04:喜びと反省と怒りを続けて味わうミノタウロス。
生徒の出入りが激しい、朝の教室前。事情がどうあれ、女の子から呼び出されるというシチュエーションはとんでもなく目立つ。友人どころか知らない奴からも、はやしたてられること請け合いだ。
……以前まで、人間の頃なら、能天気にそんなことを言っていられたと思う。
でも今は事情が異なる。人間の女の子が、ミノタウロスの男を呼び出したんだ。なんだか悪い意味で注目を浴びてしまいそうな気がしてならない。
「あ、あのっ」
「ん? あぁ、ごめんごめん」
考え事に気を取られてた。
異種族のオレと長く顔を合わせているのも、彼女の風聞的にも良くない気がするし。
用件があるなら早々に終わらせた方がいいかな。
「昨日は、その、助けてくださったのに逃げ出しちゃってすいませんでした」
「あー。いや、ある意味仕方ないでしょ、あの状況じゃ。ミノタウロスの顔をいきなり間近で見たら怖くもなるって」
「で、でも。でもっ」
「いやいや、本当にいいから」
「あとそれと、ブレザー。ありがとうございましたっ」
差し出された紙袋。中にはあの時オレが着せた、ミノタウロスでも着れる大柄なブレザーが入っている。
「クリーニングしてからお返ししようと思ったんですけど。その間はブレザーなしで登校することになっちゃうんじゃないかと思って」
「なるほど。早く返す方を選んでくれたわけだ。助かる」
ありがとう。
本当にありがたかったので、素直に礼を言う。
実際、今日のオレはブレザーなしのワイシャツ姿で登校していた。新しく買わずに済んで助かった。
笑みを浮かべて、感謝を伝える。
顔の筋肉では笑顔を作ったつもりなんだけど、今のオレは牛頭のミノタウロス。笑顔になったかは分からない。そもそもミノタウロスに微笑まれても、怖さが増すだけなんじゃなかろうか。
なんてことを少し思ったけれど。彼女を見る限り、恐怖は与えていないようだ。無駄に怖がらせることがなくて何より。
それにしても。
「よくオレのクラスが分かったね。牛顔を見分けるなんて簡単じゃないだろうに」
少なくともオレには無理。どこの誰かなんて、顔だけで個人の特定なんてできる自信はない。
「あの、ブレザーに生徒手帳が入ってたので。それで、分かったんです」
「あ、そういうことか」
思ったより簡単なことだった。
というか生徒手帳なんてあったのか。
ブレザーの内ポケットをさぐると、なるほど、生徒手帳が入ってる。見てみれば、オレの名前とクラス、顔写真とか、個人情報が満載だ。
……ミノタウロスなのを自覚したばかりのオレとしては、自分でも知らない情報がいっぱいじゃないかなコレ。後でしっかり見てみよう。
キーンコーンカーンコーン
なんてことを考えていると、授業開始10分前のチャイムが鳴った。
とりあえず、礼は受け取ったし、ブレザーも返してもらった。このままサヨナラでも構わないんだけど。
「ちょっとお願いがあるんだけど。聞いてもらえないかな」
顔を近づけて、声のトーンを落として囁く。
もちろん、無理強いするつもりはないし。抵抗がなければでいいんだけど。
もうちょっと彼女に、いろいろと聞いてみたいことがある。
気のせいか、彼女が少し震えたような気がした。
「昼休みに、屋上に来れない? もう少し話がしたい」
聞くや否や、彼女は顔を引きつらせる。
あ、失敗したかな。
「わ、分かりましたっ。じゃあ、私は、これでっ」
勢いよく頭を下げて、彼女はまたも脱兎のごとく、この場から駆け出して行った。
あー、これ確実に変な勘違いさせた。
やっぱりモンスターなんだ、怖いんだ、とか思わせちゃったぞきっと。
そもそも、ミノタウロスに「後で屋上に来い」とか言われたらどう思うか。そりゃあ怖くなるに決まってる。オレだって怖いわ。
「やっちまったな」
彼女が逃げていった方の廊下を眺めながら、ガリガリと頭をかく。
ミノタウロスになってから初めて、人間とまともに話をした。そのせいか浮足立って、距離感を間違えたかもしれない。
自分も人間のつもりで近寄ったらダメだろ。ただでさえ口と鼻のが出っ張った牛顔なのに。
これからは気をつけよう。
自分を戒めつつ、教室の中に戻った。
昼休みになって。食事もそこそこにオレは屋上へ向かう。
オレが怖くなったんなら、屋上に来ないでこのまま無視するのもありだと思う。こっちが勝手に言ったことだしな。
屋上の柵にもたれ掛かりながら、モンスターたちのことを考える。
ゴブリンに対して、雑魚だとか、集団で女を襲うだとか、ものの考え方が快楽的で刹那的だとかいうイメージがある。そのベースになってるのは、人間だった頃にやっていたゲームだとか映画だとか、あとはエロゲーだとか、そういったもの。今のところ、そのイメージは間違っているようには思えない。中には、中身が真っ当なゴブリンがいるのかもしれないけど。
でだ。
オレは、初めて縁ができた人間にそのあたりの印象を聞いて、違いを確認してすり合わせをしたかったんだ。
でもオレがやろうとしてたことって、彼女に対するセカンドレイプなんじゃないかな。
ゴブリンの集団に襲われているのを見つけて、女の子を助けた。それはいい。
でも自分の知りたいことのために、恩につけ込んで、襲われた時のことを思い出させて喋ってもらおうとしていたわけだ。
これはデリカシーなんて欠片もない行動じゃないか?
