09:女の子の寝顔に和むミノタウロス。
高槻さんのいきなりの言葉に面くらう。うん、面喰うとしか言いようがない。
一緒に和やかな雰囲気で昼食を食べて。
お弁当を作ってもらえる約束なんかして。
話をしていたら種族的にも彼女自身としても激重な内容になって。
彼女の頭を撫でていたら「抱いて」と言われた。
誰だって戸惑うでしょ。
しかも、オレはミノタウロスだ。高槻さんの事情やらを考えたら、ミノタウロスこそ避けそうなもんだと思う。
でもオレだからこそ、ミノタウロスでも好意を向けてくれているのかな、とも。そう考えると、まぁ納得はできる。
乱暴なことをしない相手。
しかもミノタウロス。
高槻さんの心と身体を蝕むトラウマをなだめる相手として、オレはすごく都合がいい。
オレもそう思う。
……いきなりミノタウロスになった、とかいうトンデモ事件のおかげで、妙にいろいろ考えを巡らすのがクセになってるな。
とにかく。
経緯はどうあれ。好意を向けてくれる、言葉にして伝えてくれるという、その気持ちはすごく嬉しい。
嬉しいんだけど。ずいぶんいろいろとすっ飛ばし過ぎなんじゃないか、とも思うわけで。このあたりは、ミノタウロスになる前の人間世界的な考え方を引きずっているからかも。
「普通に話をするくらいなら、まだいいかもしれないけど。抱く、まで行っちゃうのは、怖さがぶり返したりしないかな」
少し落ち着け、という意味を込めて諫めてみるものの。高槻さんはストレートに「好き」と伝えてくる。それこそ、追い詰められているかのごとく必死になって。
人間族まで含めても、自分を守ってくれたのはオレだけだった。
彼女はそんなことを言う。
施設とやらは守ってくれなかったのか、と思ったけど。
あぁ、結局は生贄に出したんだから、守ってくれたっていう認識にはならないか。
「気持ちはすごく嬉しいんだけど、さ。いきなり過ぎない?」
「ミノタウロスとか関係なく。厨子さんが、好きです。これ以上、他の種族に汚される前に、厨子さんのモノにしてほしいんです」
高槻さんは、ミノタウロスに襲われた。普通の人間がモンスターに抱いている恐怖心がどれくらいのものかは分からないけれど、彼女の怯えはとても強いもの。
そんな彼女が、ここまで言ってくれる。
もう種族とかそういうことではなくて。手を差し伸べて、引っ込めずにいてくれた。っていうのが、彼女をそこまで言わせたのかもしれない。
そう思うと、ミノタウロスの外見よりも、オレの中身を見てくれたみたいで嬉しくなる。
「高槻さん」
手を、彼女の頬に当てて。優しく撫でる。
高槻さんは、びくり、と震えた。でも無理をしているようには見えない。
「見た目はミノタウロスでも、オレとしては無理やり関係を持つのは趣味じゃないからさ」
まずは慣れてもらおう、かな。
彼女にそう言って。撫でていた手を、肩に回す。
少しだけ力を入れて、高槻さんの身体を抱き寄せた。
「あっ」
力任せにはしない。
勢いで、ぽすん、と。
彼女の小さな身体が、腕の中に納まる。
ベンチに横並びに座った状態で、女の子の肩を抱き寄せた。人間の男女ならともかく、ミノタウロスと人間族の女の子じゃあ、対格差がすごいことになっている。
「怖くない?」
「……はい」
オレの胸板辺りに頭をあずけながら、返事をする高槻さん。また頭を撫でてあげれば、もっとしてくれと言わんばかりに、頭を押しつけてくる。少なくとも、嫌がっているようには見えない。
しばらくそのまま、撫でてあげてから。次へ。
「高槻さん。怖かったら、言ってね」
「え、きゃっ」
彼女を横抱きにして、身体全体を腕の中に納めてしまう。座ったまま、高槻さんをお姫様抱っこするような形だ。
何かちょっかいを掛けるでもなく、ただ、抱きしめるだけ。ミノタウロスの力で押し潰したりしないように、優しく、優しく。高槻さんの身体を包み込む。
「これは、怖くない?」
「……いえ。むしろ、安心するというか。ほっとします」
「そりゃよかった」
オレの腕の中で、彼女はリラックスした顔をしている。頬を緩めて、目尻を下げた表情が可愛らしい。
もっと安心させるように、抱きかかえていた手を揺らす。高槻さんは、心地良さげに目をつむった。
……なんだか、男が女の子を抱きしめてるっていうよりも、小さい子供をだっこしてあやしているような感覚になってきた。
でもまぁ、彼女が嬉しそうだから。いいか。
