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平成が終わって令和になります。平成を振り返ると……そんなことより、平成と言えばルーズソックスです!

作者: 黒長 二郎太

2019年4月で平成が終わって5月からは元号が令和になります。

今回は生前退位ということで、計画的にすすめられます。

計画的というのは大事で、元号替わった途端、大自粛祭りしないで済むので、とてもありがたいです。

※前回は自粛で震災後みたいな感じでした。経済的損失も凄かったと思います。

感想に書かれて思い出しましたが、あのときは、ビデオレンタルの棚が貸し出し中だらけになりました。


※平成元年頃は、コンビニの数よりビデオレンタル屋の方が多いくらいでした。

 当時はネットで動画配信とかありませんから、ビデオテープの現物をレンタル屋さんで

 借ります。現物の貸し借りですので、誰かが借りると貸し出し中になり、

 他の人は借りることができなくなります。

 図書館の本の貸し出しと一緒です。


”平成”、”令和”、元号と呼ばれる年号の一種です。

大きな出来事があったときに切り替えていくものです。

元号が変わると、元年から数え直します。

平成31年と令和元年は同じ年です。

被ってますし、通しで無いので元号で何年と言われても、

何年前なのかわかりにくいです。

実用面では、とっても不便を感じることが多いですよね。


免許が元号表記で、前の元号で何年まで有効とか書かれていて

トラップに嵌ったりします。


でも、案外良いところもありますね、みたいなお話です。


いえ、さっき思い付いて書いた程度の話です。軽く読んでください。


掴みに一発。絵を貼ります。

私は、平成と言うと、こんな恰好を思い浮かべます。


挿絵(By みてみん)


ずっと昔、97年か98年に描いたものです。

wikiを見るとルーズソックスは、93~98年頃流行っていたそうですから。

まさにリアルタイムの頃に描いたものです。


私にとっては、平成っぽいスタイルは、コレです。


最近は、制服のスカートの丈が長くなって、清楚な感じがしますが、実は、昭和末期、平成初期とかなり近いです。


こっちは今年描いたもの(を塗りなおしたもの)で、平成元年頃のイメージです。でも、今と変わらないですね。

挿絵(By みてみん)

平成の間に一周して、この長さに戻ってきました。


スカートは不景気になると短くなると言われています。

確かに、氷河期に一気に短くなって、だいぶ長くなってきたので、景気と関係あるのかもしれません。

長いスカートより安いからとか言われてますが、あまり短期間に好景気不景気が入れ替わっても、スカートの丈は、それに連動しないのではないか?と思うのです。


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氷河期と言うのは、就職氷河期のことで、就職難の時代のことです。

なんで、不景気と書かないかと言うと、好景気を体感したことが無いので、それが普通だからです。

就活で氷河期を体感したことはありますが、景気が良くなって給料上がったりと言う経験は無いので、まだ、好景気を体感したことが無いのです(;^ω^)

いえ、求人倍率見る限り、(2019年現在は)就職氷河期で無いことは確実だと思いますが、好景気かと言うと、あまりそう言う実感もないのです。

※コロナが流行る寸前には、新卒に年収一千万出すなんて話も出てましたね。

 ちょっと不足感が出ると1千万出してでも採りたがるのに、景気悪くなると

 内定取り消しとか、落差が激しすぎます。

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物事には周期性と言うのがあります。流行にも周期性があります。

