過去にかかる電話ボックス【夏のホラー2018参加用】
ホラー風味のファンタジーみたいになりました。ホラー、と言い張れるかなあ…
「過去にかかる電話ボックスって知ってる?」
ひとりひとつずつ怖い話。
中学のとき、夏の林間学校ってものがあって、学年で山の中の林間学校へ行った。
夜、班で部屋にわかれて、グループの女子たちと布団敷いて、
でもまだまだ寝る気はなくて、手持ち無沙汰になったとき、
そういうことになった。
そう話した女子は、あまりしゃべるほうでもなく、真面目なタイプだったし、気がのらなそうな口調のままだったから、話しだしたのが意外だった。
---このあいだネットで同じ体験を書いてる人を見たの。
同じっていうのは、私のおばあちゃんがそういう経験したっていってたから。
その電話ボックスは必要な人には見つかって、見ればすぐそれだってわかるんだって。
いや、なんでかはわかんない。
そこから電話すると過去にかけられるんだって。
過去っていうか、もう死んだ人にかかるのね。
そういう願望、死んだ人にかけたいって願望を持ってる人が、見つけられる電話があるんだって。
おばあちゃんの旦那、つまり私のおじいちゃんなんだけど、
おじいちゃんは、娘、つまり私のお母さんが生まれてすぐ死んじゃったのね。
でさ、私が小3のときの冬なんだけど、
その日おばあちゃん、町内会の集まりに行って、
帰りに変な電話ボックスを見て。
それに呼ばれているように思ったって。
それで入って、受話器をとったら、
おじいちゃんが生きてるときにいた会社にかかったんだって。
もう、なくなってる会社。
で、おじいちゃんが出て、昔のまんまにしゃべって。
ああ生きてるときのじいじだなって思って、じいじに日にちを聞いたんだって。
そしたらやっぱり、過去にかけてたって。
じいじが亡くなる少し前くらいの時だったって。
それで、なんて話したのか聞いたんだけど、何も言えなかったって。
あなたはもうすぐ死んじゃうけど幸せだったとか、生きてるときの人に言えないよね。
それだけなんで、やっぱり嘘っていうか夢の話だったのかなとも思うけど、
このあいだ似たことネットで書いてる人見てさ、思い出して。
まあおばあちゃん、たんにボケたのかもしれないけど。
でもさ、おばあちゃん、電話のこと話したあとに、
これはもしかして向こうから呼ばれてるのかも、なんて笑って言ってて、
その一ヶ月後くらいに心臓麻痺で死んじゃったんだ。
それで、不思議なこと言ってたなーって、覚えてる。
彼女が話し終えたあと、
「だけど電話ボックスってもう見ないよね、ほとんど」
「公園にあるのは見たことある。災害用だってさ」
「だからホントかボケたのかわかんないけどさ」
「もしかしておばあちゃんとネットの人、同じ小説とか読んで、それが元ネタだったりね」
私たちはそんなふうに相槌を打ちながら、その怖い話としては微妙な話を流した。
不思議なことを言うものだな、くらいの感想しか、そのときは私も、なかった。
その電話ボックスのことを、なんの気なしにお母さんに話した。
高校生のときだ。
休日にお母さんと、キッチンでケーキを作っていた。
お互いが大好きな、苺ミルク味のシフォンケーキ。
リビングでつけっぱなしになっているテレビからはホラードラマ特集が流れていた。
そこに電話がネタに出てきたとき、思い出した。
「へえー」
と合いの手を入れたあと、母は卵白を泡立てている手をとめて、何か考えていた。
「どうしたの?」
と聞いたら、
「何か、ハルカに聞くことがあった気がしたけど、
忘れちゃったわ。まあいいや」と笑って、母は泡立てに戻った。
いま、私にはその電話ボックスがそれとはっきりわかる。
その電話ボックスは、夕日に赤く照らされて、宙に浮かんでいたからだ。
石畳の路地、突き当りには坂をあがる階段。
路地の空間の真ん中の、もうほとんど濃紺に暗くなった空の色の中、
それは浮いていた。
言葉をなくして、当たりに奇妙なほど人がいない状況も
異常だとそれほど思わなかった。
20半ばで企画部に入った私が、まだ夕焼けが見れる時間に帰宅できるのは最近では珍しい。
だから久しぶりにケーキでも焼こうと材料を買い揃えて、同棲中の彼にラインして、
帰路についていたときだった。
久しぶりに、懐かしいメーカーの苺パウダーを見つけることができた。
地元ではよく店頭にあって、母とよくそれでケーキを焼いた。
母との思い出がいろいろとよみがえって、それにふけりながらぼんやりと歩いていた。
母は私が高校生のとき、電話ボックスの話をしてから、2ヶ月ほど後に亡くなった。
一度は克服した持病が再発してのことだった。
電話ボックスの中からはまぶしい光がこぼれていた。
その光に反射して、電話ボックスの下、地面に接する面のこちら側が、そこにガラスの棚板のようなものがあるかのように少しだけ光っていた。
もしかして、見えないけど階段があってそこへ登れるの?
