続2
「上っていうのは、うちだったか…」
アレンは届いた意見陳情届けを見て独りごちた。
意見陳情届けとは王宮内の目安箱のようなもので、王宮で働く人間が気になった事柄や改善要求を誰でも届出できるという仕組みのものだ。
例えばどこかの修繕依頼であったり、食堂のメニュー改善要求だったり、上司からの嫌がらせや不正の通報だったり、多岐に渡る。
それらはアレンら宰相補佐により分類され、対応すべきものは対応する。
今回、イザベラから届けられた内容については、関係者を集めて聞き取りをすることになった。
おそらくオリヴィアが大勢の前でイザベラに非難される状況になるのだろう。
聞き取りまでの数日、アレンはどうしたものかと考えを巡らせていた。
♦︎
聞き取り当日、会議室には、アレンの上司である宰相と、アレンら宰相補佐数名と関係部署の文官ら数名、女官長、当事者のイザベラ、オリヴィア、それに魔術師団長のレイも集まっていた。
レイはあからさまに面倒くさそうな顔で席についている。イザベラとオリヴィアが離れて向かい合うような形で座り、その前面に出席者が並んで座った。
久しぶりに見るオリヴィアは少し痩せたようで、暗い顔をして下を向いていた。いつもの黒いローブを深く被っている。
イザベラの陳情内容はこうだ。
・オリヴィアがこれまでに起こした数々の問題行動。
(オリヴィアが企画して実施したイベント等のことだ)
・リリア殿下に対する不敬な態度。
・最下位の魔術公爵家出身にも関わらず、周りの者への不遜な態度。
・以上からリリア殿下付きの魔術師として相応しくないため、罷免の上、実家にて再教育すべきことを進言する。
始めに宰相から陳情内容を述べるよう言われたイザベラは、この届け出に書かれた内容を淀みなく自信たっぷりに言い切った。
「…オリヴィア様はいつもふらふらとされていて、魔法を使って仕事をしている場面などほぼございません。お給料が出ているというのにそれでも魔術師と言えるのでしょうか?」
なんなんだ、この茶番は。アレンはイライラして拳を握りしめた。
「私は最近入った女官に過ぎませんが、それでもオリヴィア様の行動は目に余るものがございます。本来あるべき正しい王宮の秩序を守るため、良心に従って申告した次第でございます」
イザベラは芝居がかった言葉で崇高な演説を締めくくった。
進行役の宰相は、女官長に意見を求めた。
「…確かにオリヴィア様は奔放な方ですが、殿下がとても信頼されています。今まで大きな問題にはなったことはございません」
「王族は人事への介入はしないことが不文律だ。それを踏まえて、オリヴィア殿がリリア殿下付きでなければならない理由はあるか?」
「…それは…」
確かに、王族は人事に介入しない。王族が気に入った人物を固めて独裁化するのを防ぐためだ。閣僚は議会が決定するし、王宮で働く者の人事は人事院が采配する。
女官長が黙り込んでしまったので、次に魔術師団長のレイが意見を求められ、口を開いた。
「リリア殿下付きになったのは、殿下とオリヴィアの性格を考慮した結果です。殿下が成長された今、オリヴィアでなくても良いかもしれません」
百合姫は幼い頃から真面目で王族としての意識の高い少女だった。あまりに真面目すぎるため将来潰れてしまうのではないかと懸念し、常識外れのオリヴィアをあえて配置した、とアレンは聞いていた。
レイは続けて発言した。
「ただ、オリヴィアの魔術師としての能力は保証します。それから、ここは裁判所でも人事院でもない。意見陳情で人を裁くべき場ではないと考えますが、閣下?」
レイに名指しされた宰相は頷いたが、それを見たイザベラは声を荒らげた。
「私は正当な意見を述べています!ここで結論が出ないにしても、より検討はして頂くべきです!」
「イザベラ嬢、あなたには婚約者もいて女官の仕事は期間限定だ。それでもこの意見陳情に拘るのは良心からか?」
「そうです!一国民、一貴族として、王宮が正しい姿であるべきだと考えるからです」
