第七話 アイアンリバー
同じ頃、デッドフラットからそれなりに距離がある、乾いた大地の北限、雪原との境目となる山脈を見上げる砂漠を、大編成を組んで走行しているデザートラインのひとつ、中央に位置する列車。
その最後尾から数えて三両目の天井に張り付くように這うパイプに、コチョウは寝そべっていた。彼女が見たものを教えてやる先として選んだのが、その旅団だった。
「いきなり来て、挨拶もなしに、言う言葉?」
そのほぼ真下にいる女性が、不満げな声を上げている。いや、声は確かに女性だが、それを女性と称して良いのかは、議論の余地があるのかもしれない。そこにいたのは、椅子に足を投げ出して座る、くすんだフェルト布の翅のようなものを背に縫い付けられた、女の子のぬいぐるみのような何かだったからだ。
その人形然とした姿から、そこがアイアンリバーの最高指導者の仕事場でもある部屋で、彼女が人形女帝とも噂されている、フェリーチェル・スワロウテイル・マラカイトモスであることを明らかにしていた。
「いや、分かるよ。放置しちゃいけないってことは。でもさ、そんなことをしたら私達が攫ったみたいになっちゃうでしょ? せっかく平和的に会談も終えられたのに、なんでマーガレットフリートに喧嘩を売るようなことをしなくちゃいけないのよ。そりゃ彼女の境遇を考えれば何とかしてあげたいのは個人的には同意するよ? でも、アイアンリバー全体を、それで危険に晒すのは、やっちゃいけないことだって分からない? あんたは何でいつもそう、身勝手に問題を押し付けてくるのよ。知らなきゃ無関係なことなのに、聞いちゃったからには考えないといけないじゃない! ああ、もう、最悪すぎる!」
一方的にデザートライン一〇編成を破壊するような化け物染みたフェアリーに、真っすぐ文句をぶつけられる者はそうは多くないだろう。その恐れを知らぬことが平然とできるのが、コチョウとフェリーチェルという二人の仲だった。
「見殺しにするなら好きにしろ。私は情報を拾ったからわざわざ教えてやったにすぎん」
コチョウは何処までも無責任な態度を崩さない。そもそも本当ならアイアンリバーのデザートラインに近づきたくもないという態度であった。その態度が表わしている通り、コチョウが生きていくのに、デザートラインは必要がなかった。ある意味、彼女もモンスターのようなものなのだ。
「私が見殺しに出来る訳ないって分かってて言ってるでしょ。本当、性格悪いんだから」
フェリーチェルも不快感を隠しもしない。フェリーチェルは、厳しいが優しい性格という評判で通っていて、殊更に感情的に不平を捲し立てることは少ないと言われている。フェリーチェルから見ても、コチョウとの仲が極めて特殊であることが、そこから知れた。
「マーガレットフリートに先に連絡する? それは駄目か。アン女王と彼等の間に何か軋轢ができたから飛び出したというのが濃厚ね。だとしたらアン女王の居場所を彼等に知らせるのは、彼女自身を追いつめることになりかねない。回収して保護、それから連絡? んー、どう言っても角が立つな。まともに話を聞いてくれる気がしない。けど、なるべく対立はしたくない。あれ、これ無理じゃない? まず面会して、本人の意識を聞き出すしかないか。場合によっては回収できないし、その場合、むしろ、マーガレットフリートに帰るよう諭さないといけないものね。そうね、彼女の状態次第ね」
フェリーチェルはコチョウなどいないかのように、独り言をつぶやきながら思案した。それから徐に、言葉を整えながらのように、列車内の通話用のマジックストーンを、指も定かでない布製の手でデスクの上から器用に拾い上げた。
「カインを呼んで頂戴。すぐに来るようにと。あと、そうね。エノハも呼んでくれるかな」
デバイスに向かって告げ、すぐにフェリーチェルはマジックストーンを机の上に転がした。
「まったく。こういうのはこれっきりにしてよ」
天井を見上げ、コチョウをまた睨む。
「先の話まで知るかよ。そんなに言うなら聞かなかったことにすればいいだろ」
と、コチョウは揶揄するように笑った。
「だから! それができないから! こうして困ってるんでしょうが!」
フェリーチェルが再びマジックストーンを拾い上げ、コチョウに向かって投げつける。コチョウはこともなげに受け止め、軽くフェリーチェルに投げ返した。フェリーチェルが受け取れる程度の強さで落としたに近かった。
