第一四話 同情
脱出の為、コチョウが通風孔の罠を破壊し始めて四日目。縦穴に挑み始めてから三日目でもある。
縦穴を登るのには、当初の想定よりも時間が掛かっていた。というのも、途中で魔法的な障壁が立ちはだかり、コチョウの魔法知識では解除できなかったからだった。仕組み的に分解しなければならず、当然工具など持たないコチョウには、それはかなり困難な試みになった。最終的には力ずくで外せたのだが、それまでに随分時間を浪費させられた。
四日目も飽きもせずコチョウが罠を破壊していると、通風孔の下から、フェリーチェルが登ってくるのが見えた。動けるようになったらしい。
「上を見るな。破片で目がやられる」
コチョウはフェリーチェルを見下ろさずに告げた。彼女の首を刎ねたことについても、謝らなかった。
「逃げられそう?」
フェリーチェルも、その話を蒸し返さずに、現状について聞いてきた。
「進めてはいる。だが、縦穴が貫通できるまでにあと五日は掛かるな。ここにいても邪魔なだけだ。どうせ私もオーブを取りに戻らなきゃならない。看守室にいろ」
コチョウは率直に邪魔だと伝えたにも拘わらず、
「手伝えないかしら」
フェリーチェルは戻ろうとはしなかった。
「邪魔だ」
もう一度、コチョウは答えた。紛うことなく本心だった。当然のことだが、彼女にフェリーチェルのことを心配する気持ちはひと欠片もなかった。
「そんなに危ない?」
コチョウの脇に体を逸らすようにして、上へと伸びる縦穴を、フェリーチェルが見上げる。瞬間、フェリーチェルの口から、悲鳴のような呻きのような、何とも間抜けな音が漏れた。
「ぅぁ」
すくなくとも、コチョウが難儀している理由は伝わったのかもしれない。コチョウはそう解釈したが、フェリーチェルが小さな声を上げたのは、別の理由だったようだった。
「服くらい着なよ」
「そっちか」
思わずコチョウも間抜けな声を返す。縦穴は上から光がかすかに漏れてはいるが、かなり暗い。逆光になっているのも相まって、まじまじと見るまで、フェリーチェルにはコチョウが裸だと気付かなかったようだった。
「レントが持ってた服に、邪魔で鬱陶しいやつしかなかった。だから置いてきた」
コチョウが答えると、
「ひとのお気に入りを、鬱陶しいとか言うのはやめて」
フェリーチェルが不満そうな声を上げた。そう言われて初めてコチョウがフェリーチェルを見下ろすと、コチョウが廊下に捨てた方のドレスに着替えていることが分かった。どうやらもともとフェリーチェルの服だったらしい。何処かのフェアリーの王国の姫だとレントが言っていたことを、コチョウも思い出した。
「ああ。どっかの姫さんだって? 冒険者向いてないのによくやるな、お前」
意地悪のつもりでも、親切のつもりでもなく、コチョウは事実を突きつける。フェリーチェルの首を刎ねた時に得られた経験は、ほぼ何もなかった。魔法の知識すら。しかしオーブはあった。どう見ても重犯罪ができるタイプには見えないから、冒険者なのだろうと推測をつけるのは、コチョウでなくとも容易だった。
「そんなの、分かってる。でも、王国が森ごと火事で焼けてみんな大変なの。再建にお金がいるのよ。私ものうのうと国のお金を無駄に貪ってる場合じゃないの。私も資金を集めるのに協力しなきゃいけないの」
フェリーチェルの境遇は、それなりに不幸なようだった。だからといってコチョウが同情する訳でもなく、何処の火事の話なのかということすら知らなかった。
「ご苦労なこって」
とだけ、無感情に答えた。そんなコチョウの足を、フェリーチェルは掴んだ。
「どうして?」
フェリーチェルにはコチョウが理解できなかったようだった。何故コチョウにそこまで冷酷に扱われるのか、何故コチョウが他人にそこまで無関心なのか、全く想像もつかない様子で、見上げていた。
「ん?」
コチョウはフェリーチェルを見下ろしながら、首を傾げた。フェリーチェルからはコチョウの表情は逆光で良く見えなかったように、下の部屋から差し込む薄明りのせいで、コチョウからもフェリーチェルの表情は逆光になってよく分からなかった。
「何のことだ?」
