第八話 ロスト・ハイエア
アイアンリバーも自分達を探しているなどとは露知らぬリリエラ達は、まだ崖穴の中で座り込んで会話を続けていた。
「結局、あなたが彼等に言いたいのは、ハイエア・マーガレットのことは忘れ、古く形骸化されたしきたりに拘るのもやめて、マーガレットフリートというデザートラインの暮らしに適した社会システムを考え直すべきだということで、いいのかしら?」
「そうじゃな。それ以外ない。古き伝統が重んじられるのも、すべて悪いとは言わん。じゃが、私には、それで民に、息がつまるような階級意識が根付き続けるのが良いとは思えんのよ。デザートラインの暮らしはお世辞にも開放的とは言えんだけに、皆が自然に協力し合える環境が肝要だと思うておるのでな。風通しの悪さは旅団の活力を奪って居るのではないかと、懸念が尽きん訳じゃ。じゃが、指導者階級の老人達は、話を聞いてはくれなんだ」
アンの話はリリエラにも理解できた。だが、彼女はその是非については答えなかった。既に彼女はマーガレットフリートを離れた身で、今はもう部外者だと言われればその通りだったからだ。彼女はハワードに視線を向け、
「せ、ハワードさんはどう考えているんですか?」
と、聞いてみた。もともと特権階級であったハワードであれば、ある種の持論があってもおかしくないと期待したのだった。
「デザートライン内の閉塞感はどの旅団でも問題になっている。旅団内の活力の問題だな」
ハワードは一般論以外の回答を避けた。彼は人の身を捨てた時に、パペットレイスであることを第一としている。人の生存は人が考えるべきことで、パペットレイスはその決定を手伝うだけだ。その末に人が滅んで行こうというのであれば、それも自然なことだと考えていた。
「人類の存続は、既に俺の問題ではない。それは人が決めれば良い。愚かであるか、英知を振り絞るかは、人の手中にあるべき選択肢だ」
「私はおぬしのその態度も気に食わんよ、ハワード。私等などより、ずっとハイエア・マーガレットに詳しかろうに。おぬしは求められたことにしか答えん。私等がおぬしに何を聞けばいいのかさえ分からずにおることも、理解しておろうに」
アンが不満そうに顔を上げ、ハワードを睨む。当然、本気などではない。ほとんど当てつけであり、ハワードが多くを語らないのは自分達が未熟故に語っても意味がないからだと、彼女は考えているようだった。
「話したではないか。何故ハイエア・マーガレットが滅んだのかの歴史は、すべて学ばせたはずだが。それとも授業を聞いていなかったのか?」
ハワードは、マーガレットフリートにおいて貴重な、ハイエア・マーガレット時代を生きた数少ない一人だ。その為に、マーガレットフリート内では、パペットレイスの任務の傍ら、子供達に歴史を教える教師役も担っていた。そちらの役目は、彼の教え子たちが数多く育ってからは、彼自身はパペットレイスの任務に重点を置くためにほとんど退いていたが、女王と成るべき者や、次世代の旅団を支え、或いは、導いていくべき優秀な子供達には、ハワードが直接歴史を教えることが、今でも求められている。だが、彼が一番教えねばならないと感じたことを子供達に伝えることは、指導者階級の者達から、固く禁じられていた。
即ち、世界は何故荒廃したか。何故荒廃は優れた浮遊大陸の文明にも止められなかったのか。そして、何故ハイエア・マーガレットだけでなく、すべての浮遊大陸が放棄されたのかの真実だ。それらを語ることは、この荒廃した乾ききった世界において、子供達から希望を奪うには、十分すぎる情報であるからだとは、表面上、ハワードも納得しているつもりではいる。
「アイアンリバーの女帝と会談をして、思い知ったわ。私等の世界は狭いわい」
と、アンが笑う。自虐的に。
「あれらは世界の荒廃に立ち向かおうとしておる。本気で浮遊大陸に向かう気でおるのよ」
その言葉に、ハワードが少しだけ反応を示した。視線だけが、一瞬、アンを見た。
「フェリーチェル女帝は言っておった。地上にその手掛かりがないのであれば文明の残滓を探るしかないと。無論、そこがモンスターだらけの魔境となっていることも理解したうえでな。その為の技術を探しておるそうじゃ。空へ上がる為の。なんと野心的であろうことよ」