思うに。いつ誰が襲ってくるかも分からないモンスターだらけの学校で、常にビクビクしながら過ごしているわけだから。経緯はどうあれ、気の抜ける相手ができたというのは貴重だろう。
それがミノタウロスのオレ、っていうのは、戸惑いもあるけど。オレにできることなら、できる限りは力になってあげたい。
なんてことを思いながら。少しだけ、抱きしめる力を強めてみた。
高槻さんの身体が、より密着する。
抱きしめながら、彼女の頭に頬ずり、をしようと思ったんだけど。
ミノタウロスの鼻と口が、人間よりも突き出ていることを忘れていて。思うようにいかず、鼻先を彼女に押しつけるだけで終わってしまった。
いぶかしむように見上げてきた高槻さんに、何でもないと言ってごまかす。
人間と身体のつくりやスケール感が違うから、ふとしたことで戸惑う。改めてそれに気づかされた。なんというか、キスをしようとして頭突きされた、みたいな気恥ずかしさを覚える。もちろんそんな経験はないんだけど。
でも。鼻先をぶつけたのを勘違いさせてしまったのか。
高槻さんが、ミノタウロスなオレの突き出た鼻先と口元を支えるように、手を添えて。
「んっ……。ちゅっ」
口づけを、してきた。
左右に大きく裂けた口元に、彼女は何度も何度もキスをする。
「はふ、んっ。厨子さん。ちゅ、ちゅっ。厨子さん……」
お姫様抱っこをしている可愛い女の子から、雨あられとばかりに連続してキスをされる。男だったら興奮でいきり立つこと間違いなし。
でも。幸いにもと言おうか。ものすごく興奮してるし、求めてくれるのがむちゃくちゃ嬉しいんだけど。なぜか、少し冷静な自分がいる。
感触や感覚はリアルなのに、着ぐるみを着ているような感じというか。ミノタウロスになった自分を背後霊になって眺めている感じというか。
自制できているのはそのおかげなのかも。話に聞くミノタウロスのように、性的衝動に任せて高槻さんを弄るようなことはない。中身が人間のままなオレにとっても、それは幸いだった。女の子を無理やり襲って泣かせるなんてことは趣味じゃないからな。
とはいえ、年相応に女の子への興味はある。例えミノタウロスになっていても。
「ふぁ、ん……。んっ、厨子、さんっ」
高槻さんを抱えていた手を、少しずらして。彼女のいろいろなところを撫でる。
「嫌だった?」
「嫌じゃ、ないです……」
「じゃあ、もっと触るよ?」
「はい、んっ……」
ゆっくり撫でれば、彼女は少しだけ身体を震わせて反応してみせる。キス攻勢が止まって、大人しくなる。
嫌がる素振りは見せない。でも緊張はしてしまうみたいで、彼女は身を硬くする。モンスターに襲われて非道な目に遭っているんだから、ミノタウロスに触られたらそりゃあビクつくに決まってる。無理もない。
そんな高槻さんに、嫌な思いをさせないように。努めて優しく、デリケートな壊れ物を扱うかのように接する。
「ん、は、あ。ふぅ……」
「ミノタウロスに慣れろなんて言わないからさ。無理は、しないで」
「厨子さん、なら。むしろもっと……」
「触ってほしい?」
「はい……」
自分の言っていることの意味を理解してか。高槻さんの顔はもう真っ赤っかだ。
年頃の女の子にこんなことを言われたら、オレとしても自制が少し緩んでしまう。見た目はミノタウロスでも、中身はごく普通の男子なんだから。
彼女の身体全体を持ち上げるように抱えつつ。もう片方の手を、背中から脇に通して。そのまま抱き寄せた。
「はぅ、ん……」
高槻さんの小さな身体が。オレの腕の中にすっぽりと納まる。傍からは、抱え込んで逃げられなくしているように見えるかもしれない。
体格の差もそうだけど、ミノタウロスの腕力や握力は、その気がなくても彼女を圧迫しかねない。変に力を入れたら、握りつぶしてしまいそう。
正直なところ、かなり自制しないと乱暴に触りまくってしまいそうだった。
でもかえって、おっかなびっくり触れているのが功を奏しているとも言える。
ミノタウロスに陵辱された体験。それは女性のことを一切気に留めない、力任せで欲望任せなものだったのだろうと想像する。そんな彼女に、思春期な男のがっつきぶりでぶつかったらどうなるか。余計に恐怖心を煽ってしまう。
「ん……。はぁ……」
幸い、高槻さんは抱きしめられたままじっとしている。どこを触れられても、少し震えはするけど拒否反応は見せない。我慢しているわけじゃない、と思うのは、自分勝手な考えだろうか。
「考えてみれば、無理にエッチなことをしなくてもいいんだよな」
「……え?」
言うや否や。持ち上げていた彼女の身体を、膝の上に下ろした。