”一周回って”なんて言いますが、アレのことです。

周期性が無ければ、”一周回って”なんて言いませんからね。


人間には寿命がありますから、誰かにとって、古くさいモノが、新しい世代にとっては新しいモノになります。

代表的なものに名前があります。


生まれた当時、そのとき流行の名前を付けられた子が居るとします。

その人が小学校に入るころ、今時の子供の名前です。

30歳くらいのときには、その時の子供に付ける名前とはかなり違ったものになっています。

つまり、自分の子供に付ける名前は、自分たちが子供のころ流行っていたようなものとは、別の名前を付けます。

そして、60歳の頃には、シワシワネームです。

ところが、さらに数十年もして、その人たちが寿命で居なくなるころ、再びその名前が新しい名前として、再利用されます。

その名前の、お爺さん、お婆さんが、死んでしまったような頃に、新しい名前として再登場します。

ひ孫世代くらいで、新しい名前になるのです。


物事の変化には周期があります。

とりあえず、この話を読む間だけでも、”社会には周期性があるよ”ということを覚えておいてください。



そして、制服のスカートに戻ります。

平成はおもしろいことに、平成元年と最後で、高校制服のスカートの丈が、ちょうど一周して戻ってきました。


昭和の時代は、スカートは長かったのです。膝下何センチです。

なので、80年頃に始まって長く続いたマンガ、特に中学高校を舞台とした日常を描いたマンガとか見ると面白いです。

はじめの頃は、やたらスカート長くて、途中から何事もなかったかのように短くなってたりします。


少年ジャンプに連載されてた”気まぐれオレンジロード”なんかも、凄く長い。

あれはヒロインが不良と言う設定なので、特に長いのですが、平成の高校生は不良だからってスカート長くしませんよね!


去年の秋あたりに実写でテレビで放送してた”今日から俺は”なんて、原作は、ほぼ平成に描かれたものなのに、スカート地面すれすれまであったりして、アレの時代設定はいったいいつなのでしょう?

いえ、真面目に読んだこと無いので知らないだけです。

まあ、あんな感じで、不良のスカートは長いのです。


立ち絵が無いので、とりあえず、コレ貼っときます。

挿絵(By みてみん)

長いけど、不良じゃ無いですよ!!



平成元年頃はひざ丈くらいです。その後急激に短くなります。

そして、エスカレーターとかで、尻を押さえるのです。

そんなの気にするくらいなら、気にならない長さまで伸ばせよ!!

……とか思いました。

そして、その長さとセットになってるのが、ソックスです。

尻隠すほど短いスカートとのバランスをとるために、ぶかぶかで、やたらでかく見えるルーズソックスで、見た目の重心を下げています。


そして、他の時代に無かった、独特のシルエットになります。



平成で意外だった出来事に、世間のオタク化があります。

昔はオタクというのはかなり忌み嫌われていたのですが、

何故かオタクが市民権を得て、世間の方がオタク化してしまいました。


そして、なぜか、秋葉が電気の街から、オタクの街になってしまいました。

(なんでだよ!!とツッコミを入れましたが、すっかりオタクの街になってしまいましたね。

 昔は電気の街で、オタク要素はほとんど無かったのです)


そして、マンガやアニメ風の絵を描く人が、猛烈に増えました。

今は誰でも絵を描けますね。

誰でもと言うのは、比較の話で、昔は1~2%とかそういうレベルで、そう滅多に居なかったのに、今は普通にそこらに居ますねという話です。

もはや、ネットで何か発信するのは、若者の通過儀礼とでも言えそうなほどに、経験者も多いことかと思います。



ゲーム機が無かった昭和の時代には、そういう絵を描ける人は滅多に居なかったです。

なにしろ、描いても配布が難しい。


情報も少なくて、参考になりそうなものも、少なかったです。

”マンガの書き方”みたいな本は、そこそこありましたが、内容は藤子不二雄先生あたりの時代のレベルで、とにかくコマ割りとキャラの描き分けが大事だ!とか書かれていました。

