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9、空を飛んだ日

 ――あんまり、眠れなかったな。

 ソファの上でもう何度目になるかわからない寝返りを打って、こっそり溜息をついた。

 眠れていない気配で先生を起こしたくないと注意しているのだけれど、今のところ心配はないみたいだ。疲れているようで、寝息を立ててぐっすり眠っている。

 パブで食事をして、宿をとっていないことを楽しい雰囲気の中でマルク先生に告げると、寮の部屋への滞在を快く受け入れてくれた。

 というより、先生も町の宿に泊まるのはどうかと心配してくれていたらしい。私が泊めて欲しい旨を伝えると、ひどく安心した様子だった。

 地味な服装をしているし幻影マントを身に着けていることもあるから今のところ誰にも気づかれていないけれど、魔女っ子ルーラだということをもし周囲に気づかれたら危ないだろうということのようだ。

 確かに、マネージャーがいつも気をつけてくれていたけれど、遠征先のホテルが記者やファンの人たちに張られていたこともあった。記者は置いておくにしても、ファンの人は悪意よりも間違った熱意や好意でそういった行動をするから怖いのだ。

 落ち着いて滞在できなくなるのも嫌だし、怖い目に遭うのはもっと嫌だ。

 だから、私はマルク先生の寮の部屋に居続けることになった。

 ――死にたいと思ってここに来たくせに、怖い思いは嫌だとか、矛盾してる。

 先生のそばで安心しきっている自分に、そんなことを思ってしまう。

 何も知らない先生やリリベルと一緒にいると、死にたくて堪らないという気持ちは一時的に和らぐ。

 でも、ふと気を抜くと今度は“死ななくてはならない”という気持ちに襲われるのだ。

 今は何も知らないからマルク先生もリリベルも私に優しくしてくれるだけで、スキャンダルを耳にすれば必ず私のことを嫌いになる。軽蔑する。きっと、失望と嫌悪が入り混じった顔で私を見る。

 ここは田舎だから情報の伝達が遅いだけで、あと何日かすれば今回のスキャンダルが載った雑誌か何かでみんな知ることになるのだろう。

 それに、テレサ先生の言っていた“変なやつ”は、もしかしたら私のことを追いかけてきたどこかの記者かもしれない。

 そうだとしたら、そいつの口からスキャンダルが知られてしまうのも時間の問題だと思う。

 それなら、そんなことになる前に死にたい。死ぬべきだ。

 失望も嫌悪も、私が死んだあとからにして欲しい。生きているうちに大好きな人に軽蔑されるなんて、考えただけで死んでしまいたくなる。だから、死にたい。

 そんなことを考えていたら疲れているのに眠れなくて、もう何度も何度も少し寝ては覚醒するを繰り返している。

 もしかしたら、このままここにいたら叫びだしてしまうかもしれない。

 だから、まだ夜も明けきらないけれど少し外に出ることにした。

 朝起きたとき先生が心配して慌てたらいけないから、一応メモも残しておく。

 何時に気がつくかわからないけれど、「少し森を散策してきます」とメモに書いていれば、早朝の散歩だと思ってくれるかもしれない。

 落ちついたら、部屋に戻ればいいだけだ。歩いているうちに気持ちが落ち着いて、朝食までに戻れる可能性もある。

 手早く着替えて、杖も持って、こっそり部屋を出た。

 せっかくだから歩きながら、今後のことについて考えなくてはいけない。

 ……死に場所や、死ぬ方法について。

 衝動的に高いところから飛び降りたり川や池に沈んだりしてみたくなるけれど、遺体が損壊するのは避けたいところだ。

 遺体があまりにボロボロだと、私だとわかってもらえない可能性がある。あらゆる方法で身元を割り出してくれるだろうけれど、それでは事務所が“ルーラを死んだと扱わない”可能性が出てくる。

 結構稼いでいた私のことを、事務所はまだ手放したくないだろう。そのため、死んだ事を隠してもう少し儲けることを考えるかもしれないのだ。

 だから、死ぬなら発見時にすぐに私だとわかる方法にしなくてはならない。

 それなら毒を飲むか、手首を切って睡眠薬を飲んで時間をかけて失血死を狙うか……そのあたりが妥当な気がする。

 

「だったら、毒草を採取しなきゃ」


 そんなことを呟きながら、森の中の地図を頭に思い浮かべて、秘密の場所へ足を向けた。

 死ぬための手段を考えているはずなのに、不思議と私の心は明るく軽くなる。

 あらゆることが私の思い通りになんてならないけれど、自分がいつ、どうやって死ぬのかということは、こうして決めることができる。そのことが、何だか嬉しいのだ。

 

「……!?」


 突然歌が聞こえてきて、私の心臓が激しく不規則に鳴り始めた。

 調子外れのひどい歌。でも、私のよく知っている歌だ。

 ――これ、「魔法の箒で飛んでいくわ、ダーリン」だ。何で……? 誰が歌ってるの?

