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◇◇
グリフィン帝国の帝都――。
皇帝ハイドリヒは、この日も城の最上階のバルコニーから景色を眺めていた。
彼の視線の先には緑の山々が連なっている。
青い空に白い雲。秋の涼風が頬をなでると、彼は在りし日のことを思い出していた。
――この国の皇族の慣わしで、5歳になったおまえにも『オオハヤブサ』をくれてやろう。『オオハヤブサ』は皇族専用の伝書鳩。おまえの兄フェリックスには黒いハヤブサを、おまえのは白だ。この笛を吹けばハヤブサはおまえの手元にやってくる。馬が10日で走る距離を、わずか1日で飛べるからな。わしに伝言がある時に使うとよい。
これまでもう一人の息子に対して、唯一親らしいことをしてあげた時だ。
しかしハイドリヒは今まで大空に羽ばたく白のオオハヤブサを見たことがなかった。
つまり相手がハイドリヒからの贈り物に一度も手をつけていないということだ。
それでもハイドリヒは毎日空を見続けている。
そうすることで己の犯した罪を忘れないようにしているのだ。
「うむ……」
今日もダメか……。
肩を落として部屋に戻ろうとしたその時――。
「ピィィ!」
オオハヤブサの鳴き声が天に響いたのである。
はっとなって振り返る。
遠くの空に黒い点が目に飛び込んできた。
「おお……」
興奮に手すりを持つ手が震える。
しかし……。
「なんだ……。そうか……」
彼の手元に降り立ったのは『黒』のオオハヤブサだった。
きょとんとした表情のオオハヤブサを横目で恨めしそうに見つつ、足にくくりつけられた書状を抜き取る。
『婚姻がまとまりました。アッサム王国の宮殿にて5日間の滞在の後、シャルロット姫を連れて帝都に戻ります フェリックス』
息子の、しかも未来の国を背負う皇太子の結婚が決まったのだ。
本来であればこれほどめでたいことはない。
ところがハイドリヒは祝う気持ちにはなれなかった。
「どうでもよいわ。好きにしろ……」
そうつぶやくなり、部屋の中へと帰っていった。
◇◇
ローズお母さまからまさか招待状が届くなんて……。
しかもすべての貴族が集まるダンスパーティーと、その前夜祭のものだ。
ご丁寧に『貴族宛て』ということでクロードの分まであるから驚きね。
「何かの罠かしら?」
私、シャルロットはマルネーヌに問いかけた。
「でも罠だとしたら私とお兄様にも前夜祭の招待状を送ってくるかしら? しかも『重大な発表があるから必ず参加するように』って念押しまでしてありますし」
「そう言われるとそうね……」
ちなみにリゼットが館を襲ってきてから数日たったが、その後はまったく音沙汰がなかった。
クロードと謎の侍女アンナがいるから恐れをなしたのかしら?
と考えていたところにこの招待状。私が怪しむのも無理はないと思う。
「クロードさんは何ておっしゃってます?」
「……どんな宮殿のベッドは柔らかいのか? 羽毛の布団を用意してくれるのか? って……」
「うふふ。相変わらず寝ることばっかりですわね。ある意味で頼もしいですわ」
「頼もしい?」
「だってクロードさんは、ローズ様のことを『まったく気にしてない』って言っているのと同じだと思いますの。つまり何が起ころうともシャルロット様をお守りできる自信があるということですわ」
「そうかしら?」
とてもそんな風には感じられなかったけどなぁ。
でもマルネーヌが言うんだから、きっとそうなんだろう。
「分かったわ。あなたの言うことを信じてみる」
「ふふ。となると楽しみなのは、シャルロット様がダンスパートナーに誰をご指名なさるかってことですわね」
ドキッと胸が高鳴り、口がきゅっと結ばれる。
「ま、聞くまでもないとは思いますけど。ふふ」
マルネーヌが楽しそうにモンブランをなでる中、私は出されたレモンティーをがぶ飲みした。
ダンスパートナーに誰を指名するか……。
ちらっと部屋の隅に立つクロードに目をやった。
彼は立ったまま目をつむり、スヤスヤと寝息を立てている。
――だったらダンスパートナーに俺を指名してくれないか?
あの教会での一件以来、ダンスパーティーの話題に触れていない。
今もあの時とクロードの考えは変わらないのかしら?
いや、彼の問題じゃないわね。
私よ。私はどう思っているのだろう……。
結局答えがでないまま翌日を迎え、私はクロードとともにローズお母さまの待つ宮殿へと向かったのだった――。