私は見えているものの異常さをすっとばして、そんなことを考え、
考える間もなく、一歩を踏み出していた。
なにもないはずの宙に靴の底があたり、そこに見えない階段があるように一段目を登れた。
ふらふらと誘われるように電話ボックスへの階段を登った。
ドアの取っ手を引っ張り、中に入る。なんということもない普通の電話ボックスだ。
もっとも、今は電話ボックスを使うという経験そのものがほとんどない。
私は四角い大きな電話の横の受話器を持ち上げてみた。
どこかに硬貨かカードを入れるのだったろうか、と電話機を見てみたが、
そんな間もなく、受話器の片方からは通話音が流れてきた。
もう、どこかにかかっている。
息をのんで思わず待ち構える。
どこにかかる、誰が出るというのだろう。
私は無意識に受話器を耳にあてた。
トゥルルル、トゥルルル、…音がぷつんと切れ、
「はい、稲葉です」
という中年の女性の声がした。
あたまが真っ白になる、ってこういうことだろう。
私はとっさに対応できず、黙って聞いてしまっていた。
「もしもし?」
「あっ…ええと…」
あわててそれだけ言うと、向こうは拍子抜けしたように言った。
「ああ、なに?ハルカ、どうしたの」
「…お母さん?」
「そうよ、なにやってんの、どうしたの」
食器のぶつかる音と水の流れる音がする。
「えっ…とね、今、うち?」
「うちに決まってんでしょ、あんた家の電話にかけてきてるんだから。
なあに、なんかあったの」
いぶかしむ調子になる。
ああ、確かに母だ。亡くなったはずの母の声だ。
電話のむこうは母が生きていたときの実家で、この向こうはまだ
母は生きているときの時間なのだ。
自分がどうしてそうすんなり思ったのか説明できない。
でも私はすぐさま、ただそう理解した。
それに、もしもこれがなにかのひっかけや仕掛けで、そういう企画でしたと
ばらされても今はかまわない。
これだけ確かに母と思える声を聞かせてくれるのなら。
「あのう、本当にハルカ?オレオレ詐欺とかじゃないでしょうね」
しばらく黙ってしまった私をあやしんで、母が言う。
私は苦笑した。
お母さん、いつも早合点や勘違いをしがちでみんなに注意されたから、
頑張って疑って、ちゃんと確認したりして、偉いじゃない。
そんなことを思い出して考えたりして、笑い泣きしそうになる。
「ハルカ?」
「お母さん、…今日って水曜日だよね」
「何いってんの、しっかりしてよ、今日は月曜日、時間表間違えた?
