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1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
破滅の空に蝶は舞う
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第五話

 地図によると、現在位置は、研究所の地下三階らしい。研究所は地上一階、地下十階という、地下に広い構造で、地下七階から地下十階はぶち抜きで、やけに広い空洞といってもいい大広間が一つあるだけのようだった。

 錬成室は行き止まりだった。

 ということは、亀裂を越えて進まねばならないということだ。地図には亀裂は乗っていない。比較的新しくできたものだということは分かるのだが、衝撃を吸収するような防護が施された遺跡を崩すような崩落がなぜ起きたのか、生半可な理由ではないことは予想がついた。

 亀裂ができたのが、何者かによる破壊だとすれば、相当強大な存在が潜んでいるに違いない。今のコチョウに勝てるのか、そもそも勝負になるのかは、考えるまでもなく否といえるだろう。

 自然災害だとしても碌なことではない。それはそれで、崩落の危険性が常に残っていることを意味しているからだ。遺跡の崩落に巻き込まれ、潰されて死ぬのはコチョウも御免だった。

 亀裂に戻る。底を覗き込んでみたが、やはり何も見えない。まったくの闇だ。行くしかない。地図によると、亀裂を越えた先の通路は、矢や右手の対岸と、ずっと右へ進んだ先の二か所に口を開けている筈だった。だが、それも、あまりにも周囲が暗く、光源もない為、見通すことはできなかった。

 もう一度下を見る。狂暴な眼光が狙っているような錯覚をしそうな程に深い闇だ。だが尻込みしていて事態が好転することはあり得ない。コチョウに前進以外の考えが浮かぶことはなかった。死んだら死んだで力が足りなかっただけのことだ。

 亀裂に飛び込む。幸いなことに気流は安定している。吹き上げられるようなこともなく、亀裂の壁にむかって叩きつけられるようなこともなかった。すぐに後ろの壁も見えなくなっていったが、コチョウにはもう戻るつもりもなく、気にもしなかった。

 亀裂は予想よりも大きく、対岸はなかなか見えない。ともすれば方向を見失いそうな闇の中で、コチョウはまず真っ直ぐに飛んだ。右手前がひとまずのゴールではあるが、変に斜めに飛んだり曲がりながら飛んだりすれば、それこそ方向が分からなくなりそうだったからだ。こういう場合、ひとまずは対岸を目指し、それから壁に沿って移動して、対岸の入口を探した方が迷いにくい筈だった。

 その対岸がなかなか見えてこないが、そのことに不安になれば最後だ。そこで迷いが生じた奴は、疑心暗鬼に囚われ、結果的に道を見失う。コチョウはただひたすらにまっすぐ前へ飛んだ。

 闇は絡みつくようで、心をへし折ろうとしている魔性の手のようでもあった。見えない、それだけで人の心は容易く惑う。怯えは自分の中の最大の敵といえた。もっとも、そういった感受性は、コチョウにはないものだったから、心を平静に保つことは簡単だった。

 それよりも、何が潜んでいるか予測もつかないことの方が深刻な問題だった。今の所気配は感じないが、だからといって危険が迫っていないと安心するのも早計だった。気配を気取らせない危険など、世の中には幾らでもある。恐怖に圧し潰されるような豊かな感性も持ち合わせていないが、楽観的な馬鹿になることも、コチョウにはできなかった。

 そして、コチョウの大胆にして慎重な意識は、唐突に発生した危険に対して、即座に彼女を反応させた。急に下方へ吹き降ろす気流が生じ、引きずり込もうとされるのを感じ、コチョウはその気流に逆らって上へと逃れた。何かが下にいて、吸い込もうとしている、コチョウはそう確信した。

 舐めた真似をしてくれる。コチョウの口元に、対抗心の笑みが広がる。凄惨な笑いは、闇の中に、まだ目には見えない倒すべき敵の姿を描いていた。

 殺す。それがごく当然の結論のように、コチョウの意志は確固として迷いもなかった。コチョウは敢えて自分を飲み込もうとしている気流に乗ると、一気に亀裂を真下へ向かった。手に持った地図がバタバタと風になったが、コチョウはそれを手放すような不始末も起こさなかった。

 見えた。半分岩盤に体を埋めた、巨大な蚯蚓のような化け物がいる。胴回りは五メートルはありそうだ。びっしりと牙の生えた口を開け、その周囲からコチョウを捉えようとする触手を伸ばしてくる。邪魔な触手を、コチョウは手刀で斬り裂き、或いはむんずと掴んで引き千切り、兎に角滅茶苦茶に破壊して進んだ。一切の容赦はなく、手を緩めることもなく。そして、ついには自分から蚯蚓の化け物の口の中に飛び込んだ。