「壊れるぞ」
「あなたのせいでしょうに」
フェリーチェルにも、それが意味のない言い合い、いや、言い合いにさえなっていない、馬耳東風であることは分かっている筈だ。しかし彼女も、その不毛な会話をたのしんでいるふしがあった。
「……はあ」
と、それにも飽いたのか、フェリーチェルはため息の声を漏らした。人形は息をしない。声だけであるが、明らかにため息だった。
「今どこにいるのよ」
「あっちこっちさ」
コチョウは答えをはぐらかした。モンスター程度にもパペットレイスにも後れを取らないコチョウは、何処で寝ても問題ないというのは間違いなかったが、野外で寝ているにしては衣服に汚れや皺が少ないことから、フェリーチェルは、少なくとも、コチョウが何処か屋根のあるところで寝ていることは間違いないと考えた。コチョウはいつもローブを纏っており、それがコチョウの超能力で作り出されたものだということもフェリーチェルは知っていたが、汚れたり皺になったりしないという訳でもないことも知っていた。
「また何か良からぬことを企んでるんじゃないでしょうね」
フェリーチェルの責めるような視線にも、コチョウはやはりどこ吹く風だった。
コチョウやフェリーチェル、そもそも、突然頭角を現したと言われている巨大旅団であるアイアンリバーは、もともと、浮遊大陸が浮かべられるよりももっと古い、地上に文明があったころに造り出された、人形劇の為の仮想世界にいた者達であった。つまり、人形劇の為の人形達であったのだ。
しかし、その事実を知ったコチョウが、仮想的な世界、箱庭世界を破壊してしまった為、もうその人形劇の世界は残ってはいない。一部の、コチョウが手下にしていた者達が生きるのに必要な者達だけを現実世界に移し、残ったすべてを滅ぼしたのだった。その事件をフェリーチェルも良く知っている。コチョウの破壊を防ごうとしたが、結局止められなかったからだ。だからこその、また、だった。
「今度はコラプスドエニーを滅ぼすとか言わないでよ。そんな話は聞きたくない」
「それも悪くはないが、今のところその予定はない。あくまで今のうちは、だが」
コチョウはフェリーチェルの懸念の声に、ひらひらと手を振った。
「お前を本物にする方法も見つかってないが」
ただ、その言葉を口にした時だけは、苦笑いになった。実際、箱庭世界にいた者達は、そのまま箱庭世界から出てきたのでは、皆、フェリーチェルの同類になるところだった。そうならないように、住民達を変質させたのも、他ならぬコチョウだった。ではフェリーチェルはなぜそうなっていないのかといえば、彼女が何処までも不幸へと転げ落ちていく物語を演じる為の人形だったからだ。フェリーチェルはその出自のせいで、“不幸にしてフェリーチェルだけが人になることができなかった”のだった。それを打ち破る方法が、コチョウをしてもなお、今でも見つかっていない。
「それはもういいって。案外気楽だよ。自分が不幸だってことさえ忘れなければ、だけど」
フェリーチェルはそう笑う。
「もう私の体じゃ飛べないっていうのは寂しいけど。それ以外は文句ないよ」
役柄の上ではフェリーチェルもフェアリーで、箱庭世界の中での彼女は確かにフェアリーの五体を持っていた。空もとべたし、食事もできた。五感もあったことを、フェリーチェル自身も覚えている。それらすべてを失ってしまったフェリーチェルだが、そのことに関しては、不満をさらけ出しはしなかった。
「あなたみたいな、フェアリーの体でも生き抜ける怪物じゃなかったし」
と、冗談めかして。
「そりゃ何より」
コチョウは同情のそぶりも見せなかった。ただ不服そうではある。まるで自分の手中で世界のすべてが転がせなければ気が済まないと考えているような態度だった。
「で、何してるのよ、今」
フェリーチェルが聞き返すと、
「今お前に話しても分からんことだ」
コチョウはまた、答えを濁した。正直、コチョウも、本気でフェリーチェルには理解できないとは考えていないようだった。ただ、説明が面倒くさかっただけだ。
「あ、そう」
聞いても無駄だと割り切って、フェリーチェルは手にもったままだったマジックストーンを机に置いた。そろそろ呼びつけた二人も来る頃だ。
そして、再度パイプを見上げて顔を顰めた。
「あいつ! もういない!」
コチョウは、既に姿を消していた。