最終話 終幕ノ蒼穹
コチョウは箱庭の破壊をその場の皆に宣言し、アイアンリバー内の、生き残らせたい者を、三日以内に王城か通商会に集めろと告げ、一人を残して他の全員を地上へ強制的に送り返した。
残したのは、リノリラだ。街として機能できる人口の適正を相談し、それを保つためにどれ程の農地と農民が必要なのかを相談した。リノリラには敗戦のショックは薄いらしく、すぐにコチョウの相談に応じ、もう頭の中は現実世界の新天地に向いているようですらあった。
それから、アーティファクトのドームに、コチョウが認めた者以外は何者も入れないように結界を張り、自分は一度、アイアンリバーを離れた。残す村落を物色する為だ。
そうやって野外を彷徨い、時にアーティファクトに戻り、リノリラと今後の展望を話し、瞬く間に一日が過ぎた。その間に、地上は地上で問題があったようだ。カインが、自分はこのままルエリが眠るこの箱庭に残り、運命を共にするとひと悶着を起こしたらしい。忍者共からの報告で、コチョウもそう聞いた。
だが、結局はフェリーチェルに、現実世界に出る者達には、彼等を纏めるリーダーが必要であることを説かれ、彼等を見捨てるのかと一喝され、何とか思い直したようだった。まるで姉さん女房の尻に敷かれる旦那だと、忍者の一人が個人の感想を漏らしていたことは、コチョウは聞かなかったことにした。
さらに、街の一部と農村を切り取ったものを、現実世界に変形させて出すのに、一つ大きな問題があることが発覚した。変形させた船団がどういうものか、イメージだけではコチョウにも掴めなかったのだ。幸いにも図面の写しが存在しているらしく、それが手に入ったことで、その問題は事なきを得た。
船というよりも、トロッコなどの列車に近い。それもその筈で、デザートラインと呼ばれる無限軌道輪で走る要塞列車を用い、何編成か纏まった旅団を形成して、現実の人々は暮らしているという話だった。
だとすれば、そのメンテナンスを行う者や、運行操縦を行えるものが必要な筈だ。そんな人員が箱庭内に存在している筈もない。コチョウは他の弱小旅団を抱え込む形で、人員を確保しておくように忍者共に指示をしておいた。誰も動かせない列車など、ただの箱だ。
そういった問題を片付けているうちに、気がつけばコチョウが期限に指定した三日目が来ていた。忍者共からの報告によると、フェリーチェル達は王城の方にいるらしい。様子を見に、コチョウはリノリラを伴って王城を訪れた。
「お師匠!」
コチョウが謁見室に入ると、目敏く見つけて真っ先に駆けつけてきたのはエノハだった。裏切りの謝罪でもあるのかと思えば、
「暗示解いてよ! 四神様たち呼べないの!」
何とも呆れたことに、自力で暗示がまだ解けていなかったようだった。ため息をつき、
「未熟者め。もういい」
と、コチョウは暗示を雑な言葉で解いてやった。それから、フェリーチェルを探した。城の中は人でごった返しているといった様子ではなかった。思ったよりも収容されている者達は少ない。フェリーチェルは玉座の傍らにいて、居づらそうに玉座に座っているカインと何かの話をしていた。
「もう滅ぼすぞ」
彼等に近づき、単刀直入に剣呑な言葉で、コチョウは告げた。コチョウを振り返り、フェリーチェルとカインが同時に苦笑する。
「はっきり言うのはやめて。皆が怯える」
答えたのは、カインでなく、フェリーチェルだった。しかし、コチョウがわざわざ王城を訪れたのは、何も収容が済んだかを確認する為だけではなかった。重要な問題が、まだ一つ残っていたからだ。
「すまん。手段は浮かばなかった」
コチョウが、フェリーチェルに素直に詫びる。何の話か分からないカインだけが、取り残されたような微妙な顔をした。
「仕方ないよね。うん。そうだと思う。それに負けを認めたのは私で、大事なものが皆あるこの世界を守れなかったのも私だ。多くのひとがこれから死ぬ。それだけの犠牲者をだしておいて、自分が助かるのは、虫が良すぎる話だし、これが私の運命だったんだって諦めるよ」
そんなカインに気付いていないように、フェリーチェルはそう続けた。数は少ないが、謁見室には、他の人間達もいる。決戦前は危険なので王城には入れないようにしていたが、万が一負けた時のことを考えて、選別はずっと前から始めていたのだという。
「待ってくれ。君はいかないのか?」
カインは、フェリーチェルの言葉はそう聞こえたと言いたげに、面食らった顔をした。むしろ、いてくれなければ困るといったような、縋るような表情でもあった。
「行きたくても行けないんだ。現実世界に出ると、私達は人形になっちゃう。選別した皆はこれからコチョウがちゃんと本物の人間やエルフ、ドワーフにしてくれるけど、私は、それを受け付けないの。私の役は不幸な物語を演じる筈だった娘で、私自身のことは、必ず不幸な方向へ転がるようになってるの。私は、本物の生き物には、なれないから、現実世界を見ることさえできないの」
そういう言い聞かせ方をしたということは、この箱庭についての真実は、フェリーチェルの口からカインも既に聞いているということだった。カインは半分呆けた顔になり、それから、何と言っていいのか分からないという目をした。
「一緒に行って、あなたの統治を助けてあげたいけど。私にはできない。だから私から言えることはお願いだけ。どうか頑張って」
でも、と、フェリーチェルはそこで目を閉じた。そしてかつてコチョウに殺されるのだけは癪だと言った口で、告げた。