それこそモンスターのような、欲望優先で自分本位な考え方じゃないかな。
彼女に怖がられたのも、牙を剥いてきた、と思われたからなのかもしれない。
「助けられたといっても、相手はミノタウロス。気まぐれか何かだと思われてそうだな」
あるいは、狙っていた獲物が横取りされそうだったからゴブリンを蹴散らした。それが結果的に彼女を助けたように見えただけ。そう思われているかもしれない。
……自分で思いついた例えに、ものすごくヘコみそうになる。
「まずは怖がらせたことを謝ろう」
というかそれ以前に、彼女が屋上へ来るのか、という話だ。
来ないなら来ないで、それでいいとも思う。怖がらせないためには、これ以上関わらないのが一番いいと思う。
どれだけ言葉を尽くして、丁寧な対応を心掛けたとしても、オレの姿はミノタウロス。人間から見ればモンスターで括られる生き物だ。ちょっとしたことで無駄に怯えさせてしまうのが予想できる。
それなら、オレの言ったことを無視して、屋上に来ないで縁が切れた方がいい。
「てことは、モンスターはモンスター同士でつき合うしかねぇのか」
マジかよ。
女の子と楽しいスクールライフとかしたかったな……。
こっちがミノタウロスじゃ、人間の女の子とお近づきになるのはほぼ絶望的。隣の席のクラスメイトにも怯えられるありさまだ。たぶんあれが、人間の女の子がミノタウロスに見せる普通の反応なんだろう。
とはいえ、ミノタウロスの女子を相手にその気になれるか。
いや無理だろ。
ミノタウロスをはじめ、モンスターな人たちの顔が見分けられないし、性別の違いすら判別できるか怪しい。恋人を作るどころか、人づきあいならぬモンスター同士のつき合いさえまともにできるかどうか。
「考えれば考えるほど憂鬱になっちまう」
つらつらと考えごとをしているうちに、いつの間にか昼休みは残り5分になっていた。
彼女は、まだ屋上に来ていない。
「すっぽかしだな」
無理もない。
ガタイの大きなミノタウロスに、小柄な人間の女の子が呼び出される。
怖いに決まってる。
逆の立場だったら、オレだって怖い。超怖い。
こちらに害するつもりはなくても、向こうからすれば外見からして恐怖の対象になりえるんだから。顔を合わせるだけでも恐ろしかろう。
でも。これがもし、オレ以外のミノタウロスや他のモンスターだったら。かえって面倒なことになるんじゃないか。呼び出したのに来なかった。そのことに逆上して、彼女のところに押しかけてくるかもしれない。
オレが持ってるモンスターの印象では、やりそう。
オレは相手を慮れる人間思考なミノタウロスだからいいけど。相手がごく一般的なモンスター生徒だったら、すっぽかしは事態を悪くするかも。
「いやまてよ。ということは、だ」
オレって、多数派のモンスターにも、少数派の人間にも混ざれないんじゃないか?
