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1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
危急存亡のパペットレイス
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第六話 ラン・アウェイ

 大湿地を抜け、ごつごつと岩肌が無骨に見える崖の一つに開いた穴で、リリエラはハワードから聞いていた人物と対面した。その女性は薄暗い穴の中で座り込み、眉をハの字にしてしょぼくれた表情をしていた。明らかに、やってしまったと後悔している顔だった。

 アン・イライザ・マーガレット・スプリングウインド。その名を持つ女性は、リリエラよりも更に小柄な体型をしている。一般的な人々比べて、極めて小柄な女性だった。やや癖の強い髪の色は黒。赤に近い茶色の瞳は大きく丸く、顔の輪郭が丸顔に近いこともあって童顔な容貌を、より幼い印象に見せていた。

 太ってはいないが、濃い肌色をしていることから、ドワーフの血を引いていることが色濃く分かる。だが彼女自身は純粋なドワーフではない。浮遊大陸という狭い世界においては、種の存続の問題は、種族などという小さな規模をとうに過ぎており、人類全体の存続の問題であった。故に混血が進み、浮遊大陸文明が滅びる頃には、種族という垣根は意味のないものになっていたのだ。

 それは地上に残った者達の間でも同様だった。むしろ浮遊大陸よりも顕著だったといえよう。そして浮遊大陸の者達が地上に回帰したあとでは、更にそれは進んでいった。故に、ドワーフのように小柄であろうと、エルフのような耳を持とうと、皆等しく、人、という括りしか、今のコラプスドエニーには存在しなかった。種族の垣根として残っているのは、人か、パペットレイスかの二種類しかない。

「体調は大丈夫?」

 リリエラは、アンの姿を見るなり駆け寄って聞いた。リリエラはアンを怒るつもりはなかったし、個人的な理由でデザートラインを飛び出したということに関しては、リリエラ自身、同じ穴の狢だ。アンに怒れるくらいであれば、クリークステップを去っていない。リリエラはただ、アンの身を心配した。

 当然のことながら、アンは生身の人で、パペットレイスではない。デザートラインを離れて過ごすには、世界は彼女には過酷すぎるものだ。

「大丈夫、体は頑丈な方じゃよ」

 おそらくドワーフの血を引いているからだろう。王家という響きとは裏腹に、スプリングウインド家の女性は代々タフだ。そして、あまり世間に知られていないことだが、言葉のドワーフ訛が酷い。象徴ということもあり、普段はにこにこして椅子に座っているだけだから、マーガレットフリートでも、彼女の訛について知っている者はごく一部でしかなかった。

「しかし、短気をおこしてしもうた。やってしもうたよ。今頃大騒ぎじゃろうなあ」

 女王に対してため口を利くリリエラに、アンも違和感を見せない。二人は実際、リリエラが生身であった頃からの同年代で、所謂学友の関係であった。デザートライン旅団では、若者に勉学を教える為の教育機関がある場所も多く、格式と伝統を重んじるマーガレットフリートに、それがない筈もなかった。とはいえ、仮にも王女(アンの即位前の話だ)のアンが、警護上、多くの一般の子供に混じって勉強できる筈もなく、特に選ばれた優秀な頭脳を持つ子供達の中で、特に高い倫理観と分別を備えていることが確認できている子供だけが、アンと同室で勉学に勤しむことができたのは言うまでもない。リリエラが、今や第一人者のケミカルマンサーであり、パペットレイス技師という特殊職に就けていたことから分かる通り、彼女が優秀だったからこそ、アンの学友の一人になれたのだ。

「そう。でも無理はしちゃ駄目よ。それにしても爺さん連中にも困ったものね」

 故に、逆に言えば、リリエラもアンの訛については熟知している。アンの口調に彼女が違和感を示すこともないのは当然だった。

「それで、どうするの? 戻るの?」

 逃避行を続けさせるのは心配だが、大人しくマーガレットフリートに帰らせるのも別の意味で心配だった。実際にマーガレットフリート内の統治管理を行っている者達に、アン個人の意見を聞くつもりがないのはリリエラにも分かっていたし、アンの責任を考えれば帰らせるべきなのだが、友人として言えば、アンの精神面が心配だったのだ。

「正直に言えば、帰りたくないのう。じゃが、多くの民を置き去りにして来てるが良いのかと聞かれると、反論などできようもないのは確かじゃ。自分の短気が恨めしいわい」

「皆のことは一旦横に置いておいて。あなたが健康に過ごすことが重要だと考えましょ」

 リリエラは、マーガレットフリートに郷愁も愛着も残してはいない。敵対したい程の憎しみはないが、擁護する程好きでもなかった。ただ、アンのことは別だ。だから、マーガレットフリート全体のことと、アン本人のことのどっちを取るかという選択を求められた時、迷わずアン個人を選ぶことができた。