もうお昼なのに今頃気がついたの?うっそでしょ、
高校入って一ヶ月もたつのにあわてちゃってるの」
ああ、電話の向こうは私が高校に入ったばかりの時間なんだ。
そして時間はお昼時、平日で高校生の私は学校へ行っているときだ。
そんなことを思いながらも、私のこころは、
あっという間に母がいたころの高校生の自分のこころに戻っていた。
「違うよー、時間表は大丈夫、ちょっと聞いてみただけ。
え、あ、お弁当食べたよ、おいしかった」
母はいぶかしみながらも、お母さん今日これからおばあちゃんのとこ行かなきゃいけないから、明日のお弁当まで冷凍庫に入れとくからね、と言った。
そうだ、確か高一の一学期にそんなことがあった。
それで、おばあちゃんのところへ2日ほど手伝いで泊まることになった母は、このおかしな電話のこともあとで聞こうとして忘れてしまい、高校生の私には確認しないで終わったのだろう。
うん、うんと母が冷蔵庫の中味について指示するのを聞きながら、私、それをどうやって食べたっけ…と考えた。すぐには思い出せない。
思い出そうと記憶を探りながら涙がこぼれてきた。
あのときには、今の自分の時間にはすでに母がいないなんて考えもしなかった。
そのとき、ブーッと受話器から音がした。
受話器を見ると、電話機についている小さなモニターに
数字が点滅して表示されているのが目に入った。
10と表示されたそれは、次の瞬間09になり、08となってゆく。
「あれ?あんた公衆電話から電話してる?もう残りないね?切るよ?」
母が言う。
通話が、終わる…終わってしまう。
私の頭は再び一瞬とまった。
この通話が切れたら、もう二度と母と会話することはないかもしれない。
そんなことって…
でも、それならば…なにか、言っておくべきことがあるはずなのに、
何かもっと大切な、最後に言っておくべきこと…言いたいこと…
「お母さん、えっとね…」
「なに?」
「お母さん、あ…」
だけど、言うべき言葉はすらすらとは紡げなかった。
ただ、つまらないことでいい、永遠に話していたい。
永遠に母の声を聞いていたい。
でも、それがかなわないなら…
「えとね、お弁当おいしかった、ありがとう。昨日のも、ごはんおいしかった、あとね、あと…」
この人が作ってくれた、何百何十個のお弁当、何万何千回のごはん、それに言いたいありがとう、それは、言葉では言い切れない。
なにか、なにか言うこと…
「お母さん、あのね…」
それだけがのどからこぼれたが、
その「お」が言い終わる前に、通話は切れて、向こうからはツーツーという音がするだけになった。
私はかろうじて受話器をフックに戻してから、電話ボックスの床に子供のようにすわりこんだ。
「お母さん、お母さん…」
もう届かない呼びかけを繰り返して、少し、泣いた。
電話ボックスの扉を開くと、そこには登ってきたはずの透明な階段はなく、
すぐに石畳の地面だった。
驚きながら外の地面に降りる。
扉から手を離すと、それまであたりを照らしていた電話ボックス内の光はぱっと消えた。
振り向くと、そこには嘘のように何もなかった。
帰宅したアパートのキッチンで。
テーブルにボウルやハンドミキサー、卵やバターを出して並べる。
まず卵、黄身と白身に分けて、…と、久しぶりのケーキ作りの手順を思い描いていると、
携帯が鳴った。
表示は、非通知だ。
一瞬ためらったが、出てみると、
「…ハルカ?」
もうすぐ旦那になる予定の同棲中の彼からだった。
「はい、何?」
なぜ非通知?
