第二話 フェアリー・カース
その声は不遜でもあり、不機嫌そうでもあった。
「フェアリーで悪いか」
答えがなかったことに苛立ったように、その声は再度、先程よりもっと低く、告げた。少女の声にも聞こえるが、もっと邪悪な、天で燻る雷鳴のようにも聞こえた。
「まあいい。どうせお前等には興味もない」
そう言うと、声はすぐに聞こえなくなった。
リリエラには声の主がどっちへ向かったのかは分からなかったが、すぐに何処へ行ったのか、クリークステップの者達全員が知るところとなった。
襲撃を掛けてこようとし、その謎のフェアリーに返り討ちにされた襲撃者達の、動かなくなった車列の周囲で、土煙と渦巻く闇、そして破壊の爆炎が遠く見えたのだ。誰もが、あのフェアリーが連中を虐殺して回っているのだと確信した。その容赦のない破壊は、轟音となってリリエラ達の所まで届いてきていた。
「何なんだ」
誰かがそう呟くのも無理のない話だ。当然、パペットレイス達の中にも、村の人間達の中にも、フェアリーという種族を見たことがある者が残っている訳ではない。遥か昔の歴史書や、物語の中にその記述を見たことがあるだけである。しかし、今、現実に見ているフェアリーと、物語の中の記述との剥離に、誰もが、何が正しいのか分からなくなっていた。
フェアリーは、書物の中ではか弱く、儚い生物として記されている。しかし現実はどうだ。砲弾が当たっても、痛い、で終わり、一〇編成もの略奪旅団を一方的に殲滅している。実際、書物やクリークステップの面々の知識の方が標準的なフェアリーの真実で、今現実に暴れ回っているフェアリーの方が異常なのだが、そんなことは彼等が知る由もなかった。
いずれにせよ、リリエラの初陣は、肩透かしという形の命拾いをした事実と共に、姿を見ることも叶わなかったフェアリーの、だが、鮮烈な記憶として刻まれた。
そして、その日以降、彼女の思考は、そのフェアリーへの興味で多くを占められるようになった。いったいどこの誰なのか。どんな容姿をしているのか。フェアリーという種族は滅んだのではなかったのか。他にフェアリーは今も生きているのか。彼女は何故あの場に居合わせたのか。何処から来たのか。何処へ行くのか。何も分からず、あまりにもミステリアスで、だからこそ、想像をかきたれられずにはいられなかった。
クリークステップの仲間達は、明らかに注意散漫になったリリエラの異変に、すぐに気付いた。そして彼女がその理由を聞かれ、あの時のフェアリーが何者だったのか知りたい、もう一度会ってみたいと答えると、それは破滅への願望だと、皆、口を揃えて忠告した。忘れるべきで、関わるべきではないと。
実際、クリークステップの面々は、あの襲撃事件のあと、襲撃者達の車列の残骸を確認したのだ。もともと襲撃して来ようとしていた者達とはいえ、生存者がいれば救助しようという意見で、村の意志が纏まったからだった。彼等が駆けつけた時には既にフェアリーは去った後で、生存者はいなかった。襲撃旅団とはいえ、女子供や老人もいる。そういった戦えないことが明らかな者達さえ、何かに巻き込まれたりして死んだのではなく、間違いなく故意だと分かる殺された方をされていて、明確に言うと、すべて死体は首を落とされていた。徹底的な破壊と、躊躇のない殺意が、夥しく溢れていた。そして、恐るべきことに、それをやったのは、たった一人のフェアリーであったのだ。リリエラを除き、クリークステップの村中が震撼し、恐怖して当然だった。
それでも、リリエラの興味は日に日に募るばかりで、消えることはなかった。それで村の住人と対立するなどということはなかったが、やはり度々上の空でいることが増え、村人や仲間のパペットレイス達に心配をかけてしまっていることは、彼女も自覚していた。周囲との反応の差によって、何処か自分は村の面々とは違うのだという認識が、リリエラの胸中に常に渦巻いた。
そして、ついに彼女は、クリークステップを去ることを決意した。そのまま上の空が続けば他の住民を危険に晒すことも分かっていたし、正直な気持ち、探しに行きたいという思いでいてもたってもいられなかったのもあった。彼女はそれを、クリークステップに拾われる前に、探索に失敗して死ぬ運命だった自分の無力感がずっと根底になったのだろうと、自分で分析していた。その事実は消えないし、だからこそ、たった一人、強大な戦力さえ問題にせず、また、ただ一人荒野に去って行ったあのフェアリーが眩しかったのだと。彼女が生きていくのに、デザートライン旅団に庇護を求める必要さえないのだろう。リリエラにはそう思えた。もともとのデザートライン旅団に見捨てられ、なおも他のデザートライン旅団であるこの村に救われていなかったら生き残ることを諦めていただろう自分と違い、何と力強いことか。
