第一二話 アーティファクト・マスター
リリエラは戸惑った。
当然だ。コチョウとハワードが互角に見えて、すぐに理解が追い付かなかったし、実は互角などではなかったことも、コチョウが手抜きをして、ハワードを相手するのに、魔神の力しか使っていなかったということも分かりようがなかった。
「かつてこの世界には魔神と呼ばれる者達が居た。人知を超えた、神掛かり的な者達だ」
ハワードはそう語る。
「多くは人々に壊滅的な被害をもたらす災厄だった。それを撃退できた者は少ない」
ハワード自身、あまり自分の過去、特に人間であったころのことを語ることは少ない。故に、彼がその数少ない者の一人であったことを、今となっては知る人間はほとんどいなかった。
「その魔神を単独で倒そうと思えば、自身も人智を超えた装備で固めるか、人智を超える技を修めて対峙するしかない。その技を持って対峙してなお勝てない相手は久々だった。流石は伝承に残るというべきか、俺がかつて戦ったことがある、どの魔神をも超える力があった。それも、いや、或いはと思ったのは事実だが、コマチとは世の中おそろしい」
ハワードが大仰にため息をつく。その言葉に、誰よりも早くフェリーチェルが反応した。
『コマチというのは、どういった人物なの?』
「大地の一部が切り取られ、浮遊大陸として浮かべられた時代よりもさらに昔の、古代も古代の人物だ。優れたアーティファクト技師であり、様々な魔法装置の発明をした人物と残っている。所謂天才であったらしい」
ハワードの答えに、フェリーチェルは信じがたい、という、
「えー」
という低い声を上げた。だが、ハワードが更に、
「だが、惜しむらくは人格、特に倫理観にかなりの問題があった人物とも伝わっている」
そう説明すると、
『あー』
フェリーチェルの反応も、分かる、といった声に変わった。
二人の会話の隙をついて、コチョウが上空へ逃れて行ったが、フェリーチェルはハワードの説明に耳を傾けるのに夢中で気付かなかった。ハワードとの勝負のあと、少し高めに浮いた為か、リリエラもコチョウの姿をはっきりと視ることができなくなっていた。彼女は一人追おうかと考えたが、コチョウが真上に飛んで行って消えてしまった為に、それは叶わなかった。
コチョウの態度は、まるで過去の話には興味がないようでもあり、聞きたくない様子でもあった。そんな風にコチョウが去ったことにハワードは気付いていたが、そのことを誰にも告げずにおいた。
『そう聞くと、コチョウそのものだね』
フェリーチェルは納得したように頷き、周囲を見回す。漸くコチョウがいなくなっていることに気付いたように、
『しまった、逃げられた』
渋面をつくり苦々しい声を上げた。まさかこっそり逃げ出すとは思っていなかったようだった。
『逃げるなんてコチョウらしくない。どうしたのかな』
「後始末だろう」
ハワードはそう推測した。彼が見た限り、コチョウのデザートラインの破壊の仕方は、明らかに構造を製図レベルで理解している人物のそれだった。その為、残骸の中に、潰しておかなければ危険になる物も残っていることは危惧しているだろうと感じたのだった。
そして、その見立ては、図星を突いていた。
コチョウが上空へ一度離れたのは、残骸を俯瞰的にチェックする為であり、彼女はすぐにデザートラインの残骸の、怪しいと睨んだ場所を細かくチェックする為に、急に降下してくると、車体を掠めるように飛んだ。そして、大小さまざまな装置の残骸を、闇の球で包んで消し飛ばした。
『後始末』
闇の球が幾つも炸裂するのを眺め、フェリーチェルが呟いた。
「あのフェアリーがコマチなら、不思議はない。アーティファクトには誰より詳しい筈だ」
と、コマチの伝承を良く知るハワードが答えると、大きな声を出したという訳でもないが、耳聡いといよりも、最早地獄耳と呼べる反応の良さでコチョウが大声を張り上げてきた。
「そんな奴は知らん!」
その言葉に、
「人格は別なのかもしれんな」
と、ハワードも認めた。狙撃に特化している訳ではない彼の目には、デザートラインの残骸の周囲を高速で飛び回るフェアリーの姿は捉え切れるものではなく、しばらく姿を探したものの、結局見つけることはできないと諦めてしまった。代わりに、ハワードはリリエラに視線を移した。リリエラはやや後ろにいて、彼の視線に気付くとまるで呼ばれたと理解したかのように歩み寄り、彼の右隣に並んだ。
