にんげんになりたい! (序)
アリスはその日、座ろうと思ってから椅子に座ったり、テレビでも見ようと思ってテレビを見たり、散歩に行くのを思い立ち、道中であの向かいにある店は何だったかとか看板を見上げて、ふと、自分がロボットなのかもしれないという直観を得た。周りを見渡すと人々はまっすぐに前を見て歩いていた。
「気持ち悪い」
決して小さくはないが、車の走る音にかき消される程度の声で、誰にも聞こえないように叫んだ。本当は、誰かに聞こえればいいのにと思っていた。
アリスは自分が・・・否、自分の頭の中にいる何かが気持ち悪かった。閉塞感というよりも、窒素が頭とか内臓とか骨とか、ありとあらゆる部位に充満しているような息苦しさであった。アリスはその邪魔な物質には、実のところとっくの昔に気づいていたのだが、それが表に現れる折に大声を出したりちょっとだけ飛び跳ねたりして、ごまかしていたのである。
しかして本日の不快感はひとしおであった。その理由は明白で、一瞬彼女は天啓のように、何をしても不快が消えないことを察知したのである。
心から笑ったのはいつだっただろうか、他人から愛されたことはあっただろうか、云々。それを考えると、無い器から水が染み出そうであった。
アリスは妄想のなかで、幾度となく意中の人との恋やあいびきや・・・時には感傷的な別れにも花を咲かせてきたけれど、実体を持って生きる余生のなかでそんなことが起きるはずがないのだと認識せざるを得なかった。
彼女は恋を始める(あるいはその他もろもろの)勇気がなかったのではなく。
気力とか本能とかがなかったのである。
アリスは器を軽く振って、普通の、人間になりたいと思った。
雨は降っていないが、二三滴分、濡れている。