キャラを可愛くとか、カッコよくなんてのは二の次です。


実際のその後の流行は真逆です。

そういった教科書的な内容とは真逆で、”見分けやすさより見た目の良さ”が優先されました。

むしろ、会話しているキャラが全部同じ方向向いてて、誰と誰が話しているのかわからないのにヒット作みたいなやつまでありました。


需要が少ないので、ニーズが分からず、方向性からして間違ったようなものが売られてました。


浸透する前には、ニーズすらわかってないようなものが作られます。

一見正論なのに、それを信じて実行しても需要が無い。


今は、”かわいい女の子の描き方”とか、”下着の描き方”とか、そんな感じで、ちゃんとニーズに合ったものが売られています。

それもオタク文化浸透の証拠として扱っても良いと思います。



世界的に有名な日本のオタクの祭典に、”コミケ”、コミックマーケットと言うのがあります。

同人誌即売会です。

コミケの第一回が1975年だったそうですから、そんな時代から、オタクは居たわけですが、一般的では無かったです。

そもそもコピー機があんまり無いし、あっても高い。

文字も手書きで、読みやすくないです。


市販の本は1文字1文字、”写植”という、文字を写真で焼く方法で作られていました。

高価な設備を使って、職人さんが手作業でやります。

打ち間違えると、修正が大変です。


そんなの同人誌でできないので、当時は基本全部手書きだったはずです。


ワープロが普及してからは、文字だけ印字して原稿に張り付けてコピーといった方法が多かったのではないかと思います。



今となっては、外国にも、オタクイベントかあります。

日本発のオタクイベントが海外にまで飛び火してしまいました。


私はコミケも行ったことが無いので、当然外国のイベントなんか知りもしませんでしたが、たまたま日が重なったようで、ホテルのホールに長剣とか、武器が大量に置いてあってビックリしました。


”おお! 外国は長剣とか装備してないと危なくて、買い物にも行けないのか!”と思いました。

それ以前に、ホテルなのか武器屋なのか、ちょっと心配になってしまいました。


日本と違って、外国だとホテルから、コスプレしたまま会場直行直帰なのですね。

ロビーに普通にそんな恰好の人達が居るので、リアルで異世界来ちゃったかと思いました。


たぶん日本のアニメかゲームのコスプレなのでしょうが、ピンク髪の高校制服の女の子がたくさん居ました。

※”会場に行ったわけでも無いのに、何人も見かけた”くらいのレベルです。


ピンクやら、水色髪のコスプレは、色素薄い白人さんが圧倒的有利ですね。

日本人だと、かわいい子でも、薄めの水色や薄めのピンク髪には、かなり違和感ありますが、元々色素薄い人だと、色的なギャップが少ないのです。


ただし、制服類は日本人の方が平均的には有利な感じです。


なんか、ボリューム感が凄いのですね、あちこち。

体格が違うので、日本の制服だとコスプレ感が凄いのです。

いえ、コスプレなのですが。


たぶんスカウターで調べたら、ドンキの安いコスプレセット装備した日本人と同じくらいの戦闘力しか無いんじゃないかと思いました。

でも、ピンク髪は白人さんの方が1桁上の戦闘力を持ってそうでした!


気温40度近そうなのに、フルアーマー装備のお兄さんも居ました。

カッコ良かったです。

戦闘力も圧倒的に高そうでしたが、あのくらいになると、なんか、

”ネットで検索したら普通に本人の写真出てきそうだな”

と思うくらい戦闘力高かったです。

※下手な映画よりも、完成度高いくらいに見えました。


それはそうと、第一回コミックマーケットの頃の話に戻ります。

初代ガンダムが1979年ですから、1975年と言うと、まだアニメや漫画は子供のものという認識で、趣味はアニメですとか言うと、かなり視線が痛かったと思います。


ガンダムは凄いですね。今でも多くの人が知っています。

初代ガンダムは、流行りましたが、当時ガンダムブームは一過性のものだと思ってました。

実際に流行してたのは、初回放送当時では無くて、少し遅れた81年あたりです。

初回放送時は視聴率低くて、打ち切られそうとか、テコ入れでシャアが出なくなったり、再登場したりと、迷走しつつ(監督が思い通りに作れなかったので)名作になってしまいました。

※思い通りに作ったら、名作にはならなかったでしょう。


ガンダムの2作目はZガンダムというやつなのですが、85年とかで、あれが始まったときには、ガンダムブームは去った後だったので、”なんで今更ガンダムなんだ?”と思いました。


※その時差で、ザブングル、ダンバイン、エルガイムが生まれているので、

 結果的には良かったと思いますが。


これは昭和末期の話ですが、平成は、もっともっとガンダムです。

昭和のガンダムは79年のファーストと85、86年のZ、ZZの3作のみ。

なんか、Z、ZZと、2年間、ぽろぽろっとやって、ガンダムは終わった……と思ってました。


ところが平成になったら、うじゃうじゃ出てきます。


髭が生えたり、プラモ狂四郎みたいになったり!!

