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1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
危急存亡のパペットレイス
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第一六話 デコイ

 あれから、二日が過ぎた。

 つまり、コチョウがリリエラ達の前から姿を消してから、という意味だ。あれだけフェリーチェルに警告されたのちではあったが、リリエラは、荒野で一人歩いていた。

 フェリーチェル、アン、ハワードはアイアンリバーに向かったが、リリエラは別行動を結局選択したのだ。彼女はその選択がどういう意味をもつのかを十分に理解していたが、誰かがやらねばならないことだと、そう考えた。

 二日前、アン達と別行動を選択しなおしたリリエラは、アン達の姿が砂塵の向こうにかすれ、完全に見えなくなってから、上着の裏から幾つかの小瓶を取り出し、ケミカルマンシーを行使していた。それは通常の技術者では原材料なしには成し得ない、化学物質を無理矢理に組成するという行為であり、加えて、彼女がパペットレイス技師であるからこそ可能である離れ業だった。

 パペットレイス位置追跡用ビーコンの復元。だが複製されたそれは、彼女自身の反応を発してはいなかった。

「頼みましたよ、先生」

 リリエラは、アン達とは別行動をとりつつ、ハワードの反応を発信し続けることで、マグニフィセントの鼻を攪乱しようと考えたのだった。アンの足ではアイアンリバーと合流できるまでには時間がかかる。ハワード自身が追跡されることがなくなったとして、何か攪乱の手を打っておかねば、マグニフィセントがアンの身柄を先に見つけるだろうという予感があった。同行しているのが虫型デバイスの為、すぐにその正体が露呈することはないかもしれないが、マグニフィセントの情報収集能力を侮る訳にもいかない。それがフェリーチェルであることは、いずれ発覚するだろう。そうなれば、ことはマーガレットフリートとアイアンリバーの旅団間の政治的問題にまで発展することも、想像に難くない。行き着く先は、戦争だ。

 案の定、マグニフィセントはリリエラが発する信号に食いついた。リリエラの目的はアンがアイアンリバーに辿り着ける時間を稼ぐことでマグニフィセントの撃破ではない。彼女はビーコンの信号を遮断する方法も熟知していて、マグニフィセントの接近の気配を見つけると、信号を遮断して身を潜めてやりすごした。

 撃破を目指すのは危険が大きすぎる。リリエラのパペットレイスとしての戦闘習熟度は、未だマグニフィセントの最下級クラスなら勝てる、といった程度でしかない。探索経験についても同様だ。普通の構成員相手では、そもそも分が悪いのだ。隠れるなら隠れることに徹する、戦うなら戦うことに徹する、のどちらかにリリエラが振り切って、やっとなんとか対応できることを肝に銘じなければ、囮にもなれない筈だった。

 マグニフィセントは執拗で、組織的だ。ただ逃げ回っているだけではいずれ追いつめられてしまうことはリリエラにも理解できていた。

 リリエラが使うケミカルマンシーは物理法則を捻じ曲げて大掛かりな罠を瞬時に生み出すようなものではないが、一方で、化学反応というものは目に見える現象を伴うものばかりでもない。また、化学知識というもの自体が、コラプスドエニーにおいて、あまりに先鋭化した特殊分野で、基礎知識すら持ち合わせていない者の方が多い分野だ。

 マグニフィセントも同様で、化学的な罠を、どのように警戒すればいいのかという知識を、持ち合わせている筈もない。彼等に理解できない、検出しがたい罠を、何処にでも出現させることができるということは、リリエラが有する大きなアドバンテージだった。

 荒野での探索に一日の長があるマグニフィセントと、常人には理解できない知識を有しているリリエラ。分で言えば遥かに人数に勝るマグニフィセントの方が有利なのは疑いようもなく、追いつめられる前に囮の役目を放棄して退散しなければ危険であることも、リリエラは理解していた。それが簡単なことではないことも。

 今回のマグニフィセントの行動は慎重かつ迅速で、前回のような新米や下っ端ばかりではないことの表れだった。それでもこの三日間、マグニフィセントはリリエラが囮で、ここにアンがいないということに気付いた素振りはなく、概ね囮としては役目を果たせたと、リリエラはそれだけで満足だった。十分、結果としては上出来だった。