「私が知る限りあなたはいつも辛抱強かったし、皆のことを十分考えていたわ。そのあなたが飛び出したくらいなんだもの。相当の我慢と無理をしていたんだろうって分かるわ」

「そうなんじゃろうか。私には自分のことは分からんのう」

 アンが弱々しく笑い、困ったように首を傾げた。そんな様子を見たリリエラは、こんな状態のアンを、マーガレットフリートに返す訳にはいかない、と理解した。アンの前で彼女は屈み、彼女の頭を抱えながら、視線だけをハワードに向けた。

「我慢しすぎたのね。アンはもう限界です」

 ハワードが止めもせずにアンが飛び出すに任せた理由が、リリエラにも分かった。間違いなくそれはアンに必要なことだった。

「俺も帰すつもりはない。アンが自発的に立ち直り、改めて帰るというのであれば別だが」

 ハワードも頷く。とはいえ、アンには落ち着ける場所が必要だ。それは野外ではなく、候補はマーガレットフリート以外のデザートラインしかない。生身の人を、いつまでも荒野に置いておくことはできないのだ。リリエラにもそれは分かっているから、彼女はアンの頭を撫でながら、ハワードに、どうするつもりなのかを聞いた。

「どこかあてはあるんですか? 彼女には、当面身を寄せる場所が必要だわ。彼女のことを知らない、あるいは、彼女が何者であっても気にしないで接してくれる場所が」

「あてにしている場所はある」

 それはハワードも分かっているようだった。彼は難しい顔で、呻き声のように答えた。

「だが、今どのあたりにいるのかは分からんのだ」

 連絡を取る方法がある訳でもない。それができるようであれば話は楽なのだが、それ程の広域通信技術は確立していなかった。通信が届くようであれば既に目視で見える距離に近いと言っていい。それはもう、その旅団を見つけたということだ。

「どこですか?」

 経験に乏しいリリエラと違い、長く探索をしているハワードは、数多くの旅団との戦いも経験しており、当然協力も経験している。それだけに様々な旅団のことを知っており、また、面識もあった。ハワードに心当たりがあっても不思議はなかった。

「アイアンリバーという。歴史は浅い。つい最近突然頭角を現した旅団で、一七編制ものデザートラインを保有する超巨大な旅団だ」

「ああ、世界最大規模っていう……一七編制? 一五編制って話じゃありませんでした?」

 リリエラが知る限り、アイアンリバーが知られるようになるまでは、最大の旅団でも一二編制だった筈だ。それをあっさり塗り替えた旅団が何処にそれまで潜んでいたのか、誰も知らない謎の多い旅団だった。リリエラが最後に噂で聞いた限りでは、間違いなく一五編制と聞いていた。更に規模を拡大したというのか。

「弱小旅団を保護する方針を取っているそうだからな。小さな村旅団を車両ごと吸収して規模を増したとしても不思議はない」

 ハワードが言うにはそういうことだった。クリークステップもそうだったが、村旅団は装備が貧弱であることがほとんどだ。吸収したといえ戦力にはならず、むしろ守らなければならないお荷物を抱え込むことになるに等しい。相当防衛に自信があるという証拠だった。

「……面識は、あ、そうか」

 最近、マーガレットフリートとも接触があったとはリリエラも聞いている。村旅団でも噂は聞こえてくるものだ。アンもアイアンリバーの指導者層と面識があるのかもしれない。

「あそこの最高指導者も女性で、アンとも年代が近い。なかなか個性的な人物ではあったが、接触した時も何かとアンを気遣ってくれていたように思う。あそこであれば信用できる。事情を話せば匿ってもくれるだろう」

「個性的っていうと、どんな風に?」

 個性的、という言葉が、リリエラには引っ掛かった。マーガレットフリートがアイアンリバーと接触し、取引や会談が平和的に行われたのは確かだが、それはリリエラがマーガレットフリートに置き去りにされ、クリークステップに拾われたあとの話だ。リリエラは詳しく内容を知らないし、アイアンリバーのこともほぼ何も知らないに等しかった。

「フェリーチェル・スワロウテイル・マラカイトモスという人物だ。彼女は……布製の人形なのだ。人形女帝と呼ばれているらしい」

 ハワードの説明も、どう言っていいのか表現に困ったようで言葉を選んだ末に、ストレートに話すことを選んだように不確かだった。

「良いお人じゃよ。人形じゃが」

 アンも、殊更のように人形だと強調した。


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