携帯充電切れで他の電話からかな、と思いながら答える。
「…本当にハルカ?」
電話の向こうの声はなんだか、くぐもっている。
「そうですが、なにか」
どうしたんだろう。笑い含みできいてみた。
電話のむこうはなぜか黙っている。
切れたかと思ったが、通話中である表示はそのままだ。
「あのさ、ハルカ、今、アパート?日向町の」
「そうだよ、早く帰れたからケーキ作ってる。ラインしたじゃん」
「そうか、そうなんだ」
ふっと、電話の向こうの彼が涙ぐんでいるような気がした。なぜかははっきりわからないが。
いや、それだけではなくて…
なんというか、彼の声が、くぐもっているというのとは違う、違和感があった。
「ハルカのさ、ケーキうまかったよね、特に苺のと、オレンジのやつ、うまかった」
「オレンジ?」
苺のシフォンは、何度か作って一緒に食べたけど、オレンジのケーキは作ったことがない。
何かと勘違いしてるのかな。
「ハルカ、あとさ、あと…」
急いでいるようなのに、今から言うことを考えているような、変な調子だ。
「け、結婚式、よかった、じゃなくて、ハルカのいうとおり、あっちでやってよかった、じゃなくて、あっちでやろう」
「あっ?え、うん、それは、嬉しいけど、当分先だよ」
「ああ、そっか、そうなんだ、そうだよな、うん…」
なんだかおかしなテンションになってる。何かを噛み締めているような?
何か告白することでもあってテンパっているか、マリッジブルーとか?などど思った。
「ハルカ、あのさ…ほんとに、ありがとう、たくさん、ありがとう、それで…ありが」
そこまでで、通話は切れた。
「?」
よくわからないまま携帯を放り出し、手を洗ってケーキ作りに戻ると、
玄関が開いて「ただいま」と声がした。
「あれ?」
振り向くと、さきほどまで通話していた本人がいて、テーブルを見て破顔している。
「お。苺シフォンだ。やった」
甘いものも辛いものも好きな彼がいそいそとスーツを着替える。
「さっき電話してたのになんで今…なんだった?さっきの電話」
「え?俺?電話してないけど」
卵を割りながら聞くと、隣の部屋から衣擦れの音とともに答えが返ってきた。
「ん?」
私は手をとめ、さっき電話しながら感じた違和感を思い出していた。
確かに彼の声だったと思う。
しかし、なんというか彼の声が若干太いというか、老けていたような…。
次の瞬間、電撃のようにある理解が体に走った。
部屋着のジャージに着替えた彼がキッチンに戻ってきて、卵の殻を手に
ぼーっと突っ立っている私を見て、目を瞬かせた。
「どしたの」
「え…うん、なんでも…」
そう言いながら私はのろのろとケーキを焼く作業に戻った。
卵黄生地に苺パウダーを加え、白身を泡立て、メレンゲを作る。
メレンゲと生地をあわせ、型に流しこみ、予熱したオーブンへ。
その作業をしながら、ようやくほんの少し思考がまとまってきた。
私はぼんやりと、ケーキの匂いを嬉しそうにかぎながら夕食用の皿を並べている彼の背中を見た。
いつかはわからないけど、あなたはきっと、いつか未来に、奇妙な電話ボックスを見つける。
そしてそこから、この時間の私に、電話をかける。
多分、もうすぐ、今からそう遠くない未来、死ぬ私に。
そして何回もケーキおいしかった、ありがとうと言う。
「どうした?焦げた?」
オーブンを見つめながらしゃがみこんでいる私に、彼が声をかけた。
今回は失敗?
さっきから様子がちょっとおかしい私を見て、そんな心配をしている。
「なんでもないよ」
私は笑ってみせた。
私は、どうやって死ぬのだろう。
健康不安は思い当たらない。事故で?事件で?別のことで?
何から考えていいかわからない。
この予感が真実かどうかわからない。
けれど、体のどこかでわかっていた。なぜかは言葉に出来ないけど、この予感は本当だと。
冷ましたケーキを切り分け、断面を見せて
ほら、よくできてるじゃん、と彼が笑った。
とりあえず、オレンジケーキの作り方を調べよう。
そしてすぐに作ろう。できるかぎりおいしく、できるかぎりたくさん。その他にも、いろいろ、たくさん、
あと何回つくれるかわからないけど、できるかぎりたくさん、たくさん、おいしいケーキと、ごはんを。この人に。
私は思った。
過去にかかる電話ボックスが、もうすぐ死ぬ人の元へ現れるものなのだとしたら。
彼がわたしへかけたとき、彼はもう十分生きた年だったろうか。
そうだったらいい。
終わり