第一〇話
コチョウは閂を外し、鍵を開けると部屋を出た。ある程度超能力は戻り、ローブは纏うこともできたが、魔神の力がよみがえった訳ではない。未だライフテイカーは呼べず、吸魂の刃を形成することもできなかった。万全とは言えないが、そろそろじっとしているのも飽きてきた。
ルナの誘いに乗り、隣の部屋に乗り込む。思ったより残っていた成り損ない共は少なく、全部で五体の成り損ないが、室内でだらけて休んでいた。
コチョウが部屋に飛び込んでも、気だるげに視線を向けただけで、臨戦態勢にも入らない。
「あー」
「あらー」
「あちゃー」
「うへぇ」
「来ちまったか」
言葉はそれぞれだったが、五人が五人とも、抵抗の意志は見せなかった。
「殺すならちゃっちゃと頼むぅ」
一人が、ひらひらと手を振る。まったくやる気の欠片も見えなかった。流石にこの反応は予想していなかった。コチョウは考えて理解できる状況ではないことを悟り、ルナに聞いてみるしかないと諦めた。
「なんだこいつらは」
『見ての通りの失敗作よ。生きるのも面倒臭いと思う方向で、人格がちょっとね』
ということらしい。失敗にもいろいろあるという訳だ。コチョウは今日何度目かも忘れたため息をついて、部屋のあちこちにばらばらに転がっている、五人の成り損ないに襲い掛かった。自分の姿だというのも腹立たしい。ある意味コチョウとは真逆の姿に、一切の同情心も湧かなかった。
向かって左から首を刎ねていく。勿論手刀だ。人格があるということは失敗作の中でもある程度のレベルまでは成功していた類になる筈だ。コチョウから引き抜かれた力を分け与えられていないとも限らない。放置、という考えは、コチョウにはなかった。
一人、二人、三人、そして、四人。
順番に首を刎ね、最後の一人にも、振りかぶった。四人まではぐうたらと転がったまま、恐怖の感情も見せるのも面倒臭そうに、無気力に死んでいった。
だが、最後の一人は。
「ああ、やっぱりちょい待ち」
と、コチョウの手刀を受け止めた。無造作に。コチョウの腕力と速度は封じられていない。そして、コチョウはだらしなく加減をしたりもしていない。それを、いとも容易く、受け止めたのだ。
「自分より弱いのに殺されたんじゃ、やっぱりつまらない。強くなってまた来な。その時相手してやるから」
と、コチョウの腕をギリギリと締め上げた。そのまま力を入れ続けられれば、折れる、と、コチョウも理解した。
「お前は、失敗作ではないのか?」
それにしては実力が高い。コチョウは腕の痛みを無視して聞いた。その成り損ないに、興味が湧いた。
「失敗作だとも。ポテンシャルが高すぎたのさ。下手に魂を入れられないと危険視された」
その成り損ないは答え、
「アラガネだ」
と名乗った。そいつは、名前を持っていた。誰かに付けられたのか、それとも自分で名乗ったのかは言わなかったが、ルナの言うことには、
『一番まずい奴。敵わないなら逃げるべき』
らしい。本気で怯えているようだった。
「面白いな」
だが、コチョウは全く別の感想を抱いた。死にたがりという訳ではないが、十分な強さを失っている現在の状況を考えると、コチョウには是非とも欲しい強さだった。
「是非とも殺したくなった。ここで退くのは惜しいな」
もし自分の成り損ない如きに殺されるというのならば、その程度だったというまでの話だ。それを乗り越えてこそ意味がある。コチョウは、薄ら笑いを浮かべて歓喜した。
「お前にやる気がなかろうと一向に構わん。私はそれでもいい」
コチョウは空いたもう一方の手、左腕を振るって、コチョウの右腕を掴んだアラガネの手首を打った。
まさに名前の如く、鋼を殴ったような手応えがある。アラガネの腕は折れなかった。
「まったく面倒な奴だ」
アラガネは何を考えたのか、コチョウの右腕を離し、寝転がったままごろんと向こうを向いた。
「掛かって来たければ好きにしな。勢いあまって殺すかもしれんが、勘弁してくれよ?」
