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アレンは文官家系に生まれた。生真面目なアレンは自分も文官になるのだと特に疑問を持たず育った。血筋なのか事務仕事は得意で、実直に、必死に仕事をこなした結果、現在は宰相補佐だ。時間の足りない仕事も、調整の大変な仕事も、苦労しつつ精一杯こなしてきた。
そんなアレンがいま一番頭を悩ませているのが王宮魔術師オリヴィアのことだ。
オリヴィアは末姫リリア付きの王宮魔術師で、いつも黒いフードをすっぽりとかぶって王宮内をふらふらとしている。王族と魔術師の家系は魔法を使うことができ、オリヴィアは百合姫の魔法授業の講師だ。
彼女を評するのは難しい。変人、自由奔放、突拍子もない問題児、素っ頓狂…、とにかく、自分と真逆の人間だとアレンは認識している。
彼女が起こした問題行動は数知れず。
例えば、王宮内で飼育されている豚で"豚レース"を開催する、庭園の池に勝手に氷を張りスケートリンクにする、王宮入口の女神像を魔法で喋らせて来賓に泡を吹かせる、など際限がない。
先日は王族の子どもたちと裏山で勝手に山菜を取り、皆で嬉々として揚げて食べていたところを捕まって女官長にこっぴどく叱られているのを目撃した(“道草を食う"を実践したと釈明していた)。
そんな何を考えているか分からない女と仕事を共にすることになったのだ。
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百合姫と呼ばれる末姫リリアは唯一の女性独身王族として多くの公務をこなしている。これまでは王都近辺の公務が中心だったが、年頃になりそろそろ遠方への単独公務も行おうと、その計画立案・遂行責任者としてアレンが任命された。
今日はその打ち合わせが行われる。百合姫も出席する予定で、会議室にはすでに関係者がほとんど集まっていた。
宰相補佐であるアレンと文官、騎士団関係者、女官ら十数名が座っており、あとは百合姫と王宮魔術師のオリヴィアだけだ。
「あら、私の方が早かったようね」
百合姫が会議室に入ってきたため、全員頭を下げた。
もう開始時間ギリギリだ。始めてしまおうか、と思ったところでオリヴィアが入ってきた。しかし入ってきたオリヴィアを見てギョッとした。いつもの黒いローブを羽織っているが、あちこち土や草で汚れているのだ。
「ねえ、どうだった?」
なんのことだか、百合姫が嬉々としてオリヴィアに尋ねた。
「ダメでした。どうも訓練していないと出来ないようです」
「そんなに汚れて、どうしたのです?」
女官長が眉を顰めて尋ねると、オリヴィアはその場でローブの汚れを手で払い始めたため、隣に座っている騎士が思わず身を引いた。
「豚がトリュフを探すことができると聞いたので、裏山に連れて行って試してみたのです。…出来ませんでしたけどね、逃げ出そうとしたのでとっ捕まえるのが大変でした」
その場にいた百合姫以外の全員が目を丸くした。
ゴホン、とアレンは咳払いをすると、会議の開始を告げ、議案を読み始めた。
こんな変な魔術師を連れて行って大丈夫なのだろうか。アレンは急激に不安になった。
会議が終わり執務室に戻る途中で魔術師団長を見かけたため捕まえた。彼は絶大な魔力を持つため異例の出世で団長となったが、年齢はアレンと同じで気安い間柄だ。
「おい、あの百合姫付きの魔術師、今回の地方公務に連れて行って大丈夫なのか?」
「今度はなにをした?」
「豚を裏山に連れて行ってトリュフを探させようとした」
「それで?採れたって?」
「いや、だめだったらしい」
魔術師団長はそれは残念、と笑った。
「あいつはあれで大丈夫だ。ある程度自由にさせておけば仕事はきちんとする、問題ない」
「本当だろうな」
「本当、本当。あまり縛りつけるな、放っておけば良い。悪さはしない」
野生動物じゃないんだから…とアレンはもっと不安になった。
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地方公務は1週間の予定で、10日後に出発する。数回行った会議により訪問先、移動スケジュール、警護体制、持参品、馬の手配など主要なことは概ね決まった。あとは各部署で細々とした調整を行うだけだ。
アレンが執務室で仕事をしていると、珍しいことに近衛騎士団副長のロバートとオリヴィアがやってきた。
「アレン様、近衛の副長が地方公務に同行したいと言ってしつこいのでなんとかしてください」
「は?」
今回の地方公務は第二部隊が担当することになっており、ロバートは含まれていない。そもそもロバートは王太子の護衛警護に付くことが多く、地方公務中に王太子は他国の来賓を歓待する予定があるはずだ。
「来賓もあるし、無理では?なぜ急に?」
「殿下が心配で…、やはり無理だよな…」
ロバートはしょんぼりと肩を落とした。彼はその端正な顔立ちと冷たい雰囲気から、氷の騎士と呼ばれていることは知っているが、いまはとてもそうは見えない。
「ダメですよ、ダメダメ!公私混同!」
「そうか…、それでは魔術師殿、なにもないように頼むぞ。アレン殿もよろしく頼む」
「はあ…」
公私混同ということは、もしかして百合姫とロバートは恋仲なのだろうか。全く知らなかった。
ロバートはアレンの手を取り、再度、よろしく頼むと告げると部屋を出て行った。
「意外だな、オリヴィア殿なら同行を許すかと思った」
「まあ、二人をくっつける手伝いをしたのは私なんですけどね。でも同行を許したら四六時中、キャッキャしますよ。鬱陶しいですよ、きっと」
オリヴィアはチッと舌打ちして腕を組んだ。それはひがみなのではと口から出かかったが、すんでのところで言葉を飲み込んだ。
「それにしても1週間も王都から出てあちこち見れるなんて楽しみだなあ。ご存知ですか、2ヶ所目の港町は有名な焼き菓子の店があるそうですよ。絶対に行きたいです」
「公私混同はどちらなんだ…、オリヴィア殿、くれぐれも道中で問題を起こさないでくれよ」
「問題ってなんです?」
「君の普段の一連の行動のことだ。豚を連れて行くなよ」
「あはは、豚は連れて行きませんよ」
不安だ。