横抱きにした状態のままで、肩を抱き、引き寄せる。
オレの胸元に、彼女が顔を埋めるような形になる。
「そのまま身を任せる感じで、背中に腕を回してみて」
「はい、んっ……」
高槻さんは、言われるままに体勢を変えようとする。きゅっ、と、ミノタウロスの厚い胸板に抱きついた。オレはそのまま彼女の頭に手をやって、優しく撫でる。
ただ、高槻さんを包み込むように抱きしめて、撫でるだけ。
抱きついて密着してるから、高槻さんの胸とかお尻とか、身体のそこかしこの柔らかさが伝わってくる。刺激的で、興奮してしまう。
けどそれ以上に、無防備な姿を見せる彼女の可愛らしさとか、愛おしさみたいな感覚が大きくなっていた。
高槻さんの頭を撫でながら、心音を聞かせるように、柔らかく抱きしめる。
さっき少し思ったみたいに、あやすような感じで彼女と接する。頭を撫でて、背中をさすり、揺りかごのように彼女の身体を揺する。
「……んぅ。すぅ……」
気がつけば、高槻さんは寝息を立てていた。
ミノタウロスの腕の中で、人間の女の子がうたた寝をしている。
それだけ気を許してくれている。信用し、信頼を寄せてくれている。
そう思うと嬉しくなる。
抱きかかえて、頭を撫でながら、高槻さんの寝顔を眺める。
そうしているうちに。
キーンコーンカーンコーン
「お、昼休みが終わったか」
チャイムが鳴った。午後の授業が始まる合図。
だけど、気持ち良さそうに寝ている彼女を起こすのは、かわいそうに思えた。
モンスターだらけの教室に、チャイムが鳴った後に戻るとか。注目されて居心地悪くなりそう。それならいっそサボってしまった方が精神的にもいいんじゃないかな。
なんて勝手なことをぼんやり考えて。
このまま日向ぼっこを堪能しつつ、彼女の昼寝につき合うことにした。
午後に入ってから何度目かのチャイムが屋上に響く。
「午後の授業、全部終わっちまったな」
眠ってしまった高槻さんにつき合うと決めてから、約3時間が過ぎた。もうすっかり放課後である。女の子の柔らかな身体の抱き心地と、陽の光の暖かさが心地良くて、オレまでつられてうとうとして寝てしまった。
腕の中を見てみれば、高槻さんはまだ寝ている様子。どれだけぐっすりなんだか。
されどうしようかな、と思ったところで。
校舎から屋上に出る扉が開いた。
「ん?」
屋上に上がってきたのは、人間族の女の子が3人。
彼女たちは周囲を見回し。オレの存在に気づくと。
「あっ」
声を上げて。それからすぐ、校舎の中へと逃げるように引っ込んでしまった。
……まぁ、ひと気のないところでミノタウロスと出くわしたら、逃げるわな。その反応は正しいと思うよ、人間としては。うん。
思わぬところで食らったネガティブな反応に人知れず傷つくオレ。
でも、扉の陰から女の子たちがこちらをうかがっているのに気づく。なんだアレ。
しばらく様子を見てみたけれど、特に動きがあるわけでもなく。変化なし。むしろ向こうの方が、オレの出方を見ているような。
もしかしたら、高槻さんの友だちかな?
午後の授業に出てこないから心配になって探しに来たとか。
ミノタウロスと一緒に歩いていたのを知って「大変、助けなきゃ!」みたいな。
ありそうだなそれ。
タイミングもいいから、オレに抱かれたまま寝てる彼女を起こしてしまおう。
「高槻さん」
「んぅ……。ん……」
「起きてー。朝ごはんできたよー」
ふざけたノリで彼女を起こそうとするものの。
「ん。お母さん……」
「……せめてお兄さんにならないかな」
あれか、無意識に先生をお母さんとか言っちゃったみたいな。
オレとしても同級生の子供はちょっと勘弁してほしい。
でも、目は覚めたらしい。うすぼんやりと目を開けて、オレの顔を見るなりカッと見開いた。顔も真っ赤にして。
「えっと、ずしさんっ。その、あのっ」
「はいはい、厨子さんですよー」
抱きついたままの高槻さんを、身体を揺すって落ち着かせる。テンパった妹をあやしているような気持ちになるな。実際には妹なんていないけど。
「でさ。今はもう放課後なんだけど」
「えっ。さっきまでお昼を食べてたじゃないですか」
「そのあと寝こけちゃって。もう3時間くらい経ってるよ?」
「うそぉ……」
驚いた顔をする高槻さん。びっくり仰天というやつだ。
学校で、授業をほったらかしにして、屋上で3時間もぐーすか寝てたらそりゃあ驚く。しかもミノタウロスに抱きかかえられてとか。どんなファンタジーだよと思う。オレにしてみればまさにファンタジーそのものだけどな。