 リリエラがマグニフィセントを誘い込んだのは、起伏の激しい、見通しも悪い丘陵地帯だ。斜面や崖、地面の亀裂も多く、リリエラが身を隠す場所には事欠かなかった。マグニフィセントは自分達がハワードの反応を追っているつもりで、それ故にアンが傍にいると思い込んでいる。それはつまり、ハワードがアンに危険な地形での移動を強いる筈がないというある種のバイアスがはたらくということでもあった。リリエラが、発見されずに三日もマグニフィセントを煙に巻けた最大の理由だ。

 しかし、それも限界だろう。三日もアンが見つけられないのは奇妙だと、マグニフィセントもいい加減疑い始める。リリエラは包囲される前にさっさと退散することを決めた。あまり無理をすれば、それだけリリエラ自身も、逃げ切るのが難しくなる。

 とはいえ、相手はマグニフィセントだ。簡単に逃がしてくれる訳でもない。大胆に走って逃げるような真似をすれば、却って居場所を知らせるだけの結果に終わる。彼女は慎重にマグニフィセント達の気配から距離を離していき、十分に離れてから一気に距離を稼ぐことにした。

 それは言う程簡単な試みでもなかった。リリエラは隠密の術に長けている訳でもなく、むしろ素人に近い技術しか持ち合わせていない。そして相手は探索及び追跡のプロフェッショナル集団だ。彼女は慎重に移動を続けたが、その度に必ず、誰かに、怪しい気配として勘付かれることになった。リリエラも近づきすぎる愚は冒していないというのに、はるか遠くから嗅ぎ付けてくるのだ。

 ハワードのビーコンと同じ信号を、あちこちにばら撒いてもみた。しばらくはそれでマグニフィセントの追跡を晦ますことはできたが、流石に彼等はそれに引っ掛かる程愚かでもなく、動く気配の追跡の方を優先した。

 振り切れない。

 リリエラはマグニフィセントの実力を侮っていたつもりもなく、むしろ警戒していたつもりだったが、それでも尚甘く見ていたのだと認めない訳にはいかなくなっていった。完全な想定ミスだ。彼女は逃げ出すどころか、逆に自分が徐々に追いつめられていることを認識した。

「まずいわ」

 思わず声が漏れる程に、リリエラは精神的に追い詰められ始めていた。そして、自分が声を発してしまっていることに、しまった、と思う間もなく、マグニフィセント達に、その物音は気付かれた。

 そこから、リリエラの居場所を特定されるのはすぐだった。マグニフィセントは相手がハワードではないことを察知し、慎重に彼女を包囲しようとする。じわじわと、だが確実に狭まる包囲網から抜け出すこともできず、リリエラは、対抗手段を失っていく。

 ケミカルマンシーも万能という訳ではない。身を隠すような隠匿術に使える訳でもなく、むしろ化学的反応という環境の変化を起こす術である為、逆に追跡者に居場所を教えるようなものだ。ケミカルマンシーで解決できない状況に、隠密の技術を持たないリリエラは、ほぼ丸裸でマグニフィセントに追われているのと同じと言えた。

 無理だ、逃げ切れない。

 リリエラは諦め、逆にマグニフィセントの前に自ら出て行くしかないと判断した。それは危険な試みで、おそらくいい結果にはならないだろうと分かっていたが、このまま追い詰められればより悪い結果になるだろうという予感があった。

「止まれ」

 しかし、彼女がマグニフィセントのうちの誰かの姿を見つける前に、リリエラの方がマグニフィセントの一人に発見された。リリエラを見つけたのは、マグニフィセントの女性型のパペットレイスだったが、リリエラは姿を見ることは叶わなかった。リリエラは死角を取られ、背後からいきなり声を掛けられることになったからだ。

「リリエラ?」

 女性が不思議そうな声を上げた。

「貴女、こんな場所で何をしていたのです?」

 リリエラを発見した女パペットレイスは、リリエラのことを知っていた。そして、リリエラも彼女のことを知っていた。声だけで分かった。

「あなただったの、エリス。相変わらず、あなたから逃げ出すのは簡単でないわね」

 相手が悪かった。リリエラはそう悟った。エリスはマグニフィセントの中核メンバーの一人で、魔術的な特殊な能力は使わないが、尾行や追跡の名手だった。

「ハワードとアンはどこ?」

 そして、雑談に応じてくれる相手でもなかった。任務中と任務街では一八〇度人格が違うと言われる程で、任務中は一切の感情を殺したように非情になれるプロフェッショナル中のプロフェッショナルだった。

「私は見ていないわ」

 リリエラは答え、次の瞬間に起こる出来事に備えて、急に身を屈めた。


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