第一三話 ディザスター
そして、コチョウは、存在を認識していたことを明かすように、気だるげにリリエラを横目で眺めまわした。
「駄目だな」
と、鼻で笑い。
「今のお前に話すことはない。まあ、精々、これからも私を探し回れ」
コチョウは、リリエラをからかうように欠伸をした。
『珍しい』
そんな様子に、フェリーチェルが驚きの声を上げる。普段なら他人を鬱陶しがることの方が多いコチョウが、さも、追ってこい、と言わんばかりの態度を見せたことに、不思議がったのだった。
『どういう風の吹き回し?』
「あん? お前は私を何だと思ってるんだ」
フェリーチェルに文句を返すコチョウだが、
『ろくでなしの屑』
フェリーチェルから返ってきた言葉は辛辣だった。今尚、コチョウに対して面と向かって堂々と悪口をぶつける人物は、そうそう居ない。
「違いない」
と、答えが分かっていたように、コチョウも頷いた。自覚はあった。
「だが今は、それは関係ないだろ。私だって何でもかんでも興味を持たない訳でもない」
それから、フェリーチェルの悪口はどうでも良さげに鼻で笑った。
「人並に見込みのある奴には期待もするさ。余興レベルの道化はいないと面白味もない」
『性格わるっ』
フェリーチェルの反応は冷たかった。もっとも、半分は諦めが混ざってもいた。コチョウの根性がねじ曲がっていることは、とうに分かっていた。
『それで、何するつもりよ。どうせろくでもないことしかしないのは分かってるけど、世界を滅ぼすつもりは本当にないんだよね?』
「ああ。嘘は言ってない。わざわざ私が草臥れる必要もなさそうなのも分かってる」
フェリーチェルの問いに、コチョウは不吉に喉の奥を鳴らす。表情が作れない虫型デバイスのフェリーチェルの代わりに、アンの表情が険しくなった。
「どういう意味じゃ?」
と、アンが聞くと。
「頭悪いのか? そのままの意味だよ。そのままの」
コチョウはさも呆れたように両腕を広げた。つまり、彼女が言うには。
「滅びの日は遠くない。近くもないが。一八〇日ってとこかな。正確には確かめてない」
コチョウは確証を得てはいなさそうだった。世界の崩壊までのタイムリミットが迫りつつあることを知りながら、それを僅かな手勢以外に知らせることは、これまでなかった。
「あ……あなたなんでそんな大事なことを黙ってるの」
フェリーチェルが詰ったが、それもコチョウには馬耳東風といった様子だった。大きな欠伸をしながら何でもないように答えた。
「世界はなくならん。生き物が生息できる環境じゃなくなるだけだ。大したことじゃない」
その程度のことではコチョウは滅びない。フェアリーであるが同時に魔神でも竜神でもあるコチョウが暮らしていくのに、生物の生息に必要な環境は必須でもなかった。
「そういう意味じゃお前も私の同類だが、フェリーチェル。お前だって空気すら必要ない」
『そういう問題じゃないでしょう。大問題じゃない。何が起こるのか、何が原因なのか知ってるなら全部話して』
フェリーチェルの問いにも、
「嫌だ。面倒臭い」
コチョウは冷淡だった。そういう奴だとは分かっていたが、世界が滅びると聞いて、面倒臭いのでは仕方がないと、フェリーチェルが引き下がれる訳でもなかった。
『こいつっ』
虫型デバイスが、針状の弾を飛ばした。自動的に追尾し、敵を狙う超小型の貫通弾だ。コチョウはひらひらと手を振って、魔力フィールドでそれを弾いた。
「相変わらず非力だな」
だが、コチョウに媚びない度胸だけは、今でもコチョウ本人も買っていた。攻撃してくる無謀さに、コチョウは満足して笑った。
「まあ、いい。仕方のない奴だ」
全く短気な奴だと言わんばかりにフェリーチェルに視線を返し、コチョウは話し始めた。
「単刀直入に言えば、この世界はもともと生物が住める世界じゃないんだよ。それだけだ」
荒廃が始まった訳ではない。コチョウの結論はそうだった。むしろ、本来の姿に世界が回帰しているのだ。
「開拓地なんだよ。あとは自分で考えろ」
コチョウはそれだけ告げると、勝手に飛び去ってしまった。あっさりと、つまらなそうに。