しかし同時にリリエラは思う。フェアリーに出来るのであれば、本当は自分がやろうとしなかっただけで、パペットレイスである自分にもできることなのではないかと。それが試してみたくなった。居候のようにクリークステップで迷惑をかけ続けるよりも、それでだめだったとしてもずっといいと、リリエラは考えた。
「だから、私は、皆を、致命的な事故に巻き込む前に、あのフェアリーを探しに、出て行くことにしました」
リリエラは、クリークステップ全体の長と、パペットレイスチームのリーダーの二人に面談を求め、二人の前でそう宣言した。
クリークステップの誰にも、リリエラの興味を止められないことは、分かっていたように二人は頷いた。
「私に異論はない。君がそうしたければ思うようにやってみなさい。そして、無理だと思ったらいつでも帰って来なさい。ここは君の旅団で、君の家だ」
クリークステップの長はそう言ってリリエラを送り出してくれた。パペットレイスチームのリーダーは何も言わなかったが、彼女が列車を降りる前に、皆からの選別だと言って、当面の食糧と、夜に暖を取る為の毛布、そして、荷物を入れるリュックサックと固形燃料少量を分け与えた。当然、どれもクリークステップのような小さな旅団では、貴重なものだ。
「ありがとう」
リリエラは情に厚い旅団の皆の深い愛情に触れ、名残惜しい気持ちで一杯になりながらそれを受け取り、しかし、その情さえも、彼女があのフェアリーに向けた純粋な憧れを止めることはできなかった。
分かっていた。あのフェアリーはおそらくそんな高尚なものではなく、もっとグロテスクで、暴力的で、無慈悲な殺戮者に過ぎなかったのだろうと。それでもリリエラには、あの何処までも一方的な破壊の光景をたった一人で作り出せる強さに、憧れを抱いた。彼女に会い、彼女のことを知りたかった。
リリエラがクリークステップを離れ、独り歩き始めたのは、遠くの空にひと際大きな浮遊大陸が霞む、毒ガスが噴き出る大湿地の縁に近い、湿地とは反対側に何処までも平らで、岩も枯木も見えないどこまでも乾いたデッドフラットの大地の片隅だった。
平地には生物はいない。リリエラは探索の為の知識として、かつて育てられた旅団でそう教わった。だから、彼女の足は荒野の広がりでなく、湿地帯のぬかるみへと自然に向かった。
幸い彼女はパペットレイスで、毒ガスには耐性がある。人間が食用に向かない、肉に毒分を含んだ獣や虫を栄養として摂取することもできる。しかし、同時に、彼女は有機体型のパペットレイスで、ゴーレムのような体を持つ、無機体のボディーのパペットレイスと違い、食事を必要としている。皆がもたせてくれた食糧は生命線で、できる限りはとっておきたいものだ。彼女はまず沼地に住む、食糧になる生き物を探した。
モンスターの類は浮遊大陸にいて滅多に降りてくることはないが、稀に地上に降りた固体と遭遇することもあるという。夜間の安全確保も必要だった。獲物を探しながら、リリエラは比較的安全な、夜間滞在できそうな場所も並行して探した。
視界は煙っていて悪いが、資源の探索の時もそうだ。特に問題だとは思わなかった。
獲物はなかなか見つからない。大湿地に住むものは警戒心が強い。根気よく、焦らずに探すしかなかった。
そんな彼女を、眺めている目があった。リリエラ自身はそのことに気付いていない。逆にリリエラを観察している目は、リリエラが何の為にデザートライン旅団を離れたのかを、理解していた。
「ふうん。面白いじゃないか」
その人物が、他人に興味を持つことは少ない。だが、リリエラがもつ力への渇望と憧れには、共感を覚えていた。
「とはいえ、足手纏いにしかならんな」
そんな風に呟きながら、濃い毒ガスの中で、平然と浮いていた。生身でありながら、毒素をまったく苦にしない様子は、やはり化物と呼んで差し支えなかった。
「足掻いて生き抜いて、死ぬ気になったら考えてやらないでもないぞ?」
リリエラに聞こえない声で言う。そこには、リリエラが探す、あのフェアリーがいた。