外見がミノタウロス、中身は一般的な人間のオレが立っている立ち位置。
心情的に、モンスターたちと同じような振る舞いはできない。というかしたくない。
でも実際には、ミノタウロスというモンスターの一種である自分は、人間から忌避される存在だ。
どう足掻いても、どちらにも寄ることが出来ない。そんな実情に今さら気づく。
「やっべぇ。気づきたくなかった」
うなだれて、気落ちした状態で屋上から校舎の中へと戻った。
教室へ戻るため、階段を降りる。
屋上は、校舎の高さで言うと4階部分。2年生のオレの教室は2階にある。
3階の踊り場で、ゴブリンの集団が歩いているのを見掛けた。
昨日のいざこざもあって、つい身構えてしまうオレ。
でも、あっちの方はこちらを一瞥することもなく。そのまま通り過ぎようとする。
考えてみれば、モンスターになった生徒の大多数を占めているのはゴブリンだ。その中で、昨日の連中にばったり出くわす、なんてことはそうそうないだろう。ないと思う。
向こうもこちらに気づかなかった。甲高い声で談笑しながら通り過ぎていく。
気にし過ぎだと一蹴して、2階へ降りようとした。
そこで。
「昨日の女、また捕まるなんて運がねぇな」
物騒な言葉が聞こえてきて、思わず足が止まる。
「昨日の今日で、良くひとりのところを見つけられたもんだ」
「昼休みになったら屋上に行くって話を聞いて、待ち伏せしてさらったらしいぜ」
「だから3階の教室なのか」
「3年なんてもうほとんど学校に来てないからよ。人目を避けるにゃ好都合ってわけだ」
「昨日の鬱憤を晴らすのに、他の奴らを集めるまで弄って遊んでるらしいぞ」
「まだ突っ込んでねぇの? ゴブリンのくせに、こらえ性があるな」
ヒャヒャヒャヒャヒャ!
下卑た笑い声と一緒に、ゴブリンたちの会話が遠ざかっていく。
踵を返して階段を駆け上がり、3階の廊下を見渡す。
ゴブリンの集団が、廊下の突き当たりにある教室へ入っていくのが見えた。
……女生徒をさらった?
同じ娘かは分からない。
でもいろいろ思い当たる節が多すぎる。
ひと気のない廊下を駆けて、ゴブリンたちの入っていった教室の前に立つ。
ミノタウロスの大きなガタイを縮めて、そっと中の様子を窺う。
「もういいだろ。これ以上増えたら楽しむ時間がなくなってちまうよ」
「痛めつけながら、次から次へとマワされるところが見たかったんだけどな」
「こんだけいりゃ十分出来るだろ」
「というか、おい、いい加減殴るのやめろ。反応がなくなったらつまんねぇだろ」
「うっせぇなぁ、オレは昨日からムラムラとムカムカが止まんねぇんだよ」
「おめぇ、あのミノ野郎に簡単にのされちまったもんな」
「てめぇだって似たようなもんだろうが」
「颯爽と現れた騎士様ってか」
「それがミノタウロスとか、超ウケる」
軽薄な声の会話。
一緒に聞こえた、バシッ、と何かを叩くような音。
なんの音か。
何をしているか見えてなくても、会話の前後から想像すれば簡単に分かる。
逆らえない状況で女性を痛めつける。そういうのを嫌悪するオレはブチ切れ寸前だ。
そんなところに。
「あ、てめぇはっ!」
教室前にゴブリンが2匹、近寄ってきた。おそらくまだ来ていなかったという仲間たち。こいつら、こっちを見るなりナイフを取り出してきた。
でもそれより速く。
「グヒャッ!」
「グボォ!」
オレのパンチがゴブリンたちの顔と腹をえぐる。
風を切るミノタウロスの剛腕。ゴブリン1匹の顔をひしゃげさせ、もう1匹の内臓をきしませた。たった2発で、2匹とも動けなくさせる。
うずくまるゴブリンの顔をわしづかみにして、持ち上げる。つかんだ顔、頭蓋がミリミリと軋む感触が伝わってきた。
つかまれたゴブリンも逃れようと暴れる。もちろんと言うべきか、ミノタウロスの握力には敵わない。暴れはしても逃げ出せずにいる。
片手でゴブリンの顔をつかんだまま、勢いよく教室の扉を開けて。
「そおれ!」
「フオッ!」
「フギャッ!」
のしたゴブリンを、相次いで教室の中へと投げ入れた。
教室の中にたむろするゴブリンたちが一斉に目を向ける。
何匹かは、ぶん投げた奴にぶつかって床に転がった。打ち所が悪かったのか動かなくなったけど、まぁどのみち全員ぶん殴るつもりだから手間が省けた。オッケーオッケー。
教室の中央に、机の上で縛りつけられて、制服を半脱ぎにされた女の子がいる。
昨日、オレが助けて、今朝は怯えられた、あの娘だった。
もうね。半ギレだったのが、完全にキレたよ?
「雑魚ども、全員潰してやるから覚悟しろよ?」
レイプ、輪姦、女をモノ扱い。
それ、気に入らないね。オレは大いに気に入らない。
慈しみの心のないモンスターどもは揃って再起不能にしてやるよ。
オレは拳を握って、ゴブリンどもが喚くより前に殴り掛かった。
-続く-
「ノクターンノベルズ」から移動した第4話。
第9話までは毎日投稿します。
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