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――18歳を迎えた令嬢がダンスパートナーに指名した男性は、その令嬢の婚約者となる。
このしきたりはアッサム王国ならではのものだと本で読んだ覚えがある。
相変わらずの無表情のクロード。何を考えているか、さっぱり分からないけど、冗談を言ったわけではなさそう。
となるとクロードはまだしきたりのことを知らないようね。
ホッとしたのと同時に、ちょっぴり残念な気分が入り混じってる。そんな複雑な気持ちを吹っ切るように、私は胸を張った。
「確かにダンスパーティーで指名する相手がいないとなれば、ローズお母さまが指定した人と踊ることになるのは明白だし、そうなったらダンス中に危ない目にあわされるかもしれないわ。クロードが一緒に踊ってくれれば、私も安心よ。いいわ。仕方ないからあなたをダンスパートナーに指名してあげる」
「そうか。でも本当に俺でいいのか?」
「ん? どういうことよ」
「だって俺がシャルロットの婚約者になるってことだろ?」
「え……? 知ってるの?」
うそ……。そんなバカな……。
くらりとめまいを覚えたが、私は動揺をクロードにさとられまいと必死に平静を装った。
「ああ、アレックスから聞いたよ。俺がマルネーヌからダンスパートナーに指名されそうになったって話したら、酷い剣幕で『妹に手を出すな!』って怒られてな。理由を聞いたら、この国のしきたりのことを教えてくれたんだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! じゃあ、しきたりのことを知ってて、私に自分のことをダンスパートナーに指名しろって言ったの!?」
「ああ、そうだが、何か問題でもあるのか?」
「問題なら大ありよ! い、い、いきなり婚約者なんてありえないわ! そ、そ、それに王女の相手にはもっと……」
私はそう言いかけて口をつぐんだ。
あまりに急なことで気が動転している。それでも口に出してはいけないことくらいは判断がつく。
ところがクロードは何でもないように、私の言葉を継いだ。
「王女の相手となると、もっと相応しい人がいるはず――ってことか?」
「え、いや、その……」
言いよどむ私のことをじっと見つめるクロードの目から「はっきりと言ってくれ」という固い意志を感じる。
覚悟を決めた私はぐっと腹に力を入れて断言した。
「そ、そうよ! あなたはつい最近まで『平民』の身分だったのよ。しかも敵国の暗殺者だった。私の婚約者として周りの人が認めてくれるわけないじゃない!」
「周りが認めてくれないからダメか……。シャルロット自身はどうなんだ?」
また言葉が出てこなくなる……。
今すぐこの場で私の気持ちをはっきりさせろ、だなんてできっこない。ズルいよ。
いや……。ズルいのは私の方だ。
クロードが無知なのを逆手にとって、しきたりのことを黙ったまま彼をダンスパートナーにしようとしていた。
ほんのひと時の間でも、心の中でクロードと恋人同士になれると思っていたからだ。
もしローズお母さまたちに『クロードのことを婚約者にするつもりなのか』って聞かれたら、『そんなわけないじゃない。単なる護衛よ』って答えるつもりだった。
私には婚約者を指名することも、恋することすらできる資格なんてない。
でも本心は違う。
私だって……。悪魔になる運命のこの私だって……。
恋がしたい!
好きな相手をダンスパートナーに指名したい!
でもそれは決して許されないことだもの……。
クロードがしきたりのことを知っている以上、彼をダンスパートナーに指名することはできない。
やっぱりちゃんと断ろう。
そう心に決めた瞬間……。
――シャルロット。周りなんか気にしちゃダメよ。自分の意志で幸せを掴むの!
ソフィアお母さまの声が脳裏に響いてきたのだ。
――王子様にキスをされるのを待ってるだけのお姫様は嫌いなんでしょ?
胸の奥に深くしまい込んだ気持ちがよみがえってくる。
それでも逃げ出しそうになる私の背中を柔らかな温もりが支えた。
ソフィアお母さまの手だ。怖い夢を見て泣きじゃくる私の背中をいつも優しくさすってくれたあの時の温もりだ。
心に火がともるのを感じた私は、顔を上げた。
「あ、あのね!」
そう切り出した直後。
クロードが人差し指を私の口元にそっと当てたのである。
「しっ。何か音がする」
私は思わず目をぱちくりさせて口を真一文字に結んだ。
クロードが険しい顔つきで目を閉じる。視覚をふさいでその他の五感を研ぎ澄ましているようだ。
「液体……。教会の外……。この臭いは……。油か!!」
かっと目を見開いたクロードがドアに向かって疾風のように駆けて行く。
しかしドアは外から固く閉ざされていた。
「くっ……。閉じ込められた」
「ど、どういこと!?」
とっさに状況がつかめない。
そんな私の元に戻ってきたクロードは、つとめて冷静に恐ろしいことを告げてきた。
「教会ごと焼くつもりだ。シャルロットのことを」
考えるまでもない……。
ローズお母さまの罠だ――。