プラモ狂四郎は、ガンプラ作って戦わせるやつです

(ガンプラに限りませんが、ガンプラブームで書かれたやつなので、ガンプラが多い)。


※名前と時期は似てますが、プラレス三四郎は、ガンプラじゃ無いやつを戦わせるやつです

 プラレス三四郎は、原作がマンガで、アニメ版は原作からかなり改変

 されていますが、アニメ版の方が出来が良いように思います。


昭和時代が3作なのに対し、平成は20本くらいあります。

平成に入ってからの方が、大量に放送されています。

ファーストは昭和ですが、ガンダム全体で見ると、平成のものって気がします。


~~~~~~~~~


なんと、令和の時代に、まさかのガンプラブームが再来しましたね。びっくりです。


新型コロナによる外出自粛で、屋内でできるプラモデルが注目されたことに加え、80年代アニメ再現塗りが流行ったこともあって、急に需要が増えました。

アニメ塗りですが、凄いことに、塗り方を工夫すると、実物のプラモデルが2Dのセル画のように見えてしまうのです。


ガンプラブームから細々と、プラモデル作りを趣味として続けている人が存在して、少数ですが継続して生産されていました。

ことろが、一気に需要が増えた。


元々売れる数がわかっていれば、その数作れるわけですが、コロナ流行など計算に入っているわけもなく、少ない数で生産しているので、予想外に売れると店頭から消えてしまう。

なんと、二度と訪れることは無いだろうと思っていた、片っ端から売れるブーム状態が再来しました。

ただし、昭和のときと違い、転売目的が影響しているようです。

まあ、供給量が十分多くなれば、転売屋が利益を出せなくなるので、早く供給が追い付くと良いのですが、設備増やしても、ブームはすぐに終わってしまいますから、設備増やすのも難しい。

ついでに、業界に少し金が流れて、プラモデル文化が守られると良いと思います。

設備が動いている間は継続しているけれど、設備が古くなって使えなくなると、設備更新ではなく、廃業を選ぶなんてことはけっこうありますからね。


※自社の設備に限らず、細々と販売継続するつもりだったものが、 部品供給が

 止まって販売終了になる例もあります。

 なので、今なら簡単に手に入る価値の低いものが、将来とても貴重なものに

 なったりします。長く生きてる人なら、けっこう知ってると思いますが。


~~~~~~~~~


ガンダムの実物大モデルが、お台場に2017年まで展示されてましたね。

あんなの立てて人集められるくらい、一般に広く広まってるのです。


世間一般がオタク化して無ければ、あんなものは立ちません。

金の余っていたバブルの頃にも無かったのに、今更作られるのは、それだけ浸透したからというほかありません。


ガンプラ流行ってた頃の少年を連れてきて、アレ見せたら大騒ぎですよ、きっと。

でかいし、なんかデザイン的にも昔よりだいぶカッコよくなってますよね。


今、お台場には、ユニコーンガンダムが立ってるようです。

2019年は初代放送から40周年という節目でもあります。


ガンダムで追い風だったのは、ゲームとの相性というのもあります。

平成2年にスーパーファミコンが出ましたが、出た時期が遅すぎることに加え、出た当時、衝撃的な高性能ハードだった初代ファミコンと比べて、「え?この時代にこの程度?」というあまりぱっとしないモノでした。

それよりも1995年に出た、ソニーのプレイステーションと、セガのサターンという、新世代のゲーム機が目立ちます。

急激に3D時代になりました。


3D表示は、平成の時代に発達しました。

昭和の時代はワイヤーフレーム(枠線だけで、面塗りされていないもの)が多かったように思います。


ただし、初期の3Dゲーム機は性能が低く、人間を滑らかに表示するのは苦手でした。

やたらカクカクしてて美しくない。

人間と比べると、ロボットとかはカクカクしてても良いので、ゲームにしやすかった。

そして、ちょうど、ガンダム見てた人たちが就職して、ゲームくらい、楽々買える経済力を持っていました。

スーパーファミコンが14800円に対して、新世代機は3、4万と、子どもに買い与えるには、かなり高価なものでした。でも、大人の財力なら余裕で買えます。


まだ、ケータイが普及する前なので、趣味の金として、ゲーム機に使う比率が高かったのです。

2010年代には、スマホに数万出してますから、買うものが変わっただけです。

※2Dの頃には、ガンダムのゲームがたくさん作られたりはしなかったです。

 3D時代になってから増えました。



※↓ガンダムとは関係ありません。あまり3Dでも無かったと思いますが、ゲーム天国のジーニアス山田です。

挿絵(By みてみん)

私もプレイステーションと、サターン両方持ってました。



そして、さらに凄いのは、女の子がモビルスーツっぽくなったのです!

