第二九話
エスプは施設に残り、コチョウにはもうついてこなかった。おそらく分かったことを他の四人に共有し、どうしていいのか相談しているのだろう。それならそれでいい。コチョウは放っておくことにした。
兎に角、コチョウの頭の中には、あの胡乱な人型にやり返す方が優先で、それ以外はどうでも良かった。
結局、コチョウにも、自分が何者であるかはまだ確実な事実としては分かっていない。薄々推測はついていたが、まだ確証には至っていなかった。
一度コチョウが放り込まれた遺跡の上空で、あの人型は待っていた。
「おお、戻ったか。逃げられた時は流石に肝を冷やしたぞ」
人型はコチョウを歓迎し、問答無用で、コチョウの中の魔神を封じに掛かった。今回は、絡め取ろうとするその力が、コチョウにも見えた。
「無駄だぞ?」
涼しい顔で、コチョウがふっと息を吹きかけるだけで、その力は消し飛んだ。打ち消したのは、勿論、スウリュウの力だ。
「おお、なんと。この短期間で」
と、人型が喜びを声に出す。コチョウが力を増せば増しただけ喜ばしい、といった感情が浮かんでいた。
「魂がない残留思念の割に、煩い奴だ」
コチョウは苦笑を返した。面と向かってみて、確信できた。やはり、そうだ。
「魂は返さん。体もやらん」
と、告げる。超能力の強度が増したからか、あるいは、スウリュウの力か、コチョウには、目の前の相手が、魂のもとの持ち主の残留思念であることが分かる。
「かまわん。かまわん」
残留思念は、自分がコチョウを手に入れることに、拘りがないように見えた。コチョウが自分を継いでくれればそれでいいと考えているようでもあった。
「私は私で、お前じゃない」
コチョウは原点回帰するつもりもなかったが、
「だが、お前に残っているだろう知識は惜しい」
同時に、すべて消すには勿体ないとは思っていた。無論、それ以外は、必要ないとも。
「何とも強欲な。儂によく似ておる」
残留思念は笑う。
「だが、お前がなんと言おうと、お前の魂は儂だ。儂も消されるつもりもない」
「ああ。平和的な解決はない。お前は私じゃないし、私はお前じゃない。平行線だ」
とはいえ。
「勝ち目がないのは理解しているだろうな」
今回は、コチョウの圧倒的優位は揺るがなかった。残留思念には、物理的な攻撃方法がない。一方で、コチョウは魔法的攻撃を、スウリュウの力でシャットアウトすることができる。
「それはどうだろうな」
奥の手がある、と言いたげに、残留思念が笑ったように見えた。しかし、その表情も、一瞬だけだった。
「……何故だ」
と、残留思念がたじろぐ。コチョウの中の自分の魂を呼び寄せようとしたのだ。だが、コチョウの中の魂が応えることはなかった。
「答えが知りたいか?」
コチョウは笑い、残留思念に手を伸ばす。コチョウの拳はすり抜けることなく、残留思念の首をむんずと掴んだ。
「ぐ」
苦悶の声を、残留思念が上げる。あり得ないことが起こっている、そう考えているのが、ぼんやりと虚ろな姿の表情に浮かんでいた。
「私が、お前を、超えたからだ」
コチョウが告げる。
「私の中に、古の龍神の魂が宿ったからさ」
と、笑いながら、コチョウは残留思念の首を掴んだ手に力を込めた。
「私の中には、スウリュウがいる。だからお前の知識は私には理解できる。だが、だ」
と、笑い。
「お前に龍神の英知を見ることはできん。今更私の魂を、お前がどうこうできる訳がない」
コチョウは、残留思念を、握り潰した。その瞬間、その人格に残っていた記憶と知識は、コチョウに流れ込んできた。
そして、様々なことを、コチョウは知った。
それだけのことを、残留思念は記憶として残していて、コチョウもそれを、自分の記憶や知識として、すんなりと、受け入れることができた。
時系列ごとに、コラプスドエニーの歴史や残留思念の記憶を、コチョウは頭の中で整理してみた。その内容はこうだった。
もともと、コラプルドエニーは荒廃した、通常の生物が住めない世界だった。ただ、その頃から悪条件の環境でも生きられる、モンスターや魔神族などは生息していたらしい。今いる人間達は、そんな世界に入植してきた者達の末裔で、入植者たちは、自分達が生きていけるように、環境管理用の魔法装置を設置して、世界の環境を、無理矢理改造した。動力が捕らえた魔神族だというところまで、コチョウの調査結果通りだ。
