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 白い三日月が地上に落ちてきたかのように美しい――その名の由来の通りに、見とれてしまいそうになるくらい綺麗な花。

 今、彼が手に持っているのは、ホワイト・ムーンに間違いない。


「んなっ!? あ、あんたどこでこの花を?」


 驚きを隠せずに変な声が出てしまった私に対し、不思議そうに眉をひそめた執事がさらりと答える。


「北の山に決まってるだろ」

「だってあそこにはキラー・グリズリーがいるのよ!」

「ああ、おかげで侍女たちの機嫌も直るから助かったよ」

「どういう意味よ?」

「いいから。あとこれ」


 未だに信じられずに戸惑っている私に対して、彼は一枚の紙きれを手渡してきた。

 渋々受け取ると、ずらりと名前が書いてある。


「何よ、これ?」

「名簿だよ。侍女たちの名前が書いてある。約束通り、これからはちゃんと名前で呼んでもらうからな」


 何も言い返せず、口がきゅっと結ばれる。

 なんで王女の私が新人の執事に言いくるめなければならいのか、納得できない。

 でも約束は約束だから、反論できないのだ。


 用は済んだとばかりに執事がきびすを返す。

 しかし何かを思い出したのだろうか。

 くるっと振り返ると、彼は口元にかすかな笑みを浮かべながら言った。


「俺の名はクロードだ」


 あんたの名前なんか聞いてないわよ……ととっさに言い返すことができない。

 ぐつぐつと熱いものがお腹の中で沸騰しているが、不思議と彼を怒鳴りつけるような気分ではない。

 だからこの持て余した感情をどうしたらいいのか分からず、ただうつむいてワナワナと震えるしかなかった。

 一方のクロードは私の描いた絵を見るなり、目を大きくした。


「絵、上手いんだな」


 透き通った低い声が鼓膜を震わせたとたんに、ドキンっと胸が高鳴る。

 同時に頭の中が真っ白になり、ふわりと浮いたような感覚に襲われて、何も考えられなくなった。

 

 今までに味わったことのない感情だ。


 天と地ほどに離れた身分差のある男から、偉そうに言われたことが悔しいから?

 リゼットと絵の先生以外に見せたことのない絵を見られて、恥ずかしかったから?


 

 ううん、違う。

 認めたくない。

 すごく情けないと自分でも思うけど、絵を褒められたからだ。



 これまでだってリゼットや先生から『お上手です』と歯を浮くようなことを言われたことはある。

 でもそのセリフを口にする時、彼女たちの視線は決まって私の『顔色』にあった。

 

 ところが彼はどうか。

 顔を真っ赤にして固まっている私になど一瞥もくれず、ただ絵を眺めて「ふむふむ」と頷いているではないか。

 ドクドクと胸の鼓動が早まり、息が苦しくなってくる。

 私はたまらず叫んだ。



「クロード!!」



 クロードは目をぱちくりさせて私の方を向いた。


「な、なんだ?」

「な、名前で呼んであげたわよ。これで満足したら邪魔だから早く行きなさい!!」


 私の声に押されるようにしてクロードが部屋を後にしはじめる。

 一歩また一歩と彼の背中が離れていくたびに、呼吸が元通りになっていくのを感じていた。

 それなのにこの新人執事はほんとムカつくやつだったの……。

 急に振り返ったかと思うと、ニコリと微笑みかけてきたのだ。



「これからよろしく頼む。シャルロット」



 みんな私のことを「王女様」とか「お嬢様」と呼んでくる。

 だから「シャルロット」なんていきなり呼ばれたら、どうしたらいいのか分からないくらいに混乱するに決まってるじゃない!


 ――パタン。


 クロードは静かにドアを閉めて出て行った。

 でも私は固まったまま、しばらく動けずにいたのだった。


 


◇◇


 翌朝――。

 朝食を終えた後、私はすべての侍女たちを廊下に並べた。

 みんな顔色がいいわね。まるで美味しい料理をいただいた後みたい。

 心なしかお肉の匂いがするのは気のせいかしら。

 

 コホンと小さく咳払いをした後、昨日クロードから手渡された紙を取り出した。

 いったい何が始まるのだろうか、といぶかしがる侍女たちに向かって、私は口を開いた。


「メアリー、ベス、サンドラ――」


 侍女たちが唖然として、一様に私を見つめてくる。


「な、何よ! 名前を呼ばれたら返事くらいしなさい。こっちは名前と顔が一致しないんだから!」

「は、はい! 私がメアリーです! 恋することよりもご飯を食べることが好きです!」


 こげ茶の髪色をした丸顔の侍女が一歩前に出てきて大きな声をあげた。

 すると他の侍女たちも彼女に続いた。


「ベスです! オルガンを演奏するのが好きです!」

「サンドラです! 私は友達をおしゃべりする時間が好きです! あとお祭りごとが大好きです!」


 誰もあんたたちの好みなんて聞いてないわよ。


 ……でも、まあいいか。

 なんだか嬉しそうだし。でも覚える気はさらさらないわよ。勝手に言うくらいなら許してあげるってだけ。


 その後も私は彼女たち全員の名前を読み上げていった。

 名前を呼ばれた侍女たちがキラキラした目で私を見ている。

 その視線が鬱陶しい。

 私は横を向きながら、最後に言った。


「約束通り名前を呼んであげたからね。これからも私に尽くしなさい」

 

 すると侍女たちは声をそろえて返事をしてきた。


「「はい! シャルロット様!!」」


 気安く名前で呼ぶなんて……まあ、悪い気はしない。


 こうして私は侍女たちの名前を呼ぶようになった。

 そのせいなのか。侍女たちが辞めることがなくなった。

 

 別に私が好き勝手生きることには関係ないのだけど、悪くはないわね。

 名前で呼び合うというのも。


 花瓶に飾られたホワイト・ムーンに目をやる。

 なぜかドキッと胸に小さな痛みが走り、それが嫌で目をそらした。


 この時の私は知らなかった。


 ホワイト・ムーンの花言葉は『運命の人との出会い』であることを――。


 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

これで第一章は終わりです。


これからもどうぞよろしくお願いします。

お手数ですが、画面上部のブックマークを押していただき、下部にある評価を入れていただけるとすごく嬉しいです。

何卒ご協力をお願い申しあげます。

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