第一〇話 ブロークン・ライン
洞窟を出たリリエラ達は大湿地を避けてデッドフラットを目指した。右手に大湿地の毒の霧を見ながら、それとは一定の距離を置いて、誰かが先頭に立つこともなく、三人横並びに歩いた。
「そういえば、マグニフィセントはもう良いのじゃよな?」
アンが首をひねる。ハワードがマーガレットフリートから追跡可能であり、そのせいでアンを連れ戻そうとやってきたマグニフィセントを返り討ちにする為に、ハワードが一旦アンを置いて別行動に移ったという経緯も、彼女自身理解していた。
「ハワードのビーコンは私が処理したわ」
アンの左側を歩くリリエラが答えると、
「おお、そうか。そりゃ手間をかけたのう。じゃが、こうしてリリエラと再会できただけでも、飛び出してきた価値があったというもんじゃ。何が幸いするか、世の中、本当に分からんもんじゃのう」
アンは嬉しそうに笑った。三人はのんびりした空気に包まれていたが、しかし、それもほんのしばしのことだった。その笑い声に、遠くから響いてきた、爆発音が被せられたのだ。
「む?」
アンがまた首をひねった。
同時に、リリエラが駆け出す。彼女はその爆発音に聞き覚えがあった。その音を聞いたのは、つい先日のことで、まだ、耳にこびりついて残っている。
「この音……間違いない」
そう呟いて全力で走り出したリリエラを、素早くアンを抱え上げたハワードが追った。
「お、おいリリエラ。どうしたというんじゃ。待て。待たんか。私達を置いて行くな」
アンは面食らって声を掛けるが、リリエラは答えずに走った。大湿地の霧を回り込んで駆け抜け、やがてそれが後方に切れた頃に、リリエラは、今度は急に足を止めた。
彼女の視界の先に見えたのは、やはりクリークステップを襲った連中のデザートラインだった。一編成だけしか見えなかったが、つまり、まだ動くデザートラインが一編成だけ残っていたということだった。
リリエラが急に走り出した理由は単純だ。またクリークステップが襲われているのではないかと恐れたのだ。離れた身とはいえ、もし襲われているなら防戦に参加しなければならないと、使命感があった。
だが、砲弾は放たれているのに、他にデザートラインは見えない。まるで目標も分からず弾を撃ちまくっているだけのような、何がしたいのか理解に苦しむ砲撃を繰り返している。
「違った。よかった。でも」
そうつぶやいたリリエラ達から僅かに離れただけの地面に、砲弾の一発が着弾し、乾ききった砂地のような土を巻き上げた。
「うわ、何じゃ。あれは何をしとる」
アンは全く状況が理解できないながらも、飛んで来る土の粒から目を庇って腕で顔を覆った。アンも、誰に聞いた訳でもないだろうが、
「分からん」
と、ハワードがそれに答えた。
ひとしきり二人は混乱しているが、リリエラだけは周囲を、特に上空を見回した。クリークステップが襲われている訳ではなかったが、逆に、あの時と同じように、略奪旅団の方が襲われているのではないかと、訝ったのだ。そして、それは当然、当たっていた。
「おい、お前等、邪魔だ。離れていろ。死にたいなら別だが」
頭上の何処からか、声が掛かった。大量の土の粒が風に待っていて、その中に人影を見つけることはできなかった。
「特にアンを下げておけ。フェリーチェルの小言に、一晩中付き合わされるのは御免だ」
「やっぱり」
もっとも、リリエラにしてみればそれどころではなかった。
「クリークステップを助けてくれたのはあなたよね? フェアリーだって、本当?」
場違いな質問が、口を突いて出た。当たり前の話だが、コチョウがそれに答える筈もなかった。
「状況を考えろ、馬鹿」
という声は、休息に空の上へ遠ざかって行った。コチョウにしては珍しく正論だった。未だ適当に撃ちだされる砲弾がデザートラインから四方八方に放たれていて、或いは空中で、或いは地面に着弾して爆炎と爆風を撒き散らしていた。
リリエラもデザートラインを見る。一部の車両は使い物にならなかったのか、全部で六両という長さは、ほぼ村としても既に機能できない程の短さだった。
唐突に、デザートラインの先頭車両の横っ腹に、斬撃だろう閃きが縦に走った。それはあまりにも僅かな薄刃の軌跡で、しかし、その滑稽な程小さな刃の一撃は、あろうことか、まるで紙細工のように先頭車両の装甲を引き裂いた。
