第三話 ケミカルマンシー
彼女は、確かにフェアリーだった。
そして、フェアリーという種族が、遥か昔に滅んだ種族であることも正しかった。彼女は普通のフェアリーではなく、標準的なフェアリーでもなかった。
彼女の名は、コチョウという。崇竜氷海と今は呼ばれている地域にかつて存在した島国、葦原諸島国の女性名だ。その名の通り、小妖精種族の中でもフェアリーの最大の特徴である、蝶の翅をもっている。その翅の色は地味とも言えるくらい藍色で、彼女の持つ幻想的とは程遠い雰囲気の、一番の原因とも言えた。
瞳は血のように赤く、ともすれば吸血鬼の類と間違えそうな程に冷たい。しかし、うっすらと朱の差した唇と、生気に溢れた明るい肌の色が、アンデッドではないことを証明していた。
鋼のように鈍く輝く銀髪が、ことさらに彼女の冷たい印象を助長している。フェアリーという種族名のイメージを打ち砕くかのように、刃物のような剣呑さを全身から醸し出していた。
彼女もホムンクルスであった前身を持つが、これまでの冒険で魔神等の魂を食い、そういった力を使って本物のフェアリーになった経緯を持つ。もっとも彼女自身、ホムンクルスであった時代から、パペットレイス同様、人の魂を宿した存在であったからできたことだ。順序とすれば、人類がコチョウ達を作り出させる技術があったからこそ、パペットレイスが生まれた、といった方が正しい。彼女はフェアリーでは珍しい超能力者であり、倒した相手の力と経験を奪い取る能力を有していた。
コチョウがデザートラインの砲弾を受けても、毒ガスの中に居続けていても、平然としているのは、魔神や強大な竜神から力を得たことによる、完璧に近い耐性と高い生命力ゆえのことだった。またそれだけの力を得た最大の理由として、彼女が、他者を殺め、力を奪うことに忌避感がまるでない、悪辣な性格の持ち主であることが大きかった。すべてが噛みあった結果、コチョウという未曽有の化け物は生まれた。
「リリエラか。面白い術を使う」
また、コチョウには他者の心を読む超能力もある。プライベートから能力まで、ほとんどの者の情報は、彼女の前ではぶら下げた看板に書いてあるに等しかった。その為、リリエラがコチョウに憧れ、探していることも、リリエラがケミカルマンシーという一風変わった魔術の使い手であることも理解していた。
実際使ったところを見た訳ではない為、リリエラの使うケミカルマンシーというものがどういうものなのかは、コチョウにはまだ概要しか分からないが、興味は覚えた。錬金術と魔術の中間的な技術らしく、薬品を触媒としたり、その場に存在する化学エネルギーを利用したりして、その効果を制御する魔術、というのが大まかな内容らしい。そう聞くとそのまま薬品同士を反応させた方が早いのではと思えるのだが、それは早計というものだ。
ケミカルマンシーの真価は、その反応が起こりえない環境でも無理矢理反応させることが可能、つまり、水中で火を起こす、など、通常の魔術であれば不発に終わる状況でも無理矢理術を発動させられる、ということにあった。また、例え魔術であっても、効果が自然現象であれば、それをインターセプトして制御する、例えば火炎弾の火を一瞬で鎮める、などということができる、という特徴もある。それは発火という化学的現象を抑えてしまうことである為、互いの魔力の量とは無関係に制御できてしまうことから、ケミカルマンシーはある種の魔術師殺し、特に破壊系の魔術を得意とする術者に対して高いカウンター能力を有する魔術であり、意外な程、可能性は高いように見えた。それだけに、コチョウも逆に、その術を使うリリエラに、興味を持った。
本来であれば、ある程度観察したら、相手の手並みを見る為に自分で襲い掛かってみるのがコチョウのお決まりのパターンだ。だが、今回はただ観察するだけで、手は出していない。正確に言うならば、襲い掛かってみるつもりはあったのだが、タイミングを逃してしまったのだ。というのも、コチョウ以外の襲撃が、リリエラの身に降りかかったのである。実際、資源争い等で異なるデザートライン旅団に属したパペットレイス間での戦闘は少なくない。だが、その場合には明らかにそれと分かるデザートラインが危険区域のぎりぎり外側に停車しているものだ。近くにデザートラインも見えないパペットレイスが襲われるというのは異例の事態といえた。