フェリーチェルは引き止めず、アンは意味の分からない恐怖に呆然としていた。リリエラはコチョウに追ってこいと言われた意味と、駄目だと断じられた理由を考え込んでいて、ただ、ハワードだけは理解している顔で、思案に耽った。ハワードだけがコチョウの言葉の意味を理解できたのは当然で、彼はハイエア・マーガレットにあったセントラルコアが、ただ浮遊大陸を浮かせる為だけの施設でない事も知っていた。
フェリーチェルがコチョウを引き止めなかった理由も単純だった。コチョウが飛び去ったのは北西で、要するに、アイアンリバーが走行してきている方角だったのだ。コチョウは先に向かったのだと、フェリーチェルは理解した。
『ひとまず、私達も、アイアンリバーに向かいましょう』
話ならそこでもできる、フェリーチェルは納得していた。立ち話でする内容でもなくなってきていた。もしコチョウが告げた内容が真実で、本当にコラプスドエニーに滅亡が迫っているというのであれば、もっと多くの者の知恵が必要だ。
リリエラも、今度は行けないとは言いださなかった。フェリーチェルに反論する者はなく、皆、コチョウを追うように、北西へ向かって歩き出した。フェリーチェルは、自分の本体が何処にあるかを察知する事ができる。彼女の虫型デバイスの案内に従ってもらえる限り、皆がアイアンリバーと行き違うおそれもない。前方視界は平坦で開けていて見通しも良い。思わぬトラブルが迫ることもまずなかった。
『それにしても』
フェリーチェルが分からないのは、何故素直にコチョウが、彼女が知っていることを話したのかということだった。フェリーチェルが知る限り、コチョウは、皆が知っておかなければ話が始まらないことに関しては、確かに隠すことはないが、そうでもないことに関しては、結局話さず仕舞いにする方が多かった。今回のことに関しては、確かに皆の未来に関わることではあるが、そんなことはコチョウの知ったことではない筈なのだ。
『コチョウにも何か都合が悪いことがある?』
フェリーチェルは呟き、果たしてどんなことなのかと考えこんだ。箱庭世界を壊した時のように、手下を連れて世界を離れるつもりだからという可能性もあるが、そうだとしても違和感が残った。ここにはコチョウが手下と呼ぶ対象は、誰もいない。
『何だろう』
考えてみたが、フェリーチェルには分からなかった。そんな風に考え込む虫型デバイスの隣まで近づき、
「世界が失われて平気な者などおるのか?」
普通の感性で言えば当たり前のことだ。アンはコチョウを知らない。そもそもの疑問を抱くことも自然なことで、フェリーチェルもそのことを笑いはしなかった。
『コチョウは少なくとも気にしないよ』
ごく自然に、それが普通のことのように、フェリーチェルは答えた。
『コチョウに常識は通じない。そもそもこんな地上に森もない世界で、フェアリーが平然と活動してる時点で、普通じゃないでしょ?』
コチョウとはそういうものなのだと、フェリーチェルは語った。とにかく、異常が服を着て、そして時々は服も着ずに、飛び回っているような奴なのだ。普通の感性で考えても意味がないだけだった。
「それは……そうかもしれん。生身でデザートライン破壊しとったからのう……まだ理解が追い付かんのじゃよ」
アンは何とも言えない困った顔をした。実際にコチョウという存在を目の当たりにすれば、正しく認識できないのも仕方がないことではあった。伝承などの中にあるフェアリー像とは、あまりにかけ離れすぎている。
「中身がコマチでは仕方あるまい」
ハワードはむしろ納得しかなかった。彼が知っているコマチという女性の記録から考えれば、すべての現実が、実にそれらしい話だった。そんなハワードの言葉に、リリエラが頷いた。
「確実に分かることは、桁外れに強く、桁外れに他人を気にしないってことです」
それが、リリエラには眩しい。実際、悪人と言われればそうなのだろう。彼女から見ても、コチョウが善人には見えなかった。だが、それは、リリエラから見ると、他人などいなくても生きていけるという力強さに見えるのだった。
『目指すのはお勧めしないけど』
フェリーチェルの虫型デバイスから、ため息をつくような音が漏れた。