第二二話
スウリュウが落ちる。
鱗の色が抜けていく。コチョウは落ちていくスウリュウの巨体を追いかけ、ライフテイカーを脳天に突き立てた。スウリュウの鱗は、既に魔法的な防御を失っており、ライフテイカーの刃を弾くことはなかった。
「おお……これが、死というものか」
という声を最後に、スウリュウは絶命する。コチョウの体内に、その強大な魂が流れ込んでくるのが分かった。
恐ろしい響きを立て、スウリュウの巨体がぶつかった衝撃で、地表の分厚い氷を砕ける。その下から覗いたのは鈍い色の海原で、その深みへと、スウリュウの屍は消えるように沈んでいった。
相当の音がしたのだろう。ずいぶん遠くで、驚いたシャリールがイグルーから飛び出してきたのが見えた。
ふと、コチョウも周囲の寒さが和らいでいることに気付いた。その極寒の環境すらもが、スウリュウの能力によるものだったのだろう。
「何? 何があったんですか?」
シャリールがコチョウを見つけて飛んで来る。そして、コチョウが見下ろしている先の氷が粉々に割れていて、相当の広さで海面が見えていることに気付き、
「まさか」
と、震え上がった。
「スウリュウは死んだ。私が殺した」
もう感傷はない。コチョウは、平然と答えた。あとはもとアシハラだった地を探すだけだ。
「行くぞ」
シャリールが凍えていないことだけを横目で確かめると、コチョウはもうスウリュウがいなくなったスウリュウ氷海の奥へと向かい、飛んだ。
「勝ったんですか? 本当に、勝ったんですか? 冗談ですよね? ねえ?」
信じられないという困惑の声を上げながら、シャリールが追ってくる。コチョウは苦笑いを浮かべ、
「お前がいたら勝てなかったさ」
とだけ、言い返してやった。
周囲を見渡すが、氷原とその中に開いた穴から覗く海原以外、何も見えない。フェアリーの体ではアシハラの痕跡を探し回るのは、なかなか骨を折らされそうに思えた。
「よし、やってみるか」
竜の魂を食らい、その力を手に入れたからには、試してみたくもなるものだ。コチョウは再度高度を上げながら、自らの中の竜の魂に意識を向けた。
存在を少しずつ認識していく。その理解をコチョウが深めると、フェアリーの姿は消え、コチョウの体は急速に膨れ上がった。
そして変化したその後の姿は、まさにスウリュウそのものだった。竜となったコチョウは冷気を撒かず、今は逆に小さすぎる程に見えるようになったシャリールを見下ろした。
「何をしている。さっさと乗れ。置いて行くぞ」
天災と称される程のサイズ感になったコチョウにとって、氷原は広いものではない。スウリュウの広い知覚能力と探索範囲をもって、アシハラの残骸を見つけようということだった。
シャリールは、コチョウの目の前までやって来たが、そこに留まり、動かなくなった。コチョウが変じた竜の顔をまじまじと見つめて、口を開いた。
「やはり、私の望みは」
と、一人納得したように呟く。
「どうか、私を食べ、私の魂も取り込んでください」
シャリールは唐突に、そんなことを語り出した。コチョウには、その申し出の意図が分からなかった。
「なぜだ」
当然、聞いた。
「私は、たぶん、スウリュウに食べられたかったんだと思います。それで来たのだと」
シャリールの答えはそうだった。
「あなたが見た通り、私は流れてきた魔鳥にすら勝てません。厳しいこの世界では縄張りを持てないんです。あの小さな巣さえ、私は守れないんです。それは子孫を残せないのと同じ意味で、私は、この厳しい世界では弱すぎるということです」
「まあ、そうだろうな」
コチョウもそれは同意だった。浮遊大陸に巣を持っていなかった時点で察していたし、魔鳥に奪い取られていたあたり、もうその先に行き場などなかっただろうことも想像がついた。
「でも、私は、痛いのは嫌です。苦しいのも嫌です。だから、どうせ死ぬなら、一瞬で死にたかったんだと思います」
そして、それ以上にシャリールは弱かった、苦痛に対しての恐怖が、何よりも強かったのだ。
「成程な。理解はできる」