デザートラインの先頭車両は動力車だ。内部構造が露になり、動力源となっているカプセル状のタンクのような機構と、精製された液状魔力を伝えるパイプが露出した。
「何が起きとる」
アンは呆然としているが、それこそそれどころではない。リリエラとハワードは両側でアンを抱え、回れ右をして距離を取る為に走り出した。外装と魔力精製器の間の空間には、本来、魔力精製器を冷却する為の冷気が循環している。そこに外気が混ざり込んだということは、そのあとに起きることは考えずとも明白だった。
背後から、閃光が三人を追い越していった。その次に、轟音というよりも、音の壁と表現した方が適切なような爆音が背中を打った。ハワードがアンを庇うように大地に臥せ、リリエラもその隣に転がり込んだ。幸いなことに近くに砲弾が抉った地面の窪みがあり、三人はその中に身を潜めた。
覗かなくとも分かる。デザートラインの先頭車両が大爆発を起こしたのだ。おそらくフェアリーなのだろう誰かは、デザートラインの構造と、走行不能にさせる為に一撃で大ダメージを与える方法を知っているということだった。要するに、構造を理解しているのだ(実のところ当然だった。何故なら、コチョウは、アイアンリバーの車両を、魔神の力で造った経緯があり、その際にデザートラインの基本構造は図面で把握したからだ)。
連鎖的に何度も複雑に続く爆発と爆風が収まり、リリエラ達が窪みから身を乗り出すと、デザートラインの一両目は無限軌道の台車の僅かな残骸を残して消え去り、二両目も完全に喪失していた。二両目は燃料室と動力車の管理、メンテナンス用の車両になっていることが普通であり、おそらくは積載されていた燃料が誘爆を起こしたのだろうと見て取れた。
三両目も半ばまで喪失し、後ろ半分だけ残った車体の、ひしゃげた断面が、爆発のすさまじさをつぶさに表わしていた。
三両目は食糧などの倉庫だったらしい。断面から、さらさらと麦の粒のようなものが破れた袋から零れ落ちて地面に流れていた。
砲は完全に沈黙した。動力車を失ったのだから当然だ。リリエラは窪みから這い出し、ふらふらと覚束ないような足取りで、デザートラインの方へ歩き出した。
「これだ……この力だ。私が欲しいもの。間違いない。私が探しているひとだ」
やはりリリエラの目では姿は見えない。しかし、沈黙した車両から、クロスボウや手持ちに小型化された砲、所謂長銃をもち、ばらばらと退避するように出てくる者達の首が纏めて宙を舞うことから、何かがいることだけは間違いなかった。
「本当に、何が起こっている」
その光景を見せないようにアンの目を手で覆いながら、ハワードも窪みから上がってきた。彼の豊富な知識と経験に裏打ちされた常識でも、状況は呑み込めないようだった。
戦闘用車両は砲撃用の設備を有しているだけでなく、車内は白兵戦部隊や騎兵部隊の待機場所でもある。車内から溢れ出す人の群れは、四両目と六両目にある戦闘用車両から出てきていた。四両目から出てきている者達は見えざる何かに首を飛ばされていたが、六両目の方は、禍々しくどす黒い、宙を飛び交う剣の群れに刺し貫かれていた。その夥しい死には一切の容赦がなく、また、躊躇いもなかった。
「……なんという」
アンが言葉を失っている。ハワードが目を覆っていたつもりだったのだろうが、呆然としている間に、アンがその手の裏から身を乗り出してしまっていた。
アンとハワードはそれを、残虐さ、と感じた。だが、リリエラだけはそれを、無言のうちに、力強さ、と受け止めた。その迷いなき死をもたらす誰かが織りなす光景を、美しいとすら、思った。
出てきた者達の数は、三〇人にも満たず、そのすべてが抵抗らしい抵抗を見せる前に始末された。その光景はまるで流れ作業で運ばれてくる何かが処理されるが如くに淡々としていて、だが、同時に上がり続ける断末魔が、処理されているものが何か、などではなく、人間、なのだと証明していた。
やがて目に見える動くものはなくなり、デザートラインはスライスされるように処分された。ばらばらに斬り刻まれ、ガラクタの山と化したのだ。最後までそれを成した誰かを見ることはできなかった。
その光景自体が、フェアリーといえた。