第一五話
成り損ないの数は確実に減っている。襲撃は目に見えて少なくなっていた。その事実に、コチョウは実感を始めた。
とにかく、本が燃やされてしまった書庫に等は用はない。コチョウはすぐに一階層下にあるという娯楽室へと向かった。
当然、朱雀もついてくる。三体に増えたエノハの式神だが、もう一体はまだ姿を見せていない。
「白虎はどうした」
コチョウは厄介なことになる前にと、朱雀に確認する。朱雀は鳥らしい鳴き声を短く上げると、それから、その声を、人のような笑い声に変えた。
「何、心配はいらぬよ。お前も知っておろうあ奴の相手をしておるだけよ」
朱雀は白虎の心配もしていないようだった。一体で相手ができるものなのかという疑問はあったが、聞いたところでコチョウにその解決方法が浮かぶ訳でもなく、下手に首は突っ込まずに放置しておいた。
「しかし、この荒廃した世界で、私に知られたらまずいことね。一体、何があるんだか」
それも全く予想がつかなかった。例え荒廃がコチョウのせいと言われても、ああ、そうかよ、で終わりに過ぎない。そもそもコチョウは箱庭世界で生まれた人格で、魂の持ち主がやらかしたことだとしても、そんなことは知ったことではない。別人のやったことくらいの意識しか持たないだろうことは、自分でも理解できた。
「全く分からん。この世界も架空の虚構とかでもあるまいに。そんな多重構造はありえん」
コチョウの言葉に、朱雀の羽搏きが僅かに揺らいだ。朱雀は言う。
「世界に必要であれば、書を焼きはせぬよ」
つまり、コチョウ自身の問題である、と朱雀は答えたのだ。コチョウはそう受け取った。
「魂の元の持ち主がどうとかいう話であれば、私の知ったことではないぞ?」
しかし、同時に、コチョウにとって重要なことは限られた。今更元の持ち主が出てきたところで返すつもりもない。朱雀もそれは同意した。
「儂とてそれはそう思う。時に、アーティファクトの文字が読めたことは覚えておるよな」
「何故読めたかなどということに興味はないぞ?」
本気でどうでもいいと、コチョウは考えている。アーティファクトに関する知識が、ヌル由来の物なのか、魂の元の持ち主由来の物なのかといったところなのは確実だが、どちらにせよたいした意味のあることだとは思っていなかった。
「おぬし自身にとってはそうであっても、世のすべてに対しそうではないこともあろう」
朱雀はコチョウ自身の考えとは無関係な問題だと論じた。それこそコチョウにはどうでもいいことだ。
「知ったことか」
コチョウは、常にそうだったように、今回も問題にすらしなかった。朱雀もそれは分かり切った反応として受け取り、ややげんなりとした声ではあるが、
「おぬしはそうだろうて。だが、まあ、聞け」
と、諭した。
「おぬしがそれを知ること自体が鍵であるのだ。おぬしの意志とは無関係に、世界崩壊への絡繰りが動き出すとすればなんとする」
「面白くない冗談だな」
そのような仕掛けが存在するとして、コチョウを鍵とできる理由がない。コチョウの存在が、その絡繰りが仕込まれた時点で予測できたとは、到底思えなかった。
「私の存在が予測できたわけでもないだろうに」
「そうよの。だからこそおぬしの意志とは無関係と言っておる」
朱雀はコチョウが誰であろうが起こり得ることなのだと答えた。その絡繰りは、例え人格がコチョウでなくとも関係がないのだと。
「前にも言ったが、魂は変わらぬよ。魂が同一であれば、それが誰であろうと同じこと」
つまり、その魂を持った誰かが、その魂が誰なのかを知った際に発動するシステムということだ。それであれば、確かにコチョウの人格が予測できなくとも問題にはならない。
「不確実だな」
だが、コチョウには腑に落ちなかった。それでは、もし魂を持つ事になった誰かが、安寧を望む性格であったとしたら、永劫にその情報に触れることがないのではないかと疑問に思えた。
「それで良いということだ。だが、ある程度予測はできたのだろうなあ。そうはならんと」
事実。
「現に、おぬしはそういう人物にはなっておらん」
