続1
アレンはオリヴィアと定期的に会うようになったものの、関係性は遅々として進んでいなかった。
オリヴィアが考えていた『陛下の空飛ぶ馬車』はアレンも調整役に入って実施したし、その後は子どもたちを集めて『どんぐり拾い大会』もやった。いずれも好評だった。
今日もいつもの焼き菓子屋のテラス席で、次は何をしようか相談をしている。
オリヴィアは初めの数回は淑女然とした格好で来ていたが、もうここ最近はいつもの黒いローブ姿だ。
それでもアレンは、ローブから垣間見える彼女の艶やかな茶色い髪や、伏せた睫毛や、メモを取る指先の小さい爪を眺めて悶々としていた。
このままでは『イベント企画係オリヴィアとその調整役アレン』の関係から抜け出せない。自分をゆっくり知っていって貰えば良いと思っていたが、欲が出るものだ。
なんとかこの関係を打破したい。
「今度また、殿下の地方公務に同行することになったんですよ」
オリヴィアがお茶を飲んで口を開いた。羽ペンをくるくると回している。
「聞いている。私は今回ほぼ関わっていないが…、日程は前回とあまり変わらないんだろう。気をつけて」
本音を言えば自分も同行したい。しかし今回は別の文官が地方公務の担当だ。前回の担当者として、いくつか相談に乗っているところだ。
主にトラブルへの対応と、オリヴィアをある程度自由にさせておけという助言だが。
「なにかお土産いります?といっても今回はあまり街に行けないようなので面白いものはないかもしれませんが」
「その気持ちだけで十分だ。ありがとう」
少なくともアレンはオリヴィアにとって、お土産買ってきてあげよう、くらいの気遣いをしてくれる相手だということが嬉しい。
いくつかやりたいことの案が出たが絞りきれなかったので、地方公務から帰ってきたらまた会うことにして解散した。
次の予定を約束できたことが嬉しい。
憂うべきなのかもしれないが、オリヴィアを好きになってから喜びのハードルが低くなっている気がする。
♦︎
しばらくしてオリヴィア達が地方公務から戻ってきた。今回も問題なく済んだようだ。帰ってきた担当者からはほっとした様子で礼を言われた。
担当者は、オリヴィアは何もせず大人しくしていたと言っていた。おそらく担当者が気付いていなかっただけでそれなりに遊んでいただろうなと思ったが、口には出さなかった。
その後、たまたま仕事で百合姫の宮の近くを通ったらオリヴィアを見かけた。
なにやらしゃがみこんで通路脇に咲いている花を見ているようだ。
「オリヴィア殿、おかえり」
びっくりさせようと思って後ろから肩を叩いた。しかしオリヴィアは全く驚かず、ゆっくりと振り返った。
なんだかいつもと違う。いつものはっきりとした表情が抜け落ち、瞳が曇っているように見える。
「…どうした、具合でも悪いのか?」
「あ、いえ。考え事をしてました。すみません」
オリヴィアはパッと気付いたようにいつもの顔に戻った。
「地方公務はどうだった?天候が悪くなくてよかったな」
「ええ、おかげさまで大きなトラブルもありませんでした」
そのとき、アレンとオリヴィアの後ろを数名の女官たちが通りかかった。
「いい子ぶっちゃって」
女官の一人が小さな声でそう呟くのが聞こえた。それから女官たちはクスクスとこちらを見ながら足早に通り過ぎていった。
ーーなんだ?自分に言われたのだろうか?
疑問に思いオリヴィアを見ると、彼女は珍しいことに、ーー本当に珍しいことに、小さくため息をついた。
「オリヴィア殿、」
「次にお会いするのは週末ですね、よろしくお願いします」
オリヴィアはそれだけ言うと去って行った。
何かがあったのは明白で、オリヴィアが非常に珍しいことに落ち込んでいるようだったので週末の約束に来ないかと思ったが、いつも通り現れた。
地方公務のお土産だと言って、なにやら怪しげな置物をくれたが、なんだか疲れたような、沈んだ顔だ。
「しばらく遊ぶのは控えて大人しくしていようと思うんです」
「…地方公務で何があった」
オリヴィアはいつも通りお茶に砂糖をたくさん入れ、スプーンでゴリゴリと溶かしている。
「何があったってわけでもないんですけどね。ちょっと休憩します」
話してくれないのがもどかしい。自分はそこまではまだ信頼されていないということだ。
彼女の性格的に、問い詰めたところで口を開いてくれることはないだろう。
「…なにか私にできることがあったら言ってくれ。力になりたい。君がそんなに元気のない顔をしているのは悲しい」
「ありがとうございます。大丈夫ですよ。またやる気になったら連絡します」
そのまま、次に会う予定を決めずに別れた。
♦︎
アレンは女官長を訪ねることにした。王宮で働く大勢の女官を統べる彼女は、自分の執務室を持っており夕方はそこで仕事をすることが多い。
一応先触れを出して女官長を訪ねると、彼女は驚いてアレンを出迎えた。
「なにかありましたか?ここにいらっしゃるとは珍しいですね」
「業務に直接関わることでなく恐縮ですが…、リリア殿下付きの女官たちについて、地方公務でなにか変わったことはありませんでしたか?」