短いスカートと、ルーズソックスは、かなりモビルスーツっぽくてカッコイイのです!!!


わざわざ手で押さえて尻隠すほど短いスカートとのバランスをとるために、ぶかぶかで、やたらでかく見えるルーズソックスで、見た目の重心を下げました。

その結果、モビルスーツっぽいシルエットに進化したのです!!




3Dゲーム以外で、平成に入ってから発達したもの。何と言っても通信ですね。


ルーズソックスの頃の高校生は、ポケベルと言う、通話もできない暗号通信スパイセットみたいなやつや、PHSという、据え置き電話のコードレス子機を屋外でも使えるようにしたという無茶なものを使ったりしてました。

当時の携帯電話より安かったからです。


2000年くらいになると、固定のネットの通信速度も十分実用的なものになり、個人が世界に向けて、配信することが簡単にできるようになりました。


ネットが普及した今では、何か書いて気軽に公開できる環境があるので、描く方も増えます。

タダで簡単に配れますからね。

文字も手書きではなくきれいなフォントで表示されます。

同じ内容でも、手書き文字より、きれいなフォントの方が読みやすいことが多いです。



そうそう、元号の話でしたね。元号が変わります。


今年が、平成何年かなんて、すぐ忘れてしまいます。

もちろん、令和でも、2年くらいは、はっきり覚えてそうですが、5年くらいしたら、今年何年だっけ?とかなりそうです。

まあ、役所に行くと”今年は平成何年です”とか掲示してありましたが、そんな掲示が必要な年号使う意味あるか?なんて思いますよね。


過去の出来事でも、元号で、何年には何がありました……と書かれていても、結局、西暦に置き換えて、ああ、何年か!っとなるので、元号って、むしろ邪魔なことが多かったりします。


平成31年と令和元年は同じ年なのですね。とてもわかりにくい。

通し番号になってないと、過去の出来事並べて見るのに使いにくいです。


”日本には通し番号無いのかよ!”と思いますが、有ります。

有りましたと言った方が良いでしょうか。


今、自衛隊に配備されている10式戦車は2010年式戦車ですが、ゼロ戦は00年に制式採用された戦闘機です。

10式戦車は2010年式、ゼロ戦は、その110年前ではありません。


ゼロは日本語じゃないので、正しくは”零式”艦上戦闘機ですが、下二桁が00の年に制式採用された飛行機です。

下二桁が00なら、上の桁はと言うと、26です。

ゼロ戦、零式艦上戦闘機は、2600年式艦上戦闘機なのです。

ただ、同じ年式の飛行機で百式があります。

下2桁が00のとき、海軍は零式。陸軍は一〇〇式と名付けました。

ほんと、仲悪いですね!


ゼロ戦が正式採用された年に生まれた人は今年79歳の人ですから、たくさんいらっしゃいます。

ゼロ式と言うと、なんか、こんなイメージを思い浮かべます。

挿絵(By みてみん)



ゼロ戦とガンダムは、実はちょっとだけ繋がりがあります。

ガンダムの主人公たちの名前は、第二次大戦時の戦闘機から取って付けてあります。

一番わかりやすいのは”カイ・シデン”ですね。

ガンキャノン(赤くて両肩に大砲付いてるやつ)のパイロットです。

これは、海軍の紫電改ですね。



主人公のアムロは、アムロ・レイ。レイは零戦の零。

アムロはゼロ戦の記号のA6Mからと言う話があります。

(作中のザクがMS-06ですが、この6もゼロ戦から取ったものかもしれません。

 小国側の兵器で、開戦初期は圧倒的な戦闘力を持つものの、短期間で大国側の

 新兵器が投入され、後期には劣勢に追い込まれます)