 勿論、ただ飛び込んだ筈もない。行き掛けの駄賃とばかりにおそらく上側だろう牙を何本かへし折り引っこ抜くと、それで出来た口蓋へ続く隙間を手刀で裂き、そのまま蚯蚓の奥へと切り開いていった。先端の口から三分の一も裂けば十分だった。蚯蚓はのたくりながら倒れ、すぐに動かなくなった。大した相手でもなく、特殊な力も備えていなかった。コチョウの強さの糧にはならなかったが、それならそれでコチョウは構わなかった。襲ってきたから殺した、それ以外の意味など必要なかった。

 蚯蚓の体からコチョウが抜け出すと、彼女の体は臭い体液塗れになっていた。それだけは多少不快ではあったが、近くに水場もなさそうであり、我慢する以外になかった。

「さて」

 一体何階分降りてきたのやら。少なくとも周囲も大広間には見えず、地下七階より下ではないということだけは分かった。地下五階か、六階か。そんなところだろうと、コチョウには思えた。周囲を見回すも、やはり闇ばかりだ。しかし、何かが蠢いている気配を感じる。蚯蚓のような下等生物ではない気配。確かな息遣いを、コチョウは聞きとった。

「誰だ?」

 闇に向かって問いかけてみる。答えはなかった。代わりに、見覚えのあるものが飛んで来る。チャクラム。コチョウが持っていたものに酷似した投擲武器が、水平に弧を描いて飛来した。

「おっと」

 と、軽く受け止める。やはり、コチョウが使っていたものに間違いはなかった。だがおかしい。飛んできたチャクラムは、もともとフェアリーサイズだった。フェアリーが生き抜ける環境は、この世界にはない。コチョウはおそらく世界で生き残っている唯一のフェアリーの筈で、他にいることは完全に想定外だった。

 続いて、間違いなくチャクラムを投擲してきた奴が飛来した。速いがコチョウ程ではない。それに。

「ほう」

 魂が感じられない。姿形は間違いなくフェアリーだったが、作り物のように冷たい印象のものでしかなかった。コチョウは遠慮なく首を斬り落としてから、襲ってきたものをまじまじと見る。

 銀の髪。赤い目。襲ってきたそれは、コチョウの生き写しの人造生物だった。ホムンクルスというやつだ。しかし再現度が甘いと言うべきか、実力はまるで話にならないレベルでしかなかったが。

 それを見て、ふと、コチョウの脳裏にひとつの言葉が浮かんだ。それは確信に近かった。

 出来損ない。

 つまり、失敗作だ。コチョウはもともと布製の人形で、ホムンクルス技術を用いて魂が封じられた作りものだった。そして、ホムンクルス製造には失敗が付き物だ。だとしても、コチョウが製造されたのは遥か昔の筈で、失敗作のホムンクルスが現存するというのもおかしな話ではある。通常、ホムンクルスそのものは短命で、一〇年もてば長生きの部類な程だ。遥か昔から、今まで生き続けていたとは思えなかった。

 もし可能性があるとすれば、完成をみずに封印されていた場合だ。専用の培養液の中でホムンクルスは精製され、それから出された段階で寿命が生じる。培養液ごと封印されていたとすれば、数百年、いや、千年単位でもつことはある。考えられるとすれば、それだ。

 魂が入っていないことからも、失敗作が完成品でないことも分かる。コチョウ達は結局、ホムンクルス技術を応用されてはいたが、劣化が早い、通常のホムンクルスに用いられる合成有機体ではなく、比較的劣化の少ない布と綿の体を与えられた。しかしコチョウは当初の計画では保存可能な合成有機体で作成される予定だったのかもしれない。そうでなければ、合成有機体の失敗作が存在しているのは不自然だった。

 いずれにせよ、これは自分になりそこなった失敗作であることに、コチョウは疑いをもたなかった。当然それは一体ではない。

 亀裂の底、奈落に潜んでいた連中が、更にやってくるのが分かる。それらはすべて失敗作で、コチョウのなりそこないで、それだけに、外見はコチョウによく似ていた。

 だが、すべて出来損ないで、感情も、意志も、魂も、持ち合わせていなかった。

「そうか。そういうことか」

 あの人型は、コチョウに、自分のルーツを知らねばならぬ、と言った。その意味に、合点がいった。

 コチョウは確信した。今はコチョウである人形は、ここで造られたのだ。この遺跡は、コチョウが生まれた場所だ。ならば、と、彼女は自分の姉妹達を見た。当然、殺す為に。


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