「でも、ひとつだけ、あなたにお願いがあるの、コチョウ。私を、あなたの手で直接殺して」
それは覚悟の言葉だ。ケイドーと同じ、国を守れなかった咎を背負うつもりの者の。コチョウはそれを聞いて、答えた。
「断る」
今度はフェリーチェルが呆気にとられる番だった。コチョウが殺人を躊躇うような性格でないことは、フェリーチェルもよく知っている。そのコチョウが、殺してくれという頼みを断るとは、思ってもいなかったと言いたげに、フェリーチェルは眉を逆立てた。
「人形のまま行けばいい」
コチョウはそう言ってカインを見た。
「お前が抱えててやれ。こいつはどっちへ出ればいいか、自分じゃわからない。現実に出た瞬間人形になり動けなくなるだろう。だが、お前にもしフェリーチェルが必要なら、持っていけ。お前が壊れれば現実世界にせっかく出した連中が大量に死ぬ。それじゃ意味がないからな。持ってるだけでも、持っていろ」
それがコチョウの決断だった。長々と話すのはやはり苦手だ。コチョウはそれ以上何も言わず、二人の意志を視線だけで確かめ、
「でも」
「分かった」
二人の言葉を聞いた。フェリーチェルは反論したかったようだが、カインがそれを遮るように、
「僕は彼女を尊敬している。本当を言えばちゃんと話せて、彼女からもっと学びたいが、ここに置き去りにするくらいなら、人形の彼女だけでも傍に置いておくほうがずっといい。頼むから僕を見捨てないでくれ。民を見捨てるなといった君が、僕を見捨てるのは、おかしいじゃないか」
そう訴えると、フェリーチェルは黙り込んだ。何も反論できなくなったようだった。それで決まりだ。それでいいと、コチョウは満足した。
「これから始める。王城の中から誰も出るなと伝えろ。出た者は、容赦なく置いていく」
そう告げて、答えも待たずに王城を出た。次に向かったのは通商会だ。同様に、通商会の中の者達をひとりも出すなとリノリラに言い残し、彼女だけを残し、アーティファクトのドームに、コチョウは戻った。移動はすべてテレポートで、時間はほとんどかかっていない。
コチョウが大きな術を展開する。箱庭の空が砕け、空の破片が地上に降りはじめる。それを見上げて驚いている者達が大勢いるだろうが、それを直接見ている者達のほとんどが、箱庭と共に滅びる運命だ。気にもしなかった。使う力と術は三つ。ひとつめは、土地や人物、植物など、対象範囲のすべてものを『本物』に変質させる力。二つ目は、土地を幾つかに纏め、デザートラインとして成型しなおす力。そして三つ目は、そうやって出来上がったデザートラインごと、中のものをすべて現実世界に転移させる術。それらは複雑だが、十分にイメージはできている。コチョウには自信があり、事実、失敗は、なかった。
それらが済んだことを、現実世界を見る窓を出して確認して。
そして、ライフテイカーを振り上げ、ドームの中のアーティファクトを一刀両断に、縦に二つに割った。アーティファクトの周囲を回っていた結晶が落ち、アーティファクトは、それきり、沈黙した。それが済むと、コチョウ自身も、窓を抜けた。
荒野に風が吹いていた。コチョウは振り返り、ライフテイカーをもう一度振り上げる。背後には朽ちた舞台があり、微かに歪な光を放っていた。その舞台を、斬り裂いた。硬い音が響き、何かが割れるような音に変わり、最後に、光が周囲に駆け抜けた。それが、箱庭世界の崩壊が生んだ、最後の輝きだった。呆気ない、あまりに呆気ない箱庭世界の幕切れ。中に残された人形共は、どうせアーティファクトが沈黙した時点で動作異常を起こし、認識能力も定かではなかった筈だ。おそらく、何も分からないまま滅んでいったことだろう。コチョウにも世界を一つ破壊したことに対する、満足感も後ろめたさもなかった。思ったより、何てことはなかった。
コチョウは足元を見る。生気の感じられない、瘦せこけた死んだ土だ。成程、とコチョウは納得した。
遠くで一五編制ものデザートラインの、建ち並ぶ壁のよう聳え立った群れが走り出していくのが見える。どうやらエンジニアやら操縦手やらを確保できたらしい。アイアンリバーが変質したデザートライン群から少し離れて、闇に潜むような、黒々とした列車が一編成だけ別の方向へ向かっていく。忍者共の里だ。どうやら、随伴は、しないらしい。忍者共らしいと、コチョウは変に感心した。
一五編成もの車列を組んで進むデザートラインの旅団は巨大なものになると、忍者共からはコチョウも聞いている。何処から来たのかも分からないそれだけの旅団がいきなり現れたのだ。目立つだろうし、他の旅団から狙われることもあるだろう。だがそれは、あの中にいる連中がする苦労で、コチョウが関わり合いになるものでもない。そろそろ頃合いかと一人頷き、コチョウは、スズネとエノハに経験を分けていた力も、止めた。
連中には、連中のこれからがある。それは連中の現実の物語だ。それでいいとコチョウは接触も避けた。
ただ、遠隔で、一つだけ術を使っておいた。フェリーチェルを縛っていたアーティファクトは既にない。不幸の強制力も、そろそろ諦めてくれてもいい頃合いかもしれない。勿論、確証はない。ただの悪あがきとも言えた。人形でもいいだろう。せめて動いて喋れる程度には。ただのコチョウの淡い願望でしかなかったが。
空を見る。忍者共が言ったように、遠く空に、うっすらと浮遊大陸の影が見えた。
「壊せるものが残っていればいいな」
現実世界を評して、コチョウは独り言ち、頭上の空を見上げた。
空だけは、抜けるように青かった。