第一二話 酔狂
コチョウには他人を世話した経験などない。
自分が着るのはともかく、眠り続けるフェアリーに服を着せるのには、ひどく手間取った。
服はフェアリーが着るのにちょうどいいサイズのドレスで、一着は普通のスカートだが、もう一着のスカート部分は傘のように丸みを帯びたデザインになっていた。後者であるアンブレラスカートのドレスは寝ている相手に着せることができるものではなかったから、自然、嫌々ながら後者をコチョウ自身が着ることになった。眠っているフェアリーに着せたのは、薄い白桃色をしていて、自分が着たのは、鮮やかなラベンダー色をしていた。
何度か、服を投げ捨て、起きたら自分で着ろと、そばに転がしておけば良いのではないかと思いながらも、彼女は結局、フェアリーに服を纏わせることができるまで、やめなかった。
そこまで来ると、彼女自身も流石に、自分の行動が、やはり、おかしいと自覚する。こんな行動は彼女らしくなかった。
コチョウはその違和感を、直接ローブ姿の男にぶつけた。休憩室に戻ると、男はテーブルに焼いた肉と切っただけの野菜を並べて待っていた。コチョウもテーブルの上に陣取り、彼女が食べやすいように細かく切られた肉に齧りつきながら尋ねた。魚の切り身かと思ったものは見慣れぬ塩漬け肉だったらしい。
「私に何をした」
「強いて言えば、心の棘が抜けているだけだ」
男はそう言い、やっと落ち着いたとばかりに名前を名乗った。
「俺はレント。向こうで眠っているフェアリーのお嬢さんはフェリーチェルという。良くは知らないが、何処かのフェアリーの王国のお姫様らしいよ」
「そんなことはどうでもいい。私に掛けた呪文を解け」
コチョウは男の名も、フェアリーの身の上も聞き流した。彼女にとって重要なのは、自分自身のことだけだった。そして、同時に、彼女はもっとも手っ取り早い、レントを殺して呪文の知識という経験を奪えば良いという行動に出られないでいる自分に苛立った。
「解けない。俺の呪文じゃない。この部屋にもともと施されている魔法の効果らしい」
レントはあっさりと彼女の違和感の正体を白状した。
「この部屋を出れば元に戻る。気に入らなかったらそうすれば良い。俺は止めない」
「まだだ。聞くことがある」
舌打ちしながら、コチョウは頭を振った。気分は悪いが、看守の唯一の生き残りである以上、レントに確認するしかないことは多かった。
「ああ、それにしても鬱陶しい。他に服はないのか」
傘のように骨の入ったスカートは硬く、柔軟性がない。酷く動きづらく、コチョウにはそれも苛立ちの一端になっていた。
「ん、ああ。ない。似合っていると思うがな」
レントはそう笑った。その首を今すぐ刎ねられないことに、コチョウは、ため息をついた。
「裸の方がましだ」
それから、もう一度舌打ちし、
「まあ、良い。次にここのゲートが開くのはいつだ」
さっさと質問を切り上げた方が楽になれることを、コチョウは認めた。
「一五日後だ。今日開いたばかりだからな」
レントはその質問にもあっさり答えた。隠すつもりはないようだった。
「知っての通り、ゲートは通過札がなければ出られない。そして、通過札を使う為には、それと使用者を結びつけるマジックデバイスが必要だ。そのデバイスはゲートの向こうにしかない。つまり、ここに札なしで入れられた者は、一生出ることはできない。ここはそういう場所だ。狂って死ぬか、病気で死ぬか、寿命で死ぬか、どれかしかない。フェアリーやピクシーなら通風孔に入れないでもないが、そこも途中に幾つか網と罠があって、とても生きて脱出できるものじゃないらしい。俺はフェアリーでもピクシーでもないから、自分で真偽を確かめた訳じゃないが」
「少なくともルートはあるんだな?」
ゲートが使えないのならば、無理を通すまでだ。コチョウは罠で死ぬことは恐れていなかった。
「行く気か?」
レントに聞かれ、
「こんなしみったれた場所は、私の終の棲家には相応しくない」
肉をまた頬張って、コチョウは頷いた。
「ん? フェリーチェルだったか。あいつも出られないってことか」
