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街を歩いていたアレンは見覚えのある看板を見つけ、足を止めた。あの港町でオリヴィアが買っていた焼き菓子の店だ。港町が本店で、この王都に支店を出すことになったと張り紙がしてある。
港町はショーケースだけだったが、この支店は喫茶スペースもあり、数人の客がくつろいでいた。
地方公務から帰り特別休暇をもらったが、暇を持て余したアレンは街をぶらぶらしていた。
オリヴィアは王都に帰ってすぐ、どぎついピンクのローブを着て王宮に現れた。いつの間にか辺境伯領で布を購入していたらしく、それで自分でローブを作ったようだ。もっと他に良い色はなかったのだろうか。
露店の商品を眺めていると、魔術師団長に声をかけられた。たまたま彼も休みらしく、ちょうど昼時だったことから、昼食を共にすることになった。
「地方公務、ご苦労さん。楽しかったようだな。オリヴィアがたくさんお土産を持ち帰ってきた」
「楽しかったというか…遠足の引率者のような気分だった」
魔術師団長は笑って手元の肉にナイフを入れた。
「オリヴィアは問題を起こさなかったか?本人はなにもしていないと言っていたが」
アレンは食べ歩きや花火のことが頭をよぎったが、結果的には問題にはなっていない。
「まあ小さなことはいろいろあったが問題ない。彼女が優秀な魔術師であることはよく分かった。…それに、見るもの全て楽しんでいるようで面白かった」
「そうだろう、あの子から見る世界はキラキラ輝いているんだろうな」
そうだ、同じものを見ているはずなのに、彼女には違って見えるようだ。
「なんだか…生きていることをものすごく楽しんでいるように見える」
「彼女の出自を聞いたんだろう?地下室の世界に比べたら、外は面白いだろうさ。だから何でもやってみたいんだろう」
地方公務に行く前はオリヴィアのことを奇人変人だと思い、無事に仕事を終えることができるのか不安だった。
しかし帰ってきた今はどうだ。オリヴィアは非常に優れた魔術師だった。どんなことも楽しむことができて明るくて、アレンには眩しく感じてしまう。
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地方公務の報告書を提出し、アレンは日常に戻った。宰相補佐なので、基本的には宰相から割り振られた仕事をこなすが、時には自分が主体で動かす仕事もある。王族の公務の調整、議会の運営やそれに付随する書類の作成、各部署から上がってくる問題への対応など、それなりに忙しい。
忙しいのになんだかつまらない。原因は分かっていた。オリヴィアに会わないからだ。
地方公務から帰ってきてから、オリヴィアには全く会わなくなった。見かけることもほとんどない。元々仕事場所が全く違うのだ。
アレンは、地方公務中のオリヴィアのことを思い出したり、いま彼女がなにをしてるかなと考えたり、次にどんなことをしようとしてるだろうかと想像したりした。
この感情に名前をつけるとしたら何になるかは自分でも分かっていたが、しかしひょっとすると希少動物を保護したいと慈しむ気持ちと同じ感情かもしれないと、アレンは自分の思いを決定付けるのを先送りにしていた。
彼女がどのように過ごしているか気になってはいるが、実際に会いに行く勇気はない。用事もないし、彼女が自分のことをなんとも思っていないことは分かっていた。
ひょっとするとアレンに対する興味など彼女にとっては豚以下かもしれない。そう考えるとアレンは憂鬱になった。
アレンが悶々として過ごしていたある日、掲示板に派手な張り紙がしてあるのが目に入った。
「歌唱コンテスト」
こんなことをやりだすのは彼女しかいない。主催者は間違いなくオリヴィアだ。