アレンは百合姫の宮で起きたことを話した。そしてオリヴィアがなにか落ち込んでいることも。オリヴィアはある意味有名人なので女官長もよく知っている。
「ああ、そうです。少しゴタゴタしていまして」
アレンの話を聞いた女官長はため息をついてこめかみを押さえた。
「少し前に人事異動がありましたでしょう。それで殿下付きの女官も三分の一ほど入れ替わったのです。そこに一人、新人の女官が入ったのですけどね、少しやっかいで」
「どこの出身ですか?」
王宮で女官になる女性は、貴族令嬢が結婚前に行儀見習いのために女官を経験する場合と、身分を問わず女官として就職する場合の二つがある。
後者の場合、やっかいならそもそも採用されないだろうから前者だろうと思った。
「魔術公爵家の令嬢なんですけどね、オリヴィア様を目の敵にしているというか…」
女官長の話ではこうだ。
新たに百合姫付きになった魔術公爵家出身のイザベラという令嬢はどうやらオリヴィアを嫌っているようで、新たに配属された女官たちとともにオリヴィアの陰口を言って、輪を乱している。
それがエスカレートしたのは地方公務での出来事だ。地方貴族と百合姫の面会時に、イザベラら女官たちがお茶を入れるタイミングを間違え、出すときには冷め切ってしまっていた。そこで時間がない中、オリヴィアが魔法で急いでお湯を沸かし、お茶を入れ直したという。
イザベラらはそれが気に食わなかったようで、地方公務から帰ってから態度がさらに悪化したとのことだ。
「なにが気に食わなかったんでしょう」
「さあ…、よく分からないのですが、少し様子を見て、酷くなる前に注意するようにします」
まだ酷い状態ではないという判断なのだろうか。彼女があんなに無気力になってしまっているというのに。
♦︎
女官長と会ってから数日後、アレンはオリヴィアの上司である魔術師団長から夕食に誘われた。
魔術師団長のレイは監査官の女性と最近結婚したが、彼女は仕事柄、監査中は忙しく相手にしてもらえないそうで、いま暇だと言った。
アレンとレイは城下の大通りにある食事処に入った。王宮で働いている人々がよく入る、リーズナブルな店だ。
「オリヴィアのこと、聞きたいだろう」
料理が運ばれて開口一番、レイが切り出した。アレンは身を乗り出した。
「聞きたい。すごく。そのために誘ってくれたのか」
「いや、暇だったから。でもオリヴィアのことが気になっているだろうと思って」
小馬鹿にされている気もするが、仕方ない。
オリヴィアが実家の地下室から自力で転移魔法で王都に出てきてしまった際、保護したのがレイだと聞いている。それからも彼女のことを目にかけている。
「地方公務であったことは女官長に聞いた。なぜその令嬢に目の敵にされているんだ?」
「イザベラ嬢が魔術公爵家出身であることは聞いたか?実家の順位としてはオリヴィアの方が下なんだ」
アレンは頷いた。
五つある魔術公爵家は、暗黙の了解として順位付けがされている。オリヴィアは自分の実家を弱小と言っていた。
魔術師団長であるレイの出身家が筆頭、オリヴィアの出身家が五番目だ。つまりイザベラ嬢の出身は二位から四位のどれかの家で、オリヴィアより上だ。
「イザベラ嬢は魔法を使えるのか?」
「多少は使えるそうだ。そもそも魔術公爵家から王宮魔術師になるのは、家からの推薦なんだ。オリヴィアは例外だが。魔力が強くて、家で指導されて魔力をコントロールできる優秀な人間が推薦される」
オリヴィアは魔力が強すぎて家族も指導ができず、地下室に閉じ込められていた。
「つまりイザベラ嬢は王宮魔術師になるほどの実力はないということだろう?」
「そうだ。ただ、なまじ自分も魔法を使えるものだから、出身が格下のオリヴィアが殿下付きで好き勝手やっているのが気に入らないらしい」
アレンは大いに呆れた。
同時に、地方公務での出来事に合点がいった。イザベラは自分の失敗をオリヴィアが簡単な魔法で対応したことにプライドが傷つけられたのではないだろうか。そのくらい自分もできるのに出しゃばってきて、と。
「面倒くさい、二人を魔法で戦わせろ」
「それは面白そうだけどな、オリヴィアに本気を出させてみろ、死人が出る」
アレンの乱暴な提案にレイは笑みを漏らした。
「だいたい、そんな言いがかりにオリヴィア殿がしょげているのはなぜだ?何言われようと気にしなさそうじゃないか」
「イザベラ嬢から、オリヴィアは適任ではないから、態度が変わらないようであれば上に申告して辞めさせてやるって言われたそうだ」
「上って殿下?それともお前?」
「さあ…、知らないが、それでオリヴィアは王宮魔術師を辞めさせられて実家に帰らされることを極端に恐れてる。地下室トラウマがよっぽどなんだろう」
オリヴィアが地下室を恐れていたことは知っていたため、彼女の気持ちが少し理解できた。
「なにかできることないかな」
「ない。イザベラ嬢には婚約者がいるからそのうち女官を辞める。放っておけ」
そんないつになるか分からないイザベラの結婚まで、オリヴィアは息を殺して過ごさないといけないのだろうか。
アレンは大きくため息をついた。
しかし、すぐに放っておけない事態となった。
イザベラがオリヴィアの罷免を要求した意見陳情届けを提出したのだ。