イザベラは身振り手振り、声を張り上げている。
「私は確かに結婚により女官を離れることにはなりますが、逆にオリヴィア様は結婚なんてしない、というかできないでしょう。つまりずっと王宮に留まるというのであれば、今後王宮の秩序は保たれないという懸念すべき事態となります!」
「閣下、発言の許可を」
アレンは座ったまま、挙手した。宰相が許可したため、立ち上がりイザベラに向き合った。
「…私はオリヴィア殿の『問題行動』に加担してきましたので、いわば共犯者です。しかし総じて問題とも言えないと考えています。彼女が発案した企画は、王宮内では働く人々の息抜きとなり、交流が深まりました。王宮外では市民から王族へのイメージアップに繋がっています」
オリヴィアが少し顔を上げてアレンを見つめている。アレンは席を離れてイザベラに近付いた。
「確かにオリヴィア殿は奇人変人、奔放なところもありますから咎められる部分はあるでしょう。罷免されるべきとは思いませんが、秩序を守るためなんらか問題だと思われるのであれば、よくよく検討すればよろしい。ーーそれから、」
アレンはイザベラを指差した。
「先ほど、『オリヴィア様は結婚なんてできない』と仰った。それは違う。少なくともオリヴィア殿は選択肢は持っている」
そのままくるりと振り返り、イザベラに背を向け、オリヴィアに向かい合った。
出席者が見つめる中、部屋の真ん中で、アレンはオリヴィアの前で片膝をついて跪き、右手を彼女に差し出した。
「ーーオリヴィア殿、結婚してください!」
一瞬、その場が静寂に包まれた。
が、直後、騒然となった。宰相や文官らはざわつき、女官長は呆気に取られて目を丸くしている。
レイは大笑いしているのが視界の端に入った。
オリヴィアの顔は黒いフードに隠れてよく見えない。
イザベラは顔を真っ赤にし、大声で喚き始めた。
「お、おかしいんじゃありませんか!陳情聞き取り中になんなのですか、突然!」
「君が、オリヴィア殿が結婚できないなどと侮辱するからだろ!そんなことないって分かったろ!」
「そもそも、アレン様はオリヴィア様に媚を売られているのに気付いていらっしゃらない!騙されているんですよ!」
「やかましい!意識してもらうのにどれだけ俺が苦労してると思ってるんだ!媚売られるのなんて大歓迎だ!」
イザベラとアレンがやいのやいのと言い合いを始めてしまったため、意見陳情届けの聞き取りどころではなくなってしまった。
騒然とした中で宰相が終了を宣言し、気付いたらオリヴィアはどこかへ行ってしまっていた。
イザベラは憮然とした表情で部屋を出て行き、アレンは文官らからにやにやと肩を叩かれた。レイは最後まで大笑いしていた。
宰相もアレンの肩を叩いた。
「落とし所に困っていたから助かったよ。面白かった」
「いや、閣下、私は本気…」
ははは、と笑って宰相も部屋を出て行った。
♦︎
釈然としないまま、アレンは自席に戻り残りの仕事を片付けた。ある程度進めたところでもう外が暗くなっていることに気付き、仕事を切り上げて部署を出た。
部署から王宮の外へと続く通路を歩いていると、百合姫の宮でオリヴィアが見つめていた花が咲いていることに気付いた。引き寄せられるように近付いていき、近くのベンチに腰掛ける。
結局、歌唱コンテストの時の告白も、今日も、オリヴィアから返事をもらえていない。どちらも公開告白になってしまったから本気に取られていないのか、それとも拒絶の意なのだろうか。
疲れたな、と思ってベンチにもたれ、上を向いて息を吐いた。そうすると突然、人が上から覗き込んできた。オリヴィアだ。アレンは驚いて上体を戻した。
「オリヴィア殿…」
「…アレン様、今日はなんというか、ありがとうございました」
オリヴィアはアレンの隣に座ってきたため、アレンは少し横にずれてやった。
「…少しお話ししても?」
「もちろん」
