第四話
コチョウが目覚めると、彼女は石造りの暗闇の中に転がされていた。
戒めはない。完全に自由だ。檻や牢などに閉じ込められているという訳でもなさそうだった。その場所は三方が石を組んだ壁で、残る一方に、通路が続いていた。光は全く差していない。地下のようだ、と感じることができた。
寒さに一度震え、コチョウは自分の姿を見る。闇の中にぼんやりと浮かぶ彼女の肢体は剝き出しで、つまり、彼女が常に纏っていた、超能力で作り出したローブが消え去っていることを意味していた。もう一度作り出そうとしてみたが、超能力の強度が足りず、ローブの形にならなかった。
武器も持っていない。常に携行していた魔神の剣であったライフテイカーも、副武器として腰に付けていたチャクラムもない。ライフテイカーを試しに呼んでみたが、答えはなかった。
おまけに、とにかく暗い。通路の行き止まりにいるのは分かるが、ほとんど先が見えない。コチョウは照明魔法であるライトの呪文を唱えてみたが、その呪文も発動しなかった。ほとんどの能力は封じられ、ひ弱なフェアリーに逆戻りさせられたようだった。
いずれにせよ、このまま立ち止まっていても埒が明かないことも確かだ。コチョウは移動することにして、床を蹴った。フェアリー特有の飛行能力を失っているということはなく、また、これまで強さをあちこちで奪い、身に着けた速さも健在だと知ることができた。特殊な能力はすべて封じられているが、身体能力だけは奪われていないことを、コチョウもすぐに理解した。戦闘能力を全て失ったという訳ではなかった。
とはいえ、今のコチョウには五体しかなく、強力な術や力で通路をぶち抜いて進むということもできそうにない。大人しく通路に従って進むしかなかった。今まで好き勝手にやってきていたことを考えると、コチョウは、一気に自分が間抜けになったような気分だった。
「あいつ、次に会ったときは、殺す」
魔神を超える力だ。是非とも手に入れたいのもある。結局正体は明かされなかったが、名もなき一般住民ということもないだろう。面倒なことになったという苛立ち半分、面白いことになってきたという挑戦心半分といったところだった。
「しかし、寒いな」
それに、地下だというのに、空気が薄い気がする。魔神の力を封じられた今、普通なら頭痛でもしてきてもおかしくないくらいだ。それがないということは、これまで得たコチョウの耐久力は健在だと思えた。もっとも、多種多様の魔神としての耐性も封じられている事だろう。過信はできない。
「まずは、ここが何処かってことだ」
それを知らなければ、身動きも取れない。我武者羅に進むのは危険といえなくもないが、留まっている方が更に危険ということもできる。いずれにせよ、行けるところまで進むほかに選択肢はなかった。
近くにあの人型の気配はない。それどころか、生物の気配が一切ない。ひょっとしたら生物でないものは徘徊しているかもしれないが、今のコチョウにはその接近を嗅ぎ取ることは難しかった。なるように、なれだ。
通路はしばらく真っ直ぐ続き、しばらく進むと左右に伸びる通路とぶつかる丁字で終わった。右か、左か。どちらも同じような闇に閉ざされ、先は見えない。耳を澄ましても、コチョウには何も聞こえなかった。微かな息遣いさえ。コチョウは適当に、左、を選んだ。理由など、なかった。
左に折れ、さらに通路を進むと、巨大な空洞に出た。上を見る。天井は見えず、闇だ。下を見る。やはり床はなく、闇だ。どうやら、広間、というよりも、亀裂のようだった。何か投げ落とせるものが近くにあれば深さも確かめられそうだったが、生憎、石ころひとつ、近くには落ちていない。壁の石を一つくらいひっぺがせないかと考えたが、石と石の間は何か分からない素材で埋められ、指を滑り込ませる隙間もなかった。壁や天井を殴ってみたが、インパクトの瞬間、衝撃を吸収するような波紋が生まれ、石壁を砕くこともできなかった。厄介な場所だ。だが、分かったこともある。そんな大掛かりな術が使われているのだ。ただの地下通路ということはないだろうということだった。
しばらく考えてから、コチョウは亀裂に飛び込むのは避け、通路を引き返した。自分のコンディションも定かでない状況で、巨大な敵が潜んでいないとも限らない大きな亀裂に飛び込むのは愚の骨頂だ。後回しで良いと、コチョウは考えた。