本気で分からず、コチョウは聞いた。
「なんでそんなに他人に関心がないの? あなたにはひとの心ってものがないの?」
フェリーチェルの声は悲痛だったが、コチョウにはそれが鬱陶しい雑音に聞こえた。ただただ面倒臭いと、ため息さえ漏れた。
「ああ、それならたぶんないな。そういう育ち方はしてない。そもそも誰かに育てられてもいない。私はフェアリーのコロニーで生まれたが、同じコロニーの連中から、疎まれはしたが助けられてもいない。当然私もそんな連中に頼るつもりもなかった。それでも私は生きてる。だから私には私自身さえいれば困らない。他人に遠慮するつもりも配慮するつもりもない。お前がどこの誰であろうと、お前が敵なら殺すし、お前が敵じゃないなら興味がないだけだ」
コチョウはなるべく分かりやすいように、かいつまんで答えてやった。同情してほしいという気持ちもなく、そもそも、彼女自身は、自分が同情されるような生い立ちをしたとも気付いていなかった。自分が普通のフェアリーではないという事実を淡々と語っただけのつもりだった。
「酷い」
コチョウの話を聞いたフェリーチェルの反応は、コチョウが期待したものとは全く違うもので、事実を言えば、フェリーチェルの言動からすれば、十分常識的ではあった。
「生まれて誰も助けてくれなかったの? 親は? 両親は何をしていたの?」
「親か。そんなもの私にはいない。いるのかもしれないが、顔も見たことがない奴等だ」
コチョウは正直に答えた。彼女は心が読める為、フェリーチェルの憤慨が、本心からのものだとは分かっていた。
「何となく分かったよ。話してくれてありがとう。本当なら、うちの王国に来ないって、誘ってあげられれば良かったんだけど。うちならそんな扱いは、誰も、絶対しないのに」
そんな温かい同情も、
「同情はいらない。鬱陶しいだけだ」
コチョウの心に届くものではなかった。彼女は、つまり、手遅れ、だった。
「ただでさえ罠の破壊に手間取ってる。これ以上邪魔をするな。妨害するなら敵と見なす」
コチョウは礼も言わずに警告した。それが現実の彼女で、他人の親切や思いやりというものを、彼女は信用していなかった。
「うん。邪魔して、ごめん」
自分にできることはないのだという声を上げ、フェリーチェルは通風孔を降りていった。しかし、すぐには部屋に戻らず、また、コチョウを見上げた。
「でも。でもね。何の罪もないひとの、命を実験に使うのは、やっぱりよくないと思う。あなたには何でもないことなんだろうけど、自分勝手に命を奪うことは、とっても恐ろしいことなの。それは社会の為にも、命を奪われる人の為にも、あなたの為にもならないよ。それだけ。それだけ分かってほしい。お願い」
「そうかもな。正しいのは多分お前の方だ。だが、現実はそれで生き抜ける程甘くない」
コチョウもそれは認めた。正しいか、正しくないかは分かっていたが、
「お前は正しいが、籠の中で永遠に蒸し殺され続ける寸前だった奴に、言われたくない」
それもまた、コチョウの本心だった。
フェリーチェルの正しさは、おそらく、彼女を助けてはくれなかった。そして、フェリーチェルの正しさのせいで、おそらく、彼女はこんな場所に投獄される羽目になったのだ。コチョウにはそう映った。
「そうだけど。それは私が弱かっただけ。あなたにはそれをねじ伏せる力があるでしょう」
フェリーチェルはそれでも、コチョウの説得を続けた。それは無駄な努力だということは、彼女にも分かっていただろうに。それが本心からコチョウを心配している言葉だと、コチョウにも分かるから、コチョウは、無視はしなかった。
「そんなにまた首を飛ばされたいのか」
しかし受け入れるつもりもなかった。コチョウは会話を終わらせる為に、警告で返した。
フェリーチェルは、今度はすぐに姿を消した。ただ、通気口を出ていく寸前に、
「本気だったら警告なんてしないでやる癖に」
そんな風に、からかうような言葉が聞こえてきた。本気の警告ではないことは分かっていると笑うような声だった。
思ったよりもフェリーチェルは強かなのかもしれないと、コチョウは苦笑いして、罠の破壊に戻った。