そんな意地の悪いシステムを仕込むようであれば、確かに魂の元の持ち主も相当の性悪だろう。ある程度魂そのものが持った気質に、人格が引き摺られて歪むことはありそうなことだ。どうせ碌でもない奴にしかならないと思われたとして、それはコチョウにも納得できた。
「そういうものか。しかし、そうだな。確かに、知らない奴に世界を滅ぼされるのは癪だ」
それだけは間違いない。結果的に滅びるのであれば滅べばいいが、どうせなら自分がその匙加減を握っておきたいのは本音だ。となると、世界の真実を先に知り、そのうえで、自分が何者なのかを知る順番が妥当なのだろう。コチョウも頷いた。
「先に世界を知れということか」
「うむ。まさしくな」
朱雀も、世界の滅びが訪れること自体を憂慮している様子はなかった。ただ、避けられぬ滅びを回避したがっていた。滅ぶにしても、理由は故人が遺した怨念であってはならないと、考えたのだろう。
「面倒だが、いいだろう。面白い」
どこの誰だかわからない、魂だけになった奴に良いようにされるのは気分が悪い。コチョウは頷いた。
「いずれにせよ、まずは、この場所にいる、あの訳の分からん人型を叩きのめすのが先だ」
負けっぱなしというのも面白くない。魔神の力は通じなかったが、それだけに、強大な何かであることは間違いない。
「いや、まずは力を得るだけ得て、一度ここを立ち去る方が良い」
朱雀は、それも否定する。
「……あいつ、私に魂を寄越せと言っていたな」
あまり接触すれば、システムが動き出す恐れがあるという話だと、コチョウも理解する。それであるならば、先送りにしなければ危険だということに、異論はない。
「うむ、察しが良いな」
朱雀の言葉に、コチョウはため息を漏らした。ひどく間抜けになった気分がしたからだ。
「私はお前の思惑に乗っているのが面白くない」
それ以上に、腹立たしいことはなかった。
「そう言うな。利害は一致しておる。今回ばかりはお前に負けてもらっては、儂等も困る」
朱雀の言葉はどうやら本気のようだった。コチョウの今の超能力の強さでは真意を推し量るところまで四神の心を読むことはできない。だが、冗談混じりの口調ではあれど、朱雀の目は笑っていなかった。思ったよりも、余裕がない。
「お前等がスズネとエノハを来させたとは聞いた。要するにお前等は何かを知っているな」
コチョウが横目で朱雀を睨む。朱雀は臆面もなく知っていることを認めた。
「無論のことな。儂等は多くを知り、必要なことだけを語る。占とは古来そういうものよ」
「ならば聞いておこう。お前達が指し示す占とやらでは、私はここを出て何処へ行く」
従うか、従わないか。その意図については、コチョウは顔に出さなかった。その問答をするつもりはなく、その無駄な時間を掛けたくないとしか思っていなかった。
「うむ。お主の名に聞くが良い」
とだけ、朱雀は答えた。
確かに、奇妙なことだと、コチョウも、自分のことながら、初めて気付いた。コチョウ、という語句は、アシハラの言葉だ。アシハラにもフェアリーはいたのかもしれないが、それでもフェアリーに付ける名前としては、珍しい部類のものだと言える。何故わざわざ自分がアシハラの言葉の名を自分に付けたのか。考えてみれば、そこには何らかの刷り込まれた意図があったと見た方が良いのだろう。
「アシハラ諸島国か。今は氷原になっていると言っていたな」
「行くのか」
朱雀に揶揄うように問われ、
「行かずには終われまい。この際だ、魂の持ち主と決着をつけなければ腹の虫も収まらん」
コチョウは面白くもない声で答えた。
「傲慢なことよ」
朱雀はただ、笑った。
「実におぬしらしい答えだ。だが、儂等の望んだ答えでもある。そうでなくては困る」
『外へ行くのね!』
コチョウの頭の中では、ルナの興奮した声が響いた。成り損ないは研究所の奥に閉じ込められ、日の光を拝むことすら許されていなかった。
『外? 研究所の?』
チャイルも信じられない、といったような声を上げた。成り損ない共は、外に焦がれていたのかもしれない。
「そういいものでもないぞ」
コチョウは、そんな二人の喜びも、今のうちだけだろうと、確信していた。