「君が興味を覚えるのは分かる。俺も正体を知らなければ彼女の力に興味を持っただろう」
パペットレイスになった者の性とも言えるのかもしれない。パペットレイスの本分は、生身の人では生き残れないような土地に挑み、そして生き残ることだ。当然そういった土地では、強さや力といったものだけで生き残れる程甘いものではなかったが、それでも、やはりポテンシャルとしての強さは、普遍的に重要だった。
「もっとも、現実には、正体を知っているからこそ、俺も彼女自身に興味がある」
稀代の天才にして、その才覚が霞む程の悪人。しかし、その人としての正道を欠如した感性がなければ、今尚利用されている多くの魔法装置技術は存在していないことも事実だった。一人の人物が残すには、功罪はあまりにも計り知れない。しかし同時にミステリアスな謎にも包まれており、とりわけ、彼女がどのように、どこで死亡したかということは、長年の謎として研究者達の注目の的だったという。
そんな中、ある歴史研究家はこのように推測を残している。
『彼女の最大規模の発明は、世界がどのように発展し、そして死を迎えるのかを研究する為の仮想世界管理システムであったという。彼女はそれを世界に公表するつもりはなく、故に固有の名前を付けなかった。その為、そのシステムは単に“アーティファクト”と呼ばれたと推測される。アーティファクトの所在は、彼女の謎多き人生と共に、今尚もって大きな謎の一つとされている。しかし、極めて類似性の高い仮想世界の記録は、世に広く残っている。かつてフラワーフィールドと呼ばれた一帯を支配した文化都市ファイブペタルスで人気を博していた人形劇舞台装置である。古の地とされるアイアンリバーを模して造られたというその舞台は、あたかも彼女が造った仮想世界の如くに精巧で、また、その舞台での人形劇の公演が始まったのと時期を前後して、彼女がライフワークとなり得たシミュレーションを切り上げたように、一切、彼女は研究資料を残さなくなっている。そして、その十年ののち以降からは、彼女自身の足跡自体も乏しくなり、ほとんど何も見つからない状態である。奇しくも、この時期というのは、人形劇舞台で最後の公演が行われた時期とも一致している。そこで私は仮説を立てた。両者にはやはり関連性があり、人形劇公演が唐突に終了したのも、彼女が姿を消したのと、何かしらの関係があるのではないかと。現状、それを事実と裏付けるに足る資料は見つかっていないが、両者の関連性を紐づける資料が、今後見つかることを期待している』
「成程な」
ハワードは、その仮説はおそらく正しいのだろうと結論付けた。唐突に出現した巨大なデザートライン旅団が、そのアイアンリバーを称していて、その女帝がコチョウと知り合いであり、更に、コチョウと名乗るコマチが唐突にコラプスドエニーに何処からか帰還したという状況を総合的に考えれば、かつて読んだとある研究者の推論とある種符合している状況ではないかと、邪推してしまわずにはいられなかった。
もっとも、アイアンリバーだけならず、フラワーフィールドすらもが、ハワードが人として生きていた時代でも、遥か昔に既に滅んだ地であり、その正確な位置も、残念ながら記録は逸失されている。そもそも、荒廃した現在のコラプスドエニーでは、僅かな残骸が残るだけで、ファイブペタルスの痕跡と結論付けるだけのものは、例えその地に足を踏み入れたところで見つからないことだろう。何より、ファイブペタルスの名も、そこで人形劇が公演されていたことを知る者も、ハワードくらいなのかもしれなかった。
「すべては泡沫の夢、というものか」
ハワードが呟くと、
「言い方は気に食わないが、そういうことだ。それでいい。そういうことにしておけ」
デザートラインの残骸の方から、また、良く響く声が返って来た。耳の良さも驚くべきものながら、それなりにある距離を無視したように届いてくる声にも驚かされるばかりだった。
「私は何も知らんし、覚えてもいない。それで構わんし、その方が、面倒がなくていい」
コチョウは、そうも告げた。それは知っている、或いは、覚えている自白と同義だった。