ハヤト・コバヤシは、陸軍の疾風はやてでしょう。

リュウは、爆撃機からとったものだと思います。

双発戦闘機の屠龍かもしれませんが、アムロ、カイ、ハヤトが単発戦闘機に対してリュウのみ大型機から名前をとっていると思います。


~~~~~~~~~

■ゼロ戦という呼び方について。読み飛ばしても問題ありません

”ゼロ戦”の正式名称は零式艦上戦闘機で、”ゼロ戦”というのは愛称です。


私が若かった頃『ゼロ戦というのは戦後広まった名前で、戦時中はゼロ戦とは呼ばなかった』とする説を聞いたような気がするのですが、これを調べると、この説が広まったのが戦後、だいぶ経った後で、『戦時中からゼロ戦と呼ばれていた』という説の方が正しいようなのです。

少なくとも、パイロットや整備士は、ゼロ戦と呼ぶこともあった。

(当然、呼ばない人もいたでしょうが、ゼロ戦と呼ぶ人が存在することは認知していたはずです)


そして、戦中の新聞の記事で零にゼロとルビを振った記事があり

『一般公開初期から、ゼロ戦の名前が使われていた』可能性が高そうです。


多くの人がはじめてその戦闘機のことを知るきっかけとなった記事で既にゼロ戦と書かれていた可能性があるのです。


というのも、00年は、まさに世界大戦が起きようとしている時代ですから、この戦闘機は秘密兵器であり、国民に存在を知らせるようになったのは、制式採用になったよりけっこう後のことなのです。


さらに、実際に戦中、零式艦上戦闘機に乗っていたパイロットに聞いても、『(第二次世界大戦)当時からゼロ戦と呼んでいた』と言っていて、むしろ、ゼロ戦とは呼ばなかったと言ってる人が居ない。


だとしたら、戦中はゼロ戦とは呼ばなかったとする説の出どころのほうが怪しいという状況でもありますが、これにも証拠があって、設計者の堀越二郎は、ゼロ戦とは呼ばなかったと書いています。

つまり設計者や軍の兵器開発をしていた人たちはおそらくゼロ戦とは呼ばなかった。


新聞の記事も”パイロット達にゼロ戦と呼ばれている”と書いているようにも読めるので、実際に使っている人たちが勝手にそう呼んでいたのだと思います。


なぜ零戦をゼロ戦と呼ぶのかと疑問に思う人がいるようですが、零が年式、数字であることは、制式名称の命名規則を知っている人にとっては当たり前のことです。

数字なのです。0年式をゼロ年式と呼ぶ人が居ても不思議は無いように思います。


現場組は好きなように呼びますから、ゼロ戦と呼ぶ人がいても、個人的には特に疑問に感じません。


~~~~~~~~~

■紫電改の説明です。読み飛ばしても問題ありません

 紫電改という名前が有名ですが、紫電改という戦闘機があるのではなく、

 紫電二一型以降のことを紫電改と呼んでいました。


 紫電改は海軍の局地戦闘機(爆撃機迎撃用の陸上の滑走路から飛ぶ戦闘機)です。


 海軍はゼロ戦が有名ですが、ゼロ戦の正式名称は零式艦上戦闘機、空母に乗せる艦上戦闘機です。

 海軍は、それとは別に、陸上で使う戦闘機も開発しているのですが、なんと、

 重要な大戦後半に戦える戦闘機の開発で、艦上戦闘機でも陸上戦闘機でも両方失敗します。


 特に、陸上戦闘機は普通に開発すれば作れるはずのものなので、ここで失敗するのは

 大失態です。

 艦上戦闘機は、難易度が高いので仕方ない面もありますし、仮に開発に成功していても、

 その時期には、艦上では使われず、陸上で使われることになったでしょう。

 なので、重要なのは、敵の爆撃機を追い払うための陸上戦闘機です。

 港を守るためにも戦闘機は必要ですから。


 ところが見事に開発に失敗してしまいました。

 そのため、海軍は、大戦末期まで陸上で使うのには不向きな艦上戦闘機を使い続ける羽目に陥ります。

(零戦は低空での性能は高いのですが、高空性能が低い)


 そして、大戦末期にようやく登場して、油断している米軍に手痛い一撃を与えた戦闘機が

 紫電改です。


 海軍は戦闘機開発に失敗したのに、末期に紫電改が出てきます。

 なぜ開発失敗したのに出てきたのか?