それから、そのことに気付いた。柄にもなく少しだけ同情してしまったのは、部屋の魔法の影響力のせいだったのだろう。
「そうだな。可哀想なことだ」
レントは、コチョウとは違い、自然に同情の言葉を口にした。その姿を見ると、他の看守が看守室にいなかった理由がコチョウにも分かった気がした。
「他の看守共は普段この部屋で寝泊まりしてなかったんだろう」
全く確認の必要を感じない問いではあったが、コチョウはその疑問を口にしないではいられなかった。おそらくこの部屋を気味悪がったか、自分の良心とここの惨状とのギャップに耐えられなかったか、そんなところだろう。最初から看守共もああではなかったのかもしれない。皆、この監獄の現実に、心が壊れてしまったのだ。
「良く分かったね。その通りだ。適当な場所で寝て、ここに戻ってくる者はいなかった。この部屋は自然に俺だけの持ち場になったよ」
レントは、頷いた。
普通に考えれば胸糞悪い話ではあったのだろうが、コチョウにはもともとそこまでの倫理観はなかった。この部屋の影響下にあっても、ただ、やはりこの監獄で果てるのは御免だと感じるに留まった。
「囚人が少ないのも、皆、死ぬからか」
無理もない話だと、彼女は納得した。大半は狂って死んでいくのだろう。この地獄から出る方法がないのでは仕方がない。
「そうだ。俺がここに志願してからも、沢山の囚人と看守が死んだ。志願してから三年間しか経っていないのが信じられない程に」
レントの言葉に、コチョウはまた疑問を覚えた。無論、彼女は疑問を飲み込むなどということはしなかった。
「志願、ね。なんでまた物好きな。馬鹿なのか?」
「そうかもしれない。俺には兄と、その嫁さんがいた。兄は街の役人だった。兄は上司である街の貴族の汚職を告発しようとして、嫁さん共々ここに放り込まれ、帰ってこなかった。それで、俺はこの場所で何が行われているのかを確かめる為に志願したんだ」
レントはそんな風に身の上を語り、苦笑いを浮かべた。コチョウはそれで、レントが通過札を持っていないことを、察した。
「半分囚人みたいなものか」
「そうだ。俺は札を盗まれたんだ。ここを出られない。しっかり嵌められたってことだ」
良くある話だ。
「お前と兄貴を放り込んだ貴族が、誰なのかは分かってるのか?」
いよいよコチョウらしくなかった。他人の為に何かをするなど考えたこともない彼女だが、その気の迷いが本心なのか、部屋の魔力のせいなのかは考えないことにした。
「エストロッド家という家の連中だ。当主はバーゼン・エストロッド。アイアンリバーの南西区に邸宅がある」
レントの言葉を聞き、コチョウは頷いた。南西区といえば、役所や城、街の重鎮達の邸宅が集まっている場所だった。
「分かった。ここを出たら、ぶちのめしとく」
コチョウが他人にそんなことを約束したことはこれまでにない。しかし、たまには悪くないとは感じた。
「私をぶちこんだ奴は知ってるか?」
それも聞いてみたが、
「いや、俺が知る方法はない」
レントは頭を振っただけだった。三年間もここに閉じ込められているのであれば、無理もないだろう。コチョウは、頷いて食事を切り上げた。
「とにかく、通風孔を探すか。安全なルートを確保しながらだから時間が掛かる。疲れたら戻ってくるし、三、四日はかかるかもな。フェリーチェルがその間にもし起きたら言っとけ。もしその気があるなら、ついてくる分には止めない。だが、知ってるだろうが私は気が短く気まぐれだ。決められないなら知らんと」
それだけ言うと、コチョウは看守室を出た。扉を抜けると、自分から何か温かいものが抜け落ちていくような錯覚があった。
通路に浮いて部屋を振り返る。一片の名残惜しさも感じず、彼女の心は氷のように冷え切っていた。
だが、レントと交わした約束と、その気があるのであればフェリーチェルを連れて出てやると自分が告げたことを忘れた訳でもなかった。
彼女はその気の迷いに、苛立ちは感じなかった。それでもやはり硬いスカートは邪魔だった。
コチョウは、通路にワンピースを脱ぎ捨てた。