寝転んで背中を見せたままで問題ないとばかりに、アラガネはコチョウを挑発する。それでいい。コチョウはもとより、自分が絶対的な強者であることよりも単純に暴れるのが大好きなだけで、それよりもあからさまに強いと分かっている者の力を手に入れることの方が、楽しいと思う性質だった。
「ああ、気にするな。死んだら死んだでその程度だったってだけだ」
コチョウが喉の奥で笑うと、
「全然分からん。いや、趣味が悪いってことだけは分かった」
アラガネがさも面倒そうに答えた。言えている。コチョウも否定はしなかった。
とはいえ、真正面から殴りに行って勝てる程甘い相手ではないことは、コチョウにも分かる。試しに、リストリクション能力で動きを封じてみた。
「おお」
アラガネが声を上げる。拘束は通用した。どうやら物理的な能力は高いが、精神的な才能は特に持ち合わせていないらしい。
「こりゃ参ったね」
身動きが取れないことを認めたように、声を上げてアラガネは笑った。しかし、ばかげたレベルで特化された肉体的な能力は、時に道理を捻じ曲げて問題を解決するものだ。アラガネが全身に力を入れると、超能力による拘束は、物理的な鎖のように引き千切られた。
「成程な」
コチョウは頷き、通用しないと分かっていながら、直接殴りにかかる。当然反射的にアラガネの体は反応し、正確にコチョウを裏拳で殴り飛ばした。
もっとも。
その裏拳をまともに食らって吹き飛ばされたコチョウは、自分を殴り飛ばした腕の、肘から先を一緒に抱えて持って行った。
超能力が効くならば、腕の一本を斬り裂くくらいのことはできる。
「お? おお。痛いな」
アラガネも漸く舐めてばかりいては危険だと気付いたようだった。片腕を失い、流石に起き上がった。そして、切れた腕を見下ろして、
「綺麗に切断されている。これならすぐにくっつくだろう」
こともなげに言ってのけた。切れた瞬間こそ人工血液が飛び散ったが、それも既に止まっていた。コチョウと同じだ。リジェネレーション能力を持っている。
「面倒だが、やるか」
今度は、アラガネの方からコチョウに襲い掛かる。コチョウ程のスピードはないが、洗練された動きには違いなかった。フェイントを交えながら、コチョウに向かって不規則な動きで距離を詰める。コチョウは速度で振り切ろうとしたが、どういう訳かその動きを読まれたように進行方向に既にアラガネがいて、下がる以外の選択肢を封じられた。
「無駄が多いからさ」
アラガネは笑い、コチョウの腹に拳を叩き込む。跳ね飛ばす為の打撃でなく、腹の中に衝撃が響く、体術的に理に適った拳だった。跳ね飛ばなかったコチョウの体がくの字に曲がり、下がった顔面にアラガネの膝が食い込む。跳ね起こされたコチョウの上半身をさらに掴み、もう一度引き倒すと、アラガネは何度も膝を叩き込んだ。殺すつもりの、容赦もなく止まることを知らない猛攻を、アラガネは続けた。
しかし、砕けたのはアラガネの膝の方だった。コチョウは自分が傷つき死にかけるのを承知で、それを無視して捩じ切ったのだ。痛みの中で意識を失うことのない、コチョウの、明らかに狂った冷淡さが起こした常識外れの反撃だった。
さらに、コチョウを掴んだ腕が切り離される。当然コチョウの顔面は血まみれで、前歯は何本か折れ、目も実際には霞んでいた。半分潰れていたかもしれない。もう少し反撃が遅れていたら本当に死んでいただろう。そのぎりぎりを、コチョウは間違いなく楽しんでいた。
「お前……頭は、大丈夫か」
アラガネは目の前の相手が、自分が思っていたより化け物だとやっと気が付いた顔をした。その読みの浅さが命取りだ。確かに物理的にはアラガネの方が強かった。まともに戦ったらコチョウには殺せないだろう。だが、コチョウは、まともではなかった。いつだって。
「私は大丈夫な奴じゃない」
コチョウは折れた前歯を口の中の唾と一緒に吐き出し、醜悪に笑った。アラガネの首筋にも、コチョウの超能力でつけられた一筋の傷があった。そして、防御する腕も既にない。
コチョウは、アラガネの傷を手刀で打ち、首を斬り落とした。