第四話 マグニフィセント
リリエラは、最初こそ三体を纏めて倒したものの、その後は、襲ってきたパペットレイスを、無理はせず、ひとりずつ確実に返り討ちにしながら移動を続けた。
「マグニフィセント」
舌打ちするように、リリエラが呟く。彼女自身、襲ってきたパペットレイスの正体を知っていた。リリエラが最初にいた旅団であり、パペットレイス“リリエラ”を製造した旅団でもあるマーガレットフリートに所属するパペットレイスチームの一つが、マグニフィセントだった。名前こそ立派だが、その実情は、何のことはない、旅団内でも『汚物処理班』と揶揄されていた程の、汚れ仕事を専門に担うチームだ。
マグニフィセントに狙われる理由に、当然、リリエラは心当たりがあった。その理由は勿論リリエラ自身にあり、だがそれは、彼女自身には何の落ち度もないことであるということも、リリエラ本人は理解していた。
「こんな半端な素人を寄こして。戻って来いってこと?」
そして、それだけに、本物のマグニフィセントがこんなだらしのない集団でないことも、リリエラは熟知していた。使い捨ての末端、あるいは新米を寄こしてきていることは確実だった。
確かに、リリエラ自身も、パペットレイスとしては新米で、実戦経験に乏しい未熟者だ。正直パペットレイスのボディーの特性にまだ馴染み切れていないし、限界も体感として理解できていない。しかし一方でケミカルマンサーとしては術を熟知しており、その道の第一人者である自負を持っていた。
実のところ、リリエラは、純粋な人であった頃の記憶を捨ててはいない。他に例をみないという訳ではないが、人であった頃の記憶を抱えたままパペットレイスになった、彼女のような実例は少ない。
というのも、人であった頃の記憶を持ったままパペットレイスになることは、極めて危険であったからだった。人の身とパペットレイスのボディーのギャップに苦しみ、自我を崩壊させる事故が起きやすいことが報告されていることは、リリエラも知っている。
パペットレイスを製造には、人の魂の提供が必須になる。つまりそれはパペットレイスになることを志願した人がパペットレイスに生まれ変わるということであり、その志願をする理由は様々だが、志願をするのは、たいていは、人の身での死期が近いと悟った者達だった。あるいは、怪我や病気で、満足に自力で動くことが難しくなった者達か。ほとんどが、人間であった頃の記憶をリセットし、まっさらな第二の生を享受し、人であった頃のことを思い出すことはない。パペットレイスの体に心が拒否反応を起こさない為の措置であると、皆、それで納得していた。
そんな理由があると知りつつも、人間の頃の記憶をリセットしないことを選んだ数少ない者達には、彼等なりの理由があるのが常だった。忘れたくないことがある、忘れたくない者がいる、忘れてはならない知識があるなどだ。リリエラが、マグニフィセントに襲われる理由があるとすれば、そこにあるのだということを、彼女自身理解していた。
「生き残ったのを、よく把握できたわね」
パペットレイスには、パペットレイス自身の安全、なるべく喪失しない為の処置として、追跡ビーコンが埋め込まれている。それはリリエラも知っている。何故なら彼女は魔術と錬金術の双方を修める必要があり、それを融合させた術の使い手であり、それだけに、人間であった頃は、自身もパペットレイス製造の技師であったのだから、誰よりもよく知っていた。
その記憶を有したままパペットレイスになった彼女は、当然、自分の中の追跡ビーコンも認識できる。そして彼女はそれだけを融解させる術を使うことができる術者で、マーガレットフリートでの探索任務を失敗し、クリークステップに拾われた時に、ビーコンを溶かした。クリークステップには追跡装置がなく、残しても問題の種でしかないと考えた。
リリエラは、マーガレットフリートの事情を、ある程度は把握している。とはいえ彼女が知っているのはたいして重要な意味があることでもなく、口外するつもりもないし、ましてや誰かに話して意味がある訳でもなかった。心配のしすぎだとリリエラには思えなくもなかったが、その慎重さがマーガレットフリートの流儀であることも理解していた。