さらに、彼女は抱き着いたままだったことに気づいて。「ごめんなさいごめんなさい」と連呼しながらオレの胸元に顔を埋めてくる。ぐりぐりと。恥ずかしそうに。
あぁ。なんかこういうの、いいなぁ。
いやいや。今はそれよりも。
「高槻さん。悪いんだけど、ちょっといいかな」
「むぎゅっ」
わたわたと取り乱す彼女を、少し強めに抱きしめた。背中をさすって、頭に頬ずりする。自分でやっておいてなんだけど、ミノタウロスの頬ってどのあたりなんだろうな。
それこそ今はどうでもいいことで。
「あそこでこっちを見てる女の子たち。高槻さんの知り合い?」
「えっ?」
顔を上げた高槻さんに、屋上の出入り口を指差して尋ねる。促されるまま彼女がそちらに目を向けたところで、ちょうど女の子たちと目が合った。
あちらの方も、高槻さんがミノタウロスに抱きかかえられていることに気がついたようだ。どうしたらいいのか、みたいな雰囲気で、何か話し合っているのが遠目にうかがえる。
あれか、友だちを助けるために勇気を出すかどうか、みたいな。
でもこちら側、オレと高槻さんはのほほんとしたもので。
「どうかな、あの子たちは」
「あ、はい。同じクラスの友だちです」
「やっぱり。高槻さんを捜しに来たのかなと思って」
「捜し……、あっ。教室に戻らなかったから」
「たぶんね。とりあえず、心配かけてたのかもしれないから説明してきたら? ミノタウロスに襲われたとか思ってハラハラしてるかもしれないし」
「そんなことっ。誤解を解いてきますっ!」
オレの膝から飛び降りて、駆け出していく高槻さん。
なんだろう。おどおどした小動物っぽいイメージがあったけど。今はちょっと変わったような。同じ小動物でも、まとわりついてくる子犬っぽいというか。昨日よりも明るい顔を見せてくれている。
屋上への出入り口で、女の子たちが顔を合わせた。高槻さんが詰め寄られるような形で、何かエキサイトしたやり取りが始まった。
話している内容は分からないけれど、高槻さんが大きく身振り手振りをしているのが見える。そのたびに、友だちの女の子たちの勢いが落ち着いていく。同時に、そのところどころでオレの方にちらちら目を向けているのも見て取れた。
信用しきれないっていうのは分かるよ。ミノタウロスだしな。
オレの方から何かアクションを見せることもなく。ただ遠目で彼女たちを見ているだけ。
「厨子さんっ」
弁明というか説得というか、そんなものが終わったのか。高槻さんがまたこちらへと駆け寄ってくる。
うん。やっぱり子犬っぽいな。
目の前まで来たところで、思わず彼女の頭を撫でてしまう。ミノタウロスの大きな手で、できるだけ力を抜きながら、優しく。
「あの、厨子さん?」
「いや、なんでもない。ただなんとなく」
撫でたくなっただけ。
高槻さんは良く分からないみたいな感じで、首を傾げる。
そんなスキンシップを取っている間に。彼女の友だち3人も近づいてきた。ただし、恐る恐るといった風に。オレと高槻さんのやり取りを見て驚いてるみたいだけど。
「とりあえず、話はついたの?」
「はいっ。厨子さんが怖い人じゃないってことをきちんと説明しましたっ」
「いやそっちじゃなくてさ。午後の授業に出なかった理由を話してたんじゃないの?」
「どちらにしても、厨子さんのことを話さないとだめじゃないですか」
「まぁ、そう、なるのか?」
「なるんです」
妙に自信満々な態度でそんなことを言う高槻さん。
彼女がいいって言ってるなら、それでいいけどね。
「でだ。取って食おうとしていたわけじゃないってことは、一応分かってくれた?」
微妙に距離を置いたところに立つ女の子たちに、話を振る。いきなりのことで驚いたのか、彼女たちは揃って身をすくませる。
そこまでビビらなくても……。
いや、これが当たり前なのかな。下手したら貞操の危機になりかねないわけだし。
ミノタウロスな自分に少し悲しくなって、溜め息。
ともあれ。
新たな人間族の女の子、琴原葉月、愛川水姫、汐見祐子との出会いだった。
……モンスターに襲われたところに出くわすような、酷いシチュエーションじゃなくてよかったよ。本当に。
-続く-
再投稿、ここまで、
ゆきむらです。御機嫌如何。
次の第10話から新規のお話になります。
だいたい1週間に1話を目安に投稿していくつもりです。
頑張れオレ。
評価や感想などいただけると、嬉しくて小躍りします。
引き続きよろしくお願いします。