もっとも、アンは知らない。フェリーチェルのその言葉の裏に、深刻な不安と疑惑が潜んでいるからこそ、立ち向かおうとしていることなど、知る由もないからだ。何しろアンはコチョウと面識もないし、仮想のものとはいえ、世界ひとつを破壊してなお、平然としているような化け物がいるという事実さえ、全く知らない。
アン達は知らないが、事実、直接コチョウと会ったフェリーチェルは疑念全開で会話していたし、フェリーチェルの、今は何をしているのか、という問いにコチョウがまともに答えなかったことで、疑念は確信に変わった筈だ。コチョウは必ず何かやらかす、その前に何か手を打たねば世界が滅びかねない、フェリーチェルがそう不安に思っていることは、なかなか他の旅団の者達に理解できることではなかった。
「私等は、国の再興や存続以前に、世界の存亡に直面しておるのではないか? それを乗り越える為には、人が逞しくあらねばならんのではないか? 私等が進む道は本当に合っておるのか? 今進んでいる先には、やせ細り、滅んで行くだけの旅団の姿があるのではないか? 私には怖くてしかたがない。マーガレットフリートは、大事であるものをはき違え、道を踏み外してはおらんか? どうじゃ、ハワード、答えてくれ。指導者達は、間違った道へと、民を追い立ててはおらんか?」
しかし、だからと言って、見ている先のスケールの違いに、アンが何も感じないという訳でもなかった。とはいえ、それは、ハワードからすれば、答える必要がない問いにも思えた。
「アン、それは君の問題ではない。危機感は大いに称賛するが、考えすぎだ」
そもそも、アンは女王ではあるが、その地位はあくまで象徴的なものでしかない。彼女に方向性の指導は求められていないのだ。
「それは旅団の皆が考えることで、君が皆に訴えることが無駄とは言わないが、それが皆に伝わらなかったとしても、それが皆の意志なのだと思っておけばいい。その結果を、アンが気に病む必要はないのだ。だから、もっと無責任に、今のマーガレットフリートの状況は気に入らない、と、自分の思いを愚痴のようにぶちまけていいのだよ?」
それよりも、と、ハワードは答えた。
「俺には君の精神状態の方がよっぽど心配だ。マーガレットフリートを飛び出してきた君は、一時のことではあるが、今は女王である必要もない。存分にリフレッシュするといい。君が悩んでいるのは、マーガレットフリートの未来ではないだろう。もっと素直に、話をまともに聞いてくれない老人達の愚痴を言っていい。心配するな。告げ口はしない」
「確かにそうね。あなたひとりで抱えるには問題が大きすぎるわ。多分、あなたが言う女帝陛下も、一人で抱えている訳ではないでしょう。危機感を共有できる人達がいるから活動できているのだと思うわ。でもだからって溜め込んで忘れてしまえって言ったところでそれは無理な話だもの。だから、自分の危機感が共有できない現状を愚痴にして発散しておけばいいと思う。その愚痴に共感してくれる人が増えて、行動できるようになっていけば、状況は変わるかもしれないしね」
リリエラもハワードの意見に同意した。もう少し、アンは無責任になってもいいのだと感じた。
「何より、世界がどうなっているのかを知ることが、必ずしも正しいとは言えないのだ」
ハワードは、アンに対して、そうとも語った。
彼が語らないことの中に、彼がハイエア・マーガレットに領地を持つ身として、浮遊大陸の環境を維持する為の施設の管理権限を持っていた、ということも含まれている。その権限はパペットレイスとなった今も放棄しておらず、何者かがその施設に、こんな時代にも関わらず頻繁にアクセスしているという事実も、彼には知ることができた。人に見せることはないが、遠隔で制御や監視が行えるマジックデバイスとなるオーブを、彼は所持しているのである。
彼に侵入を気付いかれた人物が誰なのかは、ハワードにも分からない。遠隔では侵入者がいるということまでしか分からず、ハワードは、そこで何かを知ろうというのであれば、それは勝手にすればいいと考えていた。その結果は、事実を知った人物が、自分で選ぶことだ。
ともすれば、それは放置してはならない問題なのかもしれない。あるいは、誰かに告げるだけでも、しておくべきことなのかもしれない。仮にそうだとして、ハワードには告げる相手の心当たりもなかった。
事実、それは、ある種の世界の危機を暗示してはいた。何故ならば、その侵入の目的は、今はまだごく少数しか知らないことからだった。
詰まるところ、侵入者は、コチョウだった。