リリエラを襲ったのは、全身が黒鉄鋼のボディーを持ったパペットレイス三体だった。どう見ても頑丈さと剛腕を武器としている直接戦闘タイプで、一見した限りではリリエラとは相性が悪い。ケミカルマンシーは対魔法に対しては高い防御能力を持つが、直接物理攻撃に対しての防御の術を持っていそうにないというのがその理由だった。
だが、リリエラはパペットレイスとしては確かに経験不足だろうが、ケミカルマンサーとしては明らかに熟知している動きを見せた。
金属製の三体のパペットボディーが、自重を支えきれなくなったように、即座に崩壊したのだ。
「関節を腐食させやがった」
コチョウは感嘆の声を上げた。未熟な若輩者かと思えば、どうして迷いなく相手を破壊する。高い防御性能と腐食耐性を持つ魔法金属であっても、強制的な化学変化で劣化させられると、自壊を防ぐことはできない。その弱点を突いたという訳だ。
「こいつは使えるかもしれん」
なにより、金属の体を持つ造られた人とはいえ、相手も人であることに変わりない。それを躊躇なくバラバラにできる性根が気に入った。いざという時に、死を覚悟しながら、死にたがりでもなく、生き残る為に必死になれる、敵に回すと最も厄介なタイプだ。
もっとも、リリエラを襲った者達も、直接姿を現した三人という訳でもないようだった。毒ガスの有色の霧に紛れ、クロスボウボルトがリリエラを襲う。襲撃したパペットレイス達は明らかにリリエラを殺しにかかっていて、相手を間違えているという訳でもなさそうだった。
リリエラも善戦はしている。クロスボウボルトはかろうじて当たらず、立ち止まっていては危険だと判断した彼女が、敢えてガスの濃い方へ移動していく。出来るだけ自分の身を敵に晒さないようにという狙いだ。各個撃破の鉄則でもある。ろくに実戦経験もないパペットレイスとしては驚く程に冷静な思考だと言って差し支えない。相手もそれ程の手練れとは言えないということもあったが、如何せん敵の数が多い。コチョウが気付いているだけで、襲撃者チームの人数は、まだ六、七人いるようだった。
「何故狙われている?」
コチョウが呟く。ただの若いパペットレイスではないのか。リリエラが、何処かのデザートライン旅団から恨みを買う程の経験を積んでいないのは確かだ。だとしたら、彼女自身に何か理由があるということか。
「違うな」
コチョウが思案している間に、さらに二人の襲撃者が倒れた。とにかくリリエラはベテラン並みに戦闘が上手い。何より、位置取りが巧みで、うまく敵を乾いた土と見分けのつかないぬかるみに誘導し、足を封じて連携を取りにくくさせるのが上手かった。ただの若手パペットレイスではない、その老獪さは、コチョウにそう解釈させるに十分でもあった。もっとも、狙われている理由は、リリエラ自身にも分かっていないようだ。今すぐに接触して探るか、それともしばらく泳がせて尻尾を掴めるまで関わらないか、コチョウはどちらが面倒臭くなさそうかを算用した。
「どっちも面倒臭い」
それがコチョウの結論だった。
それで、彼女は第三の選択肢、リリエラが自分を見つけられるようであれば、秘密を暴く価値があると考えよう、と結論付けた。リリエラを襲ってくる勢力がどれだけいるのかは知らないが、いちいち相手をするのも面倒臭く、何より一度顔を合わせればリリエラがついて来ようとすることも疑いようがない。それが何より面倒なことに思えてならなかった。
「とりあえず、勝手にさせておくか」
結局、コチョウがリエラに手を貸すことはなかった。ここで謎のパペットレイス共に倒されるようであれば、所詮その程度の秘密ということであり、たとえそれがコラプスドエニー全体に纏わる秘密だったとしても、闇に葬られてしまえばいいと、コチョウは無責任に考えた。
「ま、生き残るだろ」
何処かで、そう期待してもいた。運だろうと、実力だろうと、どんな理由でもいい。リリエラは生き残る筈だと、コチョウは感じた。それだけの生命力を、彼女に見たのだ。
故に、コチョウは飛び去った。
向かう先は、湿地帯の外に位置する荒れ地だ。そこにはぽっかりと口を開けた洞窟があり、その中に人の気配があった。パペットレイスではなく、人だ。
「ふうん」
中を覗かなくても、コチョウは超能力で中の様子を見ることができる。そこに潜んでいる人物が誰なのかの知識も、コチョウは持ち合わせていた。
「ま、知らせてやるか」
そう呟くと、コチョウは、喉の奥で笑った。
親切心とは程遠い感情による笑みだった。