 実は紫電は水上機の改造品なのです。

 

 飛行場の無い場所でも迎撃機を飛ばせるように、水上戦闘機が存在していました。

 水上機数機で敵とまともに戦うことはできませんが、敵の爆撃の邪魔をして命中率を

 下げさせるくらいの効果はあります。警戒して敵の気が散るくらいでも十分効果がある。

 存在しているだけで邪魔できるのです。

 特に大戦前半は、島の多い南方で広範囲で行動していましたから、水上機の活躍の

 場面は多かった。


 強風という水上機からフロートを外してタイヤを付けたのが紫電なのですが、

 元が水上機なので、陸上で使うことを想定していません。

 タイヤのことが考えられていません。

 無理やり付けた足は長くなって事故が多発します。


 そこで、主翼を下に移動して、まともな陸上機として使えるようになった機体が

 紫電二一型、通称紫電改です。

 紫電一一型と二一型では、全くの別の機体になってしまっていますので、

 明確に呼び分ける意味で、紫電改と呼ばれたのだと思います。


 末期に大活躍したので紫電改の名前が有名になっていますが、

 大量の敵を撃墜したりはしていません。

 400機くらいしか作られていないので、ほとんど出回っていないと言って良いレベルです。


 なので、アメリカから見ると、反撃受けて驚いた……くらいの感覚だと思います。

 ほとんど被害無しで潰せると思った相手から、予想外の反撃を食らって驚いた。


 ガンダムに例えたら、こんな感じです。

 日本がジオンでアメリカが連邦だとしたら、ジオン側は全部で100機、

 しかもほとんどがザクで、少数のドムが混ざっている程度。

 そんなの相手にほとんど被害は出ないだろう思って1000機のガンダムで攻撃

 仕掛けたら、ゲルググが何期か混ざっていて、ガンダムが10機以上撃墜された……

 くらいの衝撃だと思います。


 圧倒的な劣勢の中で、敵に被害を与えたのですから、相当強いです。

 でも僅かしか作られていない戦闘機がそんなに有名なのもどうかと思います。


 海軍と比べれば、随分まともに新型機配備できた陸軍の方は、

 ぜんぜん有名じゃ無いのですね。

 紫電と同じエンジンの陸軍機が疾風(はやて)です。


~~~~~~~~~


他にも、旧海軍、陸軍の戦闘機から名前を取った作品というのも、チラホラあります。

魁男塾なんかもそうで、主人公が”つるぎ”、末期、資材不足で作られた木製戦闘機(実際は爆撃機?)の名前そのままです。

月光や雷電、飛燕なんかも出ています。

皆スルーしてますが、おそらくJは紫電です。

男塾には、かなり早いタイミングで突如Jというキャラが出てきますが、紫電がJと呼ばれた

戦闘機で、10番目の意味です。紫電改はJ改とも呼ばれていたようです。

※日本での呼び名がJ、J改です。


年号の話に戻ると、ゼロ戦ができた時2600年だったという、その年号は”皇紀”と言います。

日本独自の年号が欲しいなら、皇紀使ってくれよ、とか思います。

平成31年、令和元年となる今年は皇紀だと2679年だそうです。


日本国内では忘れ去られ、さっぱり使われない皇紀ですが、インドネシアの独立記念日は2605年だったりします。


2600年とか言うと、2600年も歴史があるのか!と凄そうに思いますが、あるとき突然、千数百年から始まったようなもので、2600年使われたものでは無いようです。

でも、通し番号なら、西暦との換算は1つ覚えれば済むので楽ちんです。


でも、元号にも良い所があります。

元号は、簡単に言うと、天皇陛下の世代交代でリセットされる年号です。

多くの人は元号3つくらいを、またいで生きていきます。

昭和は長かったので、昭和初期に生まれた人は2つだった人が多いかもしれませんが。



元号は歴史を直線的に表現するには、凄く向きません。

でも、案外良い面もあります。


さっきの周期性の話です。元号は、一般人の世代交代にも近い周期で変わります。

人間の何かしらを基準にした単位と言うのは、人間の生活の上で使い勝手が良い面があるのです。


人間の何かしらの基準。

例えば、一分は60秒です。なんか半端な数字ですね。

成人の心拍数は安静時に1分間で60くらいです。なぜか一致しました!