マーガレットフリートの名は、かつて最大の浮遊大陸であったハイエア・マーガレットの名を由来としている。また、ハイエア・マーガレットの地の名も、最も隆盛を誇っていた初代の時代、象徴的な国主とされたのが女性で、マーガレットという名であったことから来ている。マーガレットフリートは、そのハイエア・マーガレットの正当な末裔を自称しており、ハイエア・マーガレットの再興と繁栄による、コラプスドエニーの再生を最終目的として活動しているのだった。
マーガレットフリートはその為に、ハイエア・マーガレット時代から続く血筋として、象徴的な君主として女性を就かせていたし、それ故に自分達の『崇高な目的』を理解せず邪魔するものを許さない姿勢も貫いている。デザートライン旅団としては中堅クラスの規模でありながら、マーガレットフリートが存続しており、つまり、略奪旅団の襲撃や、他の旅団との資源の争奪戦に安定して勝利できているのは、その慎重さと苛烈さゆえのことだった。
それを良く知っているリリエラも、マグニフィセントの実力不足の者達の襲撃を、マーガレットフリートからの警告だと受け取った。
『戻って来い。でなければ殺す』
というメッセージだと認識したのだ。また、かつての同胞として、一定の配慮をした手加減であるとも考えた。最初から殺すつもりであれば、もっと手練れを寄こしている筈だ。そういった手練れの方が、マーガレットフリートにはむしろ多い。
だからと言って、大人しくリリエラがマーガレットフリートに戻るかといえば別問題だ。例えマグニフィセントに追われるとしても、マーガレットフリートに戻れば、彼女が求めるあのフェアリー、まだリリエラは名も知らないコチョウの姿を探す機会は失われるだろう。それが分かっているから、これが本当に警告だとしても、従う気にはなれなかった。
「どうしたものかしら」
リリエラはケミカルマンサーとしては超一流であれ、探索に関してはほぼ素人だ。マグニフィセントに追われて、出し抜けるとは到底思えなかった。向こうも戦闘のプロフェッショナルで、しかも探索スキルはどう考えても彼等の方がずっと高い。状況は圧倒的に不利と言って良かった。
流石に新米レベルの下っ端に後れを取ることはなく、濃い色の毒ガスと、それを変質させた体の自由を奪うトラップに紛れ、順調にマグニフィセントを撃退し続け、ついには最後の一人まですべて倒し終えたが、これで終わりである訳がない。
そもそも、マーガレットフリートが、何故リリエラが生きているのかを知っているのかの理由も分からなかった。さらに、体内の追跡ビーコンをすべて破壊したリリエラを、どうやって正確に追跡できるのかも、理屈に合わなかった。
「私も知らない何かが私の体にある?」
そんな訳がない。だったら最初から探索任務の失敗で見捨てられるようなことはなかっただろう。少なくとも、すぐに回収できるよう、近くに他のパペットレイスが追従していた筈だ。
もしくは自分では完全に記憶を受け継いだつもりが、何か記憶の欠損があって自分が気付けていないだけなのか。それも考えにくかった。
迎えに来るなら兎も角、刺客を使って警告してくるようなやり方も納得いかない。別にマーガレットフリートを脱走した訳でもないし、ましてや敵対している覚えもない。生存を知って接触してくるのは十分マーガレットフリートの慎重なやり方を考えれば分かることだが、いきなり襲撃という過激な手段に出た理由には、疑問を覚えた。
とりあえず、当面は凌いだが、見通しの悪い大湿地を徘徊するのはむしろ自分が危険かもしれない、そんな風に今後の行動を考える為に、リリエラは足を止めた。周囲の景色はガスに包まれ、自分がどちらから来たのかさえ、ともすれば判然としない。これではいつ不意打ちを受けても不思議はないと、リリエラは自分が極めて危険な環境に身を置いていることを自覚した。さて、だが、大湿地を出るには、どちらに向かえばいい。リリエラはコートを捲り、その内側に並んだ小分けされたポケットを弄りながら思案した。手には小瓶が幾つか握られていて、それこそが小瓶に詰められたケミカルマンシーを行使する為の触媒だった。それをコートの内ポケットに仕舞っていく。
そんな彼女の背後で、不意に物音がした。
まだ敵がいたのか。気配を感じなかった彼女は、慌てて振り向き、触媒入りの小瓶が一つ、すっぽ抜けて転がって行った。
「少々気を抜くのが早かったのは確かだ」
小瓶は転がった先で、金属製の足に当たり、止まった。それを、やはり金属製の指が摘まみ上げる。だが、彼女に声を掛けた相手は、全身金属のパペットレイスではなかった。手足に金属のプロテクターを付けた、男だ。
「先生?」
リリエラの口から出たのはその一言だった。