 毒草のことを考えてせっかく少し明るい気分になっていたのに、魔女っ子ルーラの曲を歌っている声が聞こえてきて怖くなった。

 動悸がひどい。息がうまくできない。

 近くに野太い声の男がいるのだと思うと、怖くてたまらない。

 裏声で苦しそうに歌っているのも気味が悪い。

 声がどんどん近づいてきているのはわかっているけれど、足がうまく動かなくて逃げられない。


「……ん? おい、あんた、大丈夫か?」


 そのうち相手の姿が見えた。向こうにも私の姿が見えたらしく、こちらに駆け寄ってくる。

 ――嫌だ! 魔女っ子ルーラを知ってる人が近づいてくるの怖い!

 呼吸がさらに荒く浅くなる。もはや、息は吐けていないし吸えてもいない。無意味に吸って吐いての動作を繰り返しているだけ。

 頭がクラクラする。手足に力が入らない。

 逃げなくちゃいけないのに、その場にしゃがみこんでしまう。


「過呼吸起こしてるんだな? ああ、だめだだめだ! 息止めて! いち、に、さん、吐いてー吸ってー。また止めて! いち、に、さん……」


 様子のおかしい私に気がつくと、歌っていた男はすぐに私の背をさすり、呼吸の指示を出してきた。

 すぐには理解できなかったけれど、言われたとおりにしていると、そのうちに息苦しいのが収まってくる。

 ちゃんと息をしなきゃとか落ち着かなくちゃとか、余計なことでいっぱいになっていたのが、指示のおかげでそのことだけに集中することができた。


「もう、大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます」


 背中をさする手を止め、男性は私の顔を覗き込んでくる。まずい、と思ったけれどもう手遅れで、彼の顔には驚きの表情がいっぱいに浮かぶ。


「って、あんた……ルーラか? 久しぶりだな? 俺だよ、俺!」

「……どなたですか?」

「俺だよ! 同級生の顔を忘れたのかよ」


 久しぶりだと言われたとき、つい「出た出た」と思ってしまったけれど、どうやら違ったらしい。

 イベントに何度か足を運んでくれたファンの中には、私に当然顔を覚えられていると信じ込んでいる人がいるのだ。だから、街中で突然知り合いのごとく馴れ馴れしく声をかけてくる。

 目の前の彼もそういう手合いなのかと思ったものの、どうやら違うらしい。


「ほら、一緒に光虫石を採りに行ったり、落とし穴掘ったりしたじゃん。あとさー、あんたとデリアが喧嘩したときはいつも仲裁に入ってたじゃん。そのあとなぜか二人から攻撃されるんだけど」

「あー……! チャールズ?」

「ジェームズだよ! あんた、いっつもだな!」

「思い出した! ジェームズだ! チャールズとややこしいやつ」

「ややこしくねえよ! あんたがポンコツで覚えてないだけだ!」


 必死の訴えによって、ようやく私は目の前の彼の名前を思い出した。私が名前を間違えてツッコむ、この定番の流れも。

 長いものには巻かれる腰巾着気質なため、最初は私をいじめるやつらの中にいたのだけれど、いつの間にか私のトラブルに巻き込まれるようになっていたジェームズ。

 そんな彼と、まさか早朝の魔法学院の森で再会するとは思っていなかった。 


「ジェームズは、こんなところで何してるの?」

「俺、教員補助だから、朝は採取とか兼ねて森の見回りだよ。たまに夜な夜な変な研究に勤しんで森で寝落ちしてるやついるからな」

「そっかー。先生になりたいって言ってたもんね」


 なるほどと納得したところで、ジェームズがじっと見つめてくる。いぶかしむという表現がしっくり来るその眼差しに、私は居心地が悪くなる。


「ルーラこそ、こんなとこで何やってんだ? あんた、相当忙しいはずだろ」

「ま、まあね。でも、休暇だよー。久々にこの町に帰ってきたいなと思って」

「本当か? ……顔色悪いしガリガリだし」

「このくらい痩せなきゃ、衣装映えしないんだよ」

「それはいいにしても……過呼吸起こして森の中にいるとか、普通じゃないだろ。何があった? もしかして休暇は嘘で、本当は逃げてきてるとかか?」

「……」


 ジェームズの目は真剣だ。適当にごまかすことも流すこともできそうにない。というより、あきらかにこれは深く追及してきて、納得いく答えが得られるまであきらめない目だ。

 親切心なのはわかる。でも、知られたくない。

 マルク先生にも誰にも知らせていないことを、ジェームズ程度の仲の人に知られるわけにはいかない。それに、知ったら最後、この善良な腰巾着は私を保護する名目で、知り得た事実をあちこちへ知らせて回るだろう。

