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「ああ、潮の香りがする!」
オリヴィアがはしゃいでいる声が聞こえる。2つ目の目的地である港は開港したばかりだけあって人や物の往来が多く、賑やかだ。天気も良く、夕方の除幕式まで時間があるため百合姫や女官、魔術師らは騎士の護衛の下、変装して市場を散策すると言って宿を出て行った。
アレンはその間に残った騎士らと除幕式会場の下見と護衛体制の確認をしておくことにした。
除幕式会場は港のすぐ脇で、波の音や汽笛が聞こえる。確かにオリヴィアの言うとおり、潮の香りがして、アレンは息を吸い込んだ。
ここは市場の入り口にも近く、賑やかだ。売り子の声だけでなく、楽団の明るい音楽も聞こえる。王都の賑やかさとはまた種類の違う雰囲気にアレンは楽しい気分になった。
すると百合姫たちが笑いながら市場を出て除幕式会場の方へやってきた。百合姫は変装のため本来のプラチナブロンドを茶色に変えており、一見誰だかわからない。オリヴィアはいつもの黒いローブを羽織らず、町娘のような格好をしている。そのような姿を見るのは初めてだ。オリヴィアは濃い茶色の髪をしていた。
百合姫も女官も両腕にたくさんの袋を下げ、さらに手には食べ物を持っている。オリヴィアは特にたくさんの袋を持っており、しかも何か歩きながら食べているのか、口をもぐもぐと動かしている。
「アレン様!これ、前にお話しした有名な焼き菓子ですよ、すごく美味しいです。ひとつあげます」
オリヴィアはアレンに菓子を差し出した。小さな焼き菓子の上に色とりどりの砂糖がまぶしてあるようだ。アレンは一口で食べた。柔らかくて甘かった。
「ありがとう、確かに美味しい。だが食べ歩きは控えたまえ、殿下が一緒なんだぞ」
「殿下も食べてますよ」
オリヴィアが指した先で百合姫が串揚げを頬張っていた。
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除幕式は滞りなく進んだ。串揚げを頬張っていた百合姫もいまはいつもの姿で王族たる雰囲気で微笑んでいる。壇上の脇に控えるオリヴィアも黒いローブ姿に戻っていた。
大勢の人が見守る中、百合姫がテープカットを行い、大きな拍手が起きた。続いて、百合姫と市長が握手している。
今回の地方公務のうち、半分が済んだ。アレンは少しほっとして息を吐いた。
その日の夜、アレンは宿から出て港を散歩した。港には等間隔に街灯が設置されており、そこまで暗くない。海は穏やかで波の音は静かだった。
除幕式会場はすでに片付けられていた。しかし何かの光がキラキラしていて人の笑い声が聞こえる。
なんだろう、と近付いていくと、オリヴィアと百合姫が花火で遊んでいた。アレンは目を疑った。
「お、お二方…、護衛もつけずになにをしているのですか」
「あら、見つかっちゃった」
「オリヴィア殿、問題を起こさないと約束したはずでは」
「あはは、豚は連れてきませんでしたよ。ちょうど花火も終わっちゃったので帰りましょう」
オリヴィアはそう言うと魔法陣の書かれた布を取り出して百合姫をその上に立たせた。アレンはぎょっとしてそれを見つめた。転移魔法だ。転移魔法は魔力の強い一部の魔術師しか使えないと聞いているが、オリヴィアがそうだとは。
百合姫は、先に帰るわねと告げ、オリヴィアが何か呟くと魔法陣の上から消えた。
オリヴィアはその場を片付け、バケツを持った。
「私も帰りますね」
「君は歩いて帰るのか…、一緒に帰ろう」
アレンはオリヴィアの持っていたバケツを取り、並んで歩き出した。
「街灯がこれだけあっても星が見えますね、綺麗だな」
オリヴィアは空を見上げながらのんびり呟いた。
「オリヴィア殿の出身は南の方だろう。自然が多くて星も綺麗なのでは?」
「うーん、私は地下室育ちですからね」
「地下室育ち?」
「うちは弱小の魔術公爵家なので」
魔法が使える人間が産まれるのは王族と魔術師の家系が多い。魔術師には5つの公爵家の家系があるが、その魔力の強さにはばらつきがある。また、魔力を持つ人間が産まれる頻度は減り、その魔力もだんだん弱くなってきている。
「うちの家族なんかはほとんど魔法を使えないんですよ。なのに魔力の強い私が産まれちゃったもんで、誰も私を指導できなかったんですよね。でもプライドだけは高いものだから、子供を指導できないなんて公にできなかったらしくて、私をずっと地下室に閉じ込めていたんです」
全く聞いたことのない話だ。
「しかし、いまは王宮魔術師だ。どうやって出てきたんだ?」
「地下室で独学で色々魔法を練習していたら、転移魔法で王都に出ちゃったんです。そしたら魔術団に感知されて、いまの師団長に保護してもらいました」
アレンは呆気に取られた。独学で転移魔法を習得するなんて、とんでもない規格外だ。
「地下室は暗くて寒くて、世話係の女官がいたのですが口も利いてくれないし。よく生きてたなと思います」
オリヴィアは遠い目で話した。
「それに比べて地下室の外は明るくて暖かくて、美味しいものも楽しいことも美しいものもたくさんあるし、いまが人生で一番楽しいです」
アレンは幼い少女が石の壁に囲まれた地下室で一人魔法の練習をする様子を想像した。暗くて寒くて、誰も話ができる人もいなくて、一人ぼっちで…どんなに辛いだろう。
「あ、なのでクビになって実家に帰らされるのは嫌なので、アレン様、今回のこと告げ口しないでくださいね……って、な、なに泣いてるんですか」
感情移入して思わず涙ぐんでしまった。慌てて目をこする。
「…失礼した。…オリヴィア殿が魔術師として優秀であることはよく理解した。まあ問題行動は多々あるが、殿下や師団長も許しているんだろう。私からは何も言わない」
「アレン様は優しいですね。これ、口止め料です」
オリヴィアはポケットから飴を出すとアレンに渡した。
「安いな!」
アレンは声を上げて笑った。