やはりオリヴィアは少し痩せたように見える。ローブに隠れてるにしても、普段より顔色も良くない。食事を取れているのだろうか。
「…ここ最近、イザベラさんに言われたことをずっと考えていました」
「ああ」
オリヴィアは遠い目をして、ぽつりぽつりと話してくれる。
「行動を非難されて、辞めさせてやるって言われて…、私、ここを辞めさせられたらどこにも行く場所がないということをイザベラさんに言われて初めて気が付いたのです」
だんだん俯いていったオリヴィアの瞳に涙の膜が張っていることに気付いた。
「本当にここを出たら、またあの暗くて寒い地下室に戻るしかない。そう思って…」
彼女はやはり怖かったのだ。幼い日に閉じ込められていた地下室。また閉じ込められたって、今だったら簡単に脱出できるはずなのに、それでも恐ろしい記憶が彼女を離さない。
アレンは居住まいを正し、オリヴィアの方を向いた。
「いいか、ここ以外にも居場所はある。私のあのプロポーズは本気だ。私のところが嫌なら、殿下かレイ…師団長に縁談を紹介してもらえ。嫁ぐのが嫌なら、師団長の祖母が占い師だから弟子入りしろ。それも嫌なら城下で好きな店を開け。出資してやる」
オリヴィアは少しだけ頭を上げ、アレンを見上げた。濡れた瞳と目が合う。するとオリヴィアの瞳から綺麗な雫がぽろりと落ちた。
「居場所なんて、自分で作れるんだ。だから地下室に戻ることはない…、おい、泣くんじゃない。念押ししておくが、私のプロポーズは本気だからな」
アレンは、本格的に泣き出してしまったオリヴィアの肩を撫でた。彼女が泣くのを見たのは初めてだ。
しばらく肩を撫でてやると、少し落ち着いたオリヴィアは顔を上げた。
「…アレン様のお申し出、考えてみてもいいですか」
「ああ、じっくり考えてくれ。一生のことだからな」
オリヴィアは見たことのない泣き顔でほんの少し笑ったので、アレンはどきりとした。同時に、彼女の笑顔に安堵した。
♦︎
それからしばらくして、アレンとオリヴィアはいつもの焼き菓子屋のテラス席にいた。
オリヴィアから会おうと連絡があったのだ。
あの後、娘の行動を聞きつけたイザベラの両親から、混乱を招いて申し訳ない、と慌てて王宮に謝罪が入った。イザベラは女官を辞して早々に実家に連れ戻された。花嫁修行に専念するそうだ。
そのため意見陳情届けも有耶無耶になり、聞き取りはしたもののオリヴィアへの処分はなしという結論になった。
アレンはあの公開プロポーズをしばらく冷やかされたが、すぐに下火になった。どうやら進展しないようだな、と周りが判断したためだ。
そう。結局あれから、公開プロポーズの返事はもらえていない。
しかしオリヴィアが以前の様子に戻ったので、アレンは嬉しかった。
「やっぱりしばらくは大人しくしておいて、原点に戻って規模の小さめのことからまた始めようと思うんですよ」
「…例えば?」
今日もいつものようにお茶にたくさんの砂糖を入れ、スプーンでゴリゴリと溶かしている。
「私の原点と言えばなんだと思います?」
「…豚か」
「そう!また豚レースをします!」
なんだかとても楽しそうだ。顔色も戻り、嬉々として話している。
「オリヴィア殿はなんでそんなに豚が好きなんだ?」
「言ってませんでしたっけ?地下室から転移魔法で初めに出てきちゃった場所が、王都の養豚場だったのです」
知らなかった。
地下室から出て初めて目にしたのが豚だったのか。それであれば豚を好きだというのも理解できた。
「なので、豚は私の原点ですね。自由と希望の象徴です。アレン様、将来は広い家で豚を飼いたいです」
さらりと言われて聞き流すところだった。
驚いてオリヴィアを見ると、なんでもないかのように砂糖の溶け残るお茶をすすっている。が、アレンが見つめていることに気づくとオリヴィアはニヤリと笑った。
「…いいぞ、何頭でも飼ってやる」
「楽しみにしています」
先の約束ができたことに嬉しくなり、歓喜のあまり叫び出すのを抑えるためにアレンもお茶をすすった。
《 おしまい 》