コチョウはさらに頷き、しばらく考え込んだ。どうしたいのかを自分の本心に聞いてみたが、非情とひとは言うかもしれないが、捻り出せた答えは、どっちでもいい、だった。
「お前がそうしてくれと言うなら、私は構わんが」
果たして、シャリールが本心で死を望んでいるのかは甚だ疑問だった。
「後悔する暇もないぞ?」
再度、意志を確かめる。
「はい」
とだけシャリールは答えた。目には、涙が溜まっていた。そして、居た堪れなくなったように、自分の気持ちを話し始めた。
「本心を言えば、私だって生きたいですよ。でもこの世界は、こんなじゃないですか。地上は腐っていて、私達が生きていく為には、空に浮かぶ狭い土地を取り合うしかないんです。あなたがあの巣を取り返してくれたのも手遅れなんですよ。私はあなたが倒したあの魔鳥に負けたんです。そして私はあなたにあの巣を奪われました。私は、自分の巣すら守れないことがはっきりしたんです。私はこの世界の自然界でどこまでも敗者に転げ落ちて、もう生きていける場所がないことがはっきりしたんです。だけど、私は、死ぬのは恐いから、せめて一思いに、私が死んだことも気付かないうちに食べてくれる相手に、殺されて、楽になりたかったんです。他の何かに、じわじわとなぶり殺しにされるのかと思うと、怖くてたまらないんです。あなたには分からないかもしれません。敗者に残された、細やかな望みなんて、そのくらいしかないんです」
シャリールが語ったのは厳しい自然界の中で生きていれば、必ず出る敗者の末路だった。コチョウはそれ自体については何処にでもあること、としか思えない。むしろ長々とよく喋るな、くらいの感想しかなかった。だから、彼女の答えは、一言だけだった。
「知らん」
本当にどうでも良かった。コチョウはこのままシャリールを連れ歩いて邪魔かどうかだけを考えた。そして彼女の答えは決まっていた。
「それ以上鬱陶しいことを長々と話されるくらいなら、確かに食った方が早いな」
「ひっ」
面と向かって、はっきり言われてしまうとシャリールには、怯んでしまう程度の心の強さしかない。怖いものは怖いのだ。それは生存本能が命じることでもあり、仕方のないことだった。
「どれ。いいなら逃げるな」
コチョウが大きく顎を開く。そこに並んだ巨大な牙を目の当たりにして、シャリールは途端に青くなった。
「ま、待ってください。やっぱり怖いです。怖いんです。バリバリその牙で砕かれるところを想像すると、怖くてたまりません」
「そりゃそうだろう」
当たり前だとコチョウは笑った。待てと言われれば待つくらいの余裕と容赦はあった。
「分かったら乗れ。弱いのと足掻かないのは違う。死に急がなくても、死ぬときは死ぬ」
コチョウの言葉に、シャリールも、今度は大人しく頭の上に収まった。
「最初から食べるつもりはなかったんですか」
ほっとした声でシャリールは聞いたが、
「いや、お前が何も言わなかったら、食べていたな」
コチョウは平然と言ってのけた。その程度の違いでしかなかった。本当にどっちでも良かったのだ。
コチョウがシャリールを乗せ、移動を始める。シャリールは青白い顔をしたまま何も言わなかった。
「アシハラは何処だろうな」
もうその話には興味もない。コチョウの思考はどこかにある筈のアシハラの痕跡に向いていた。
「そこまでは、私も知りません」
シャリールもこれ以上案内はできなかった。当然だ。これまでスウリュウが活動していた場所だ。シャリール程度のモンスターが入り込んで、生きて帰れる場所ではなかった。
「そこまでは期待してない」
コチョウも気にするな、と声を掛けておいた。今後シャリールが役に立つことがあるのかはコチョウにも分からない。むしろコチョウと一緒に行動していればどこかで命を落とすことになっても不思議はない。
だが、コチョウからすれば、それならそれで良かった。とにかく今は、この世界について情報を、手に入れなければならない。世界が腐れている理由を、アシハラで知れるというのであれば、それはもう、すぐそこだ。