 そんなこと、耐えられない。そんなことをされるくらいなら、死ぬ。


「そこにいるのはルーか? それと、ジェームズか! さてはジェームズ、またルーをいじめてたな!?」


 あと少し、ジェームズに何かを尋ねられて追いつめられていたらまた過呼吸を起こしそうだと思っていたそのとき――。

 箒に乗ったマルク先生が猛スピードで飛んできた。

 私たちの姿を見つけるや否や、先生は急降下してきて、私からジェームズを引き剥がす。


「い、いじめてないし! それに、学生時代もどちらかといえばいじめられてるの俺だし」

「ルー、大丈夫か? どっか痛いところはないか?」

「聞いてよ!」


 無実の証明をしようとジェームズが訴えるも、マルク先生はまるで聞いていない。心配そうに私のことを見つめるだけだ。 

 ちょっぴり怒っているように見えるのは、きっと本当に心配しているから。それがわかったから、すごく申し訳なくなる。

 まだ小さかったとき、私が他の子にいじめられていると先生は飛んできてくれて、こんなふうに心配してくれた。

 たぶん、先生の中ではあの頃から私は少しも成長していないのだ。きっと、まだまだ子供だと思われている。


「大丈夫だよ。散歩してたらちょっと気分が悪くなっちゃって、そこをジェームズに発見されて介抱してもらってたの」

「……本当か?」


 真正面から問いかけられて、私は迷いなく頷いた。嘘は言っていない。それが伝わったのか、少しほっとした顔になる。

 

「それならいいんだが……帰ろうか」

「うん」


 差し伸べられた先生の手に掴まると、力強く引き上げてくれた。でも、さっきまで呼吸がままならなかった私の身体にはろくに力が入らず、膝からまた崩れ落ちそうになってしまう。

 それを何とか支えてもらったから、マルク先生にしがみつく格好になる。


「ルー……全然大丈夫じゃないだろ」

「マルク先生! こいつ、さっき過呼吸になってたんですよ! 絶対、何かおかしい!」

「そうだったのか」


 私が「平気」と答えるより先に、ジェームズが口を挟んだ。そのせいでほっとしていたはずのマルク先生の表情が再び曇り、眉間に皺が刻まれる。


「書き置きを見て心配になって、箒で来てみてよかった。ルー、歩けないなら箒に腰かけなさい。掴まるくらいならできるだろ?」

「……うん」

「なら、よし」


 有無を言わさぬ先生の様子に、仕方なく私は浮いている箒の柄に腰を下ろした。そして、前にまたがった先生の腰に腕を回す。……本当はすごく恥ずかしいけれど、ひとりで歩けないから我慢するしかない。

 私がきちんとしがみついたのを確認すると、先生はゆっくりと箒を浮上させていった。

 少しずつ離れていくジェームズに、私は手を振る。

 ジェームズはちょっぴり呆れ顔で手を振り返してくれる。たぶん、私のことしか見ていない先生に呆れているのだろう。先生は、少し過保護なのだ。


「こうしてルーを後ろに乗せると、ルーが初めて空を飛んだ日のことを思い出すな」


 校舎へと戻る空の上、マルク先生は思い出し笑いを噛みしめながら言う。

 何のことを言われているのかわかるから、私は恥ずかしくなって拗ねるしかない。


「……あれはやっぱり、何度思い出しても酷いと思う」

「でもさ、ああでもしないとルーは飛ばなかっただろう?」


 およそ六年越しに文句を言ってみたけれど、先生はやっぱり、少しも悪いと思っていない。

 私はまだ魔術学校に入ったばかりの頃、ちっとも飛べる気配がなかった。その他のことは筋がいいと言われながら、飛ぶことに関してはセンスの欠片もないように思えていた。

 原因はひとえに怖がりだったということで、マルク先生は箒での飛行に関しては厳しかった。

 箒にまたがらせて下り坂を走らせたり、塀の上から飛ばせたり、二階の窓から箒と一緒に落っことそうとしたり。

 そして最終的には先生の操縦する箒で二人乗り中に、私は先生に置き去りにされた。そうするしかないようにと、先生は途中でムササビに変身してどこかへ行ってしまったのだ。

 箒に取り残された私は、泣きながら飛んだ。飛べなければ落下だ。落下したら痛いのは、それまでの練習で嫌というほど知っていた。

 だから、ほとんど生存本能みたいなもので飛んで校舎へと帰り着き、その恐怖から私は飛行魔術をまさに“体得”したというわけなのだ。

 先生は笑い話にするけれど、私の中では未だに消化できていない。もうあんなこと、きっとしないとは思うけれど、やっぱりかなりショックだった。


「あの頃はどうなるかと思ったけど、ちゃんと飛べるようになったな」

「そうだけど……」

「すっかり、大きくなったな。ルー」


 振り返らないけれど、先生が誇らしい顔をしているのがわかって、私の胸はギュッと苦しくなった。

 大きくなったのに、大きくしてもらったのに、私はこんな有り様だ。

 そのことが申し訳なくて、すごく悲しかった。

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