んでいくコチョウが避ける術はなかった。腹を貫く衝撃が襲い、頭蓋が砕ける音を聞きながら、コチョウは、臓腑をアンフィスバエナの口内にぶちまけて、消えた。
それから、暗く、澱んだ半日間が過ぎた。
コチョウが目覚めた時、最初に目に飛び込んできたのは、心配そうに見下ろしている、フェリーチェルの濁りのない両眼だった。コチョウは、看守室のベッドで寝かされていた。
「大丈夫?」
フェリーチェルの声は掠れた。コチョウが死んで戻ってきたという事実が、信じられないようだった。
「そんな訳あるか。想像以上に危険だ」
コチョウは苦笑いした。まだ起き上がれず、体は鉛のように重かった。
「作戦なしでは勝てないな、あれは」
そう認めざるを得なかった。コチョウでも正面から挑んで倒せる相手には思えなかった。
「何がいたの?」
聞きたいという思いと、聞きたくないという思い。両方が入れ混じっている顔で、フェリーチェルの瞳は複雑に揺れていた。
「アンフィスバエナ。あれは強すぎる」
コチョウは、ため息交じりに答えた。
「どうしたもんか。まあ、死にながら、なんとか攻略法を見つけるさ」
泥臭いが、それしかない。諦めるつもりは、コチョウにはなかった。
「無理しないでね」
フェリーチェルはそう言うが、
「無理をしなきゃここでくたばるだけだ。あっちでくたばるのも変わりゃしない」
コチョウには、たいした慰めにもならなかった。勝つしかないのだ。その為であれば、何度死亡回数が増えようが、構いはしない。
「体が重い。少しまた寝る」
そんな風に告げて、コチョウは目を閉じた。フェリーチェルから顔を背けたかったが、寝がえりはうてなかった。