いえ、なぜかじゃなくて、秒や分という時間が、心拍を基準に決められたからでしょう。


現在日本で使われているメートル、グラム、℃といった長さや重さ温度の単位は水が基準になっています。

これは、人間の体を基準にした単位ではありません。


ところが、今でも家は寸尺で作られています。

(1尺と1フィートは、ほぼ互換性ありです。ただし1寸は1/10で、インチは1/12なので、異なります)

人間が住むための家は、人間の体が基準になった長さの単位の方が使いやすいからです。

けっこう人間の体を基準にした尺度というのは、人間の生活で使うのに便利なのです。


何を言ってるかと言うと、世代交代で変わる元号は、世代の区切としては、けっこう便利だったりするのではないかと思うのです。

”平成生まれ”と言えば、だいたい、”そんな感じの世代”というイメージを、簡単に思い浮かべることができます。


※昭和は長すぎて2世代分ありますから、ちょっと例外ですが、戦前、戦後で分けたりします。でも、戦後も長すぎますね。


平成生まれが、会社に入ってくるようになってから、何年か経ちました。

今は、平成生まれは若い世代ですが、あと20年くらいすると、昭和生まれと言うと、けっこうな歳の人というように、だんだんとイメージもスライドしていきます。


名前と同じです。ある時代に新しかったものが、どんどん歳と共に古いものになっていきます。


世代ごとに変わっていく元号と言うのは、大雑把な世代分けには良い指標になりますね。


うまくまとめました。

でも、騙されちゃいけません!!


ルーズソックスの絵が有ったから、思い付きで書いたお話ですからね!!


気に入ったら評価入れてもらえると、ありがたいです。

上手く描けたら、モビルスーツっぽくてカッコイイ女子高生の絵を貼ります。



でも、平成の間、やけに短くなったスカートの丈が、平成の終わりで、またはじめの頃と同じくらいまで戻ってきたのは本当です。


不景気になるとスカートが短くなるなんて話がありますが、確かに、氷河期に短くなりました。

そして、また長くなってきたのです。

平成の初めはバブル期です。

その頃と同じくらいの長さに戻ったのですから、そろそろ、本当に景気が戻ってきているのかもしれません。


令和が良い時代であると良いですね。



追伸


平成元年は、俺たちひょうきん族が終わった年でもありました。

昭和はテレビが娯楽の王様という時代でした。そんな時代の終わりの象徴みたいに感じました。

平成は、はじめの10年はゲーム機の黄金期。真ん中10年はPCのインターネット、最後の10年はスマホの時代って感じでしたね。

挿絵(By みてみん)

※なお、懺悔の神様役は、”ブッチー武者さん”です。”グレート義太夫さん”ではありません

真面目に平成を振り返ると、消費税導入が元年、バブル崩壊は3年くらいですか。

不景気が来たのは確かだったのですが、数十年回復しないとは思いませんでした。


けっこう激動のときで、いきなりベルリンの壁崩壊で、え?と思ったら、続いてソ連崩壊します。

冷戦が終わりました。

しばらく前まで、ドイツは2つに分裂した国でした。それが1つに戻ります。


平成は、日本にとっては、不景気の時代ではありましたが、平和な時代でした。

この平和は、令和の時代も続くのでしょうか。


平成は不景気の時代でしたが、後から振り返ると、実は一番良い時代だったなんて思うことも有るかもしれません。


令和も良い時代でありますように。


それでは、みなさん、ごきげんよう!

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― 新着の感想 ―
[良い点] どれもこれも懐かしい。 所々に差し込まれる挿絵がまた良い雰囲気です。
[良い点] うーん、素晴らしい。。。 善哉善哉。
2019/05/01 14:36 退会済み
管理
[良い点] 相も変わらず……面白いエッセイ書かれますね。 飽きさせず、話題を少しずつスライドさせつつ語られて、これなら平成生まれの若い子にも読みやすいですね。 モロ、昭和人な意見(笑) [気になる点]…
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