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「歌唱コンテスト」は歌自慢の参加者を募り、ステージで順に歌わせてそれを王宮楽団の面々が採点するという催し物のようだ。アレンはとても参加する勇気がないが、ここに行けばオリヴィアを見かけることができるかもしれないと期待を持った。
当日、どのように理由をつけてコンテストを見に行こうか困ったが、ちょうど同僚の一人から、面白いことをやっているようだと声をかけられて見に行くことができた。
会場は王宮内の庭園の一部で、ステージが設けられていた。きちんと使用許可を取ったのだろうかとアレンは頭が痛くなった。少なくとも自分は聞いていない。
すでに大勢の王宮関係者が集まっており、いまは女官が歌っている。確か王太子付きの女官だ。伴奏は王宮楽団の一部のメンバーが歌唱者の後ろで奏でており、ステージの目前には王宮楽団の幹部らが一列に並んで座っていた。採点しているのか、何か手元の紙に各々書き込んでいる。
女官の歌が終わった。大きな拍手が起き、ステージから降りる。すると普段は教会の講話でしか声を聞いたことのない司祭が出てきて司会をしており、アレンはぎょっとした。
よく見ると採点している王宮楽団のすぐ後ろには百合姫が座って見物している。
「あ、アレン様」
アレンが振り返るとオリヴィアが立っていた。今日はいつもの黒いローブを羽織っている。アレンは心臓が跳ねるのがわかった。
「どうですか、飛び入り可能ですよ」
「オリヴィア殿、久しぶりだな。これは君が考えた催し物だな?」
「そうですよ、面白いかなと思って王宮楽団長に話したら、なんか大事になってしまいました。司祭まで出てきてくれて。それにしてもみんな歌が上手ですよね」
オリヴィアはステージを見つめて微笑んでいる。アレンはそれを見て、綺麗だなと感じた。
「…君は魔力が強くて高度な魔法も使える魔術師なのに、おかしなことばかり思いつくな。新しい魔法の研究でもすれば良いものを」
「そうですか?魔法で遊ぶこともありますよ」
風が強く吹いて、オリヴィアは黒いフードを抑えた。
「…ただ、私は魔法なんて無くなっていいと思ってます。ほとんどの人は使えないものですからね」
アレンは衝撃を受けた。こんなに魔法の才能があるのに、オリヴィアは全く固執していない。
自分は生真面目で努力家だとは思うが、飛び抜けた才能はないことを自認しており、才能のある人間が羨ましかった。なのにオリヴィアは自身の持つそれを特別だと思っていない。
アレンは急激に腹立たしくなった。
なぜ自分はこんな真逆の人間に心を揺さぶられているのだろう。
「…君は非常識だし、何を考えているか分からないし、やり出すことは突拍子もない」
「なんですか、いきなり。お説教ですか」
ムッとしたオリヴィアはアレンに向き合う。
「それなのに君の周りにいる人たちは皆笑っているし、君はいつも楽しそうだ。そんなに才能があるのにそれに固執しないなんて妬ましい。君のことが気になって仕方がない。…私は君が好きなんだ」
「はっ!?」
アレンからの突然の告白に、オリヴィアは目を丸くした。オリヴィアの頬が一気に染まる。
「君が私に対して興味がないことは分かっている。君にとって私なんて豚以下かもしれないが、チャンスをくれないか」
「はあ…」
「港町にあった例の焼き菓子の店、王都にも支店を出したのを知っているか?」
突然の話の変化に、オリヴィアは眉を寄せ、黙ったまま首を横に振った。
「実は、私は歌が大の得意なんだ。もしここで優勝できたら、その店に付き合ってもらえないか?」
「え!?…は、はあ…」
「それは了承だな?了承と取るぞ。よし、そこで見ていろ」
アレンはそう吐き捨てると、大股でステージへ近付いていき、参加者名簿を捲っている男に飛び入り参加の意思を伝えた。
アレンは自分の気持ちを伝えたことを後悔はしていないが、今までの人生で一番緊張している。
絶対失敗できない。
司祭がアレンをステージに呼ぶ。
負けたくない。
アレンは拳をぎゅっと握りしめて、ステージの階段を上った。