そして、コチョウの元の魂の持ち主(いちいち考えるのが面倒である為、コチョウはそれを女、と称して整理することにした)はというと、まだ世界の環境管理システムが正常に機能していて、地上も緑豊かな大地だった頃の人物だということも間違いなかった。その頃の女は優れた魔法装置の技術者であり、その技術があったがゆえに、この世界の環境管理システムがいずれ異常をきたす筈だという仮説を立てたようだった。
そして、その異常発生のプロセスと、影響を検証する為に、女は環境管理システムのレプリカ機能と、シミュレーションの為の仮装世界を造り出す機能を備えた魔法装置、女がアーティファクトと呼んだものを開発した。
今コチョウの肉体の元になっている、自分が第六世代の人形と呼んだホムンクルスボディは、その時に女がアーティファクトと一緒に開発したものだ。ボディの開発には何度もの失敗を繰り返したが、それがルナ達成り損ないを生む経緯になった。
一方で、世界は女の研究を危険視した。アーティファクトは女のもとから取り上げられ、その末に、人形劇の舞台装置として流用されたのだ。もともと、あの仮想世界は、学術的な検証の為の物であり、そんなことの為のものではなかったのだ。
転用されることになったのは、女が作成したホムンクルスボディーも、アーティファクトと一緒に押収されたからだ。それを再現する為に人形は研究されたが、女自身も失敗を繰り返しやっと製作したもので、他に理解できる者がいなかった。それ故に段階的な再現が試みられ、その結果、様々な人形が作られることになった。それが、箱庭世界内にいた、各世代の人形だ。第六世代の人形と思われた人形は、実際には、第零世代と呼ぶべきものだったのだ。
当然、女は腹に据えかねた。自分の研究の成果は奪われ、あろうことか娯楽の為などに転用されたのだから、怒り心頭だった。そして、女には同時に知識があった。環境管理システムのレプリカが造れたということは、つまり、この世界の環境管理システムを、ある程度理解できていたということだったのだ。怒りで暴走した女は実際の環境管理システムを狂わせる計画を練り、だが、その大半は、実行に移せなかった。女の計画は露呈し、すぐに捕らえられた。そして、女は魂を自分が造った人形に押し込められたうえ、仮想世界に劇人形として投げ入れられた。
とはいえ、それは軽率な行動だった。完全に理解できていないにもかかわらず、女自身が開発した人形に女自身が捕らえれば罰となるという安易な考えのもとに魂の器が選ばれたせいで、その人形はアーティファクトの制御通りに動かなかったのだ。その結果、人々は、仮想世界ごと、女を封印せざるを得なくなったのだ。
さらに、女はまったく環境管理システムを弄られなかった訳でもなかった。即時実行には移せなかったが、細工は仕掛けられていたのだ。本来は世界に宣言した後に遠隔で作動させる筈だったそれは、結局、その時には女も利用できなかったが、女が現実世界に戻ると宣言するに至った目的もそれだった。女自身が、現実世界に舞い戻った際に、遠隔で、もう一度作動させるつもりだったのだ。女は、その為の魔法発動キーを、自分が製作した人形に自分の魂が込められるときに、仕込んでいた。
「成程な」
と、コチョウは呟く。自分の中で、それがカチリ、と作動したのが分かった。朱雀が言っていた、コチョウが自分を認識すれば世界が滅亡に向かうという話も、今の、フェアリーのコチョウが選ばれた訳でもないというのも、本当のことだった。すべては、コチョウの魂の元の持ち主だった、魔法装置技師に、仕組まれたことだったのだ。
「まさかそんなキーだったとはな」
コチョウは笑う。
それは、コチョウの名前に、最初から眠っていた。自分が自分につけた名前。まさにその正しい読み方がキーだったのだ。
「確かに、コチョウ、とも読むな」
また笑う。技師の名は、小町、だった。