丁字を過ぎ、逆側へと通路を進む。しばらく進むと、前方から、何かねばついたものが引きずられる音が聞こえてきた。コチョウには聞き覚えのない音で、生物なのか、非生物なのかも定かでなかった。硬いものが擦れる音は混じっていない。スライム状の何かだと思われたが、スライムにしては音に水分が少ない気がした。
「何だ?」
とにかく、正体を確かめるまでだ。コチョウが進むと、すぐに粘液の塊が飛んできた。青っぽい半透明で、粘りが強い塊をコチョウが躱すと、床に落ちたそれは焦げるような音を上げ、煙をあげて溶けた。
「溶解液、ってとこか」
たいした強酸ではなさそうだが、当たれば痛いことは間違いなさそうだ。コチョウはあまり様子見をしない方がいいと判断し、一気に距離を詰めた。常人なら目視も困難な速度がコチョウにはある。通路の壁にへばりついた青いアメーバ状の物体は、コチョウを補足できなくなったのか、全く動かなくなった。
「散れっ」
今のコチョウには攻撃手段が五体しかない。手刀で斬り裂き、一撃で仕留めた。威力で斬り裂いたため、コチョウが元来持っている即死の超能力が効果を示したのかは分からない。とにかく、物理攻撃が効かないということもなかったように、その物体は千切れ飛び、萎びて消えた。
わずかだが、力が流れ込んでくる。経験や強さを奪う超能力は健在のようだ。それさえあればまだ何とかなる。コチョウは僅かに安堵した。
その物体はあまりにも弱すぎてたいした糧にはならなかった。だが、酸への耐性と、酸を吐く能力を持ち合わせていた。コチョウはそれを奪い、頼りにはならないとはいえ、多少の遠隔攻撃能力を獲得できたことを理解した。
「こういうことか」
同時に、あの人型が言った内容が理解もできた。身体能力と初めから持っていた能力以外のすべてを失い、もう一度積み上げ直せということなのだろう。それに何の意味があるのかはコチョウにはさっぱりだったが、今は、生き残る為にそうするしかないのは確かだ。あわよくば前よりも強い力を。コチョウは転んでもただでは起きない。それならば、今の境遇を、最大限に利用させてもらうまでだと、野心に目をぎらつかせた。あのふざけた人型に、一泡吹かせてやることを、当面の目標として。
そうと心を決めれば行動するのに躊躇がないのがコチョウの性分だ。通路の先を急いだ。相変わらず通路は闇の中で、先は全く見えないが、コチョウの気分だけは光が差し込んだようだった。
通路の先は小部屋だ。どうやら元は扉があったようだが、壊れて倒れている。倒れた扉には、暗くて読みづらいが、錬成室、と書かれた板が嵌められていた。
小部屋の中に踏み込む。敵はいない。壁に沿って、何か円柱形のガラスケースが並べられていた。ケースの一部が外開きに開くようになっていて、すべて開いている。数は全部で六つあり、ほとんどは空だったが、一つだけ、ぼろ布のような切れ端が落ちていた。
部屋の奥には古びた机と、本棚がある。本棚はほぼ空で、二冊だけ書籍が転がされていた。一冊はコチョウの身長より小さく、もう一冊はコチョウより大きい。
コチョウはまず小さい方の本を手に取り、机に投げ出して眺めた。明かりのない部屋では、なかなかに難儀する作業だ。時間を掛けてなんとか一ページ一ページ読み進めていくと、どうやらそれは、この部屋の装置についてのメモ書き集であり、どうやらこの部屋自体が、錬金術の技術を利用して作られた、一種の物品精製所のような場所だということが分かった。メモには、薬品などの精製レシピが載っていたが、それらはコチョウの目を引く内容ではなく、彼女はほとんど熟読することなく読み飛ばした。結局その本にはたいしてコチョウの役に立つようなことは書いておらず、コチョウは時間の無駄だったと、その本を乱暴に床に投げ捨てた。
それから、もう一冊の本を手に取る。ずっしりと重い、劣化の少ない本だった。それを机の上に転がし、コチョウは内容を確かめる。
「ほう」
と、最初の数ページを読んだだけで声が上がった。この本は当たりだ。書かれていた内容はこの場所に関する調査資料だった。その内容によると、この場所は、浮遊大陸となっている土地が、まだ地上にあった頃から存在した古い遺跡のようだ。どうやら誰かの研究所だったと思われるという考察が書き連ねられている。さらに遺跡の地図も見つかった。
コチョウはそこまで読むと満足し、地図のページを破り、持っていくことにした。