8、魔女姫を探して
しまった、と思ったときには遅かった。
嫌な予感はしていたのに。おそらく予兆はあったのに。
気がかりで仕方がなくて朝イチでルーラの暮らすアパートの部屋に行くと、もうそこにはいなかった。
荷物をまとめた形跡もなく、おそらく財布だけを持っていい加減な格好で出ていったのだろうということが推測できる。
もし荷物をまとめていたのだとしたら、クローゼットがわかりやすく荒れているはずだ。遠征の前後のルーラの部屋は、散らかりすぎて見られたものじゃないのだ。
でも、ふらりとそのへんを散歩という雰囲気ではないことも、何となくわかった。あの子は、そういうことをしない子だから。
思いつめて、きっとどこかへ行ってしまったのだろう。
ショックを受けていたのは知っていた。でも、その場で下手に慰めるのも、べったりと張りついて見守っているのも、負担になると思ってしなかったのだ。
一晩待って、どこかへ美味しいものでも食べに連れ出してあげようなんて考えていた。日頃禁止している甘いものをうんと食べさせてあげれば、少しは元気になるんじゃないかと考えていた。
いつものルーラならそうだから。
でも、それはあの子の明るさに甘えていただけだと思い知らされる。
あの子は間違いなく、ここ数日の出来事で追いつめられていた。
根も葉もないスキャンダル自体もそうだし、そのことによって昨日信頼している人にひどく罵られたことは、あの子の疲れ気味の心を折るのには十分だったに違いない。
たぶん、昨日のあれがとどめになったのだと思う。アパートの前まで送ったとき、ルーラの目は泣くのを堪えて真っ赤だった。
それなのに私は、立ち直るのも落ち着くのも傷ついたあの子自身に任せてしまった。
――こんなの、マネージャー失格だわ。
昨日も強く思ったし、これまでも何度も思ったことを、今改めて思う。
私がもっとちゃんと、マネージャーとしてあの子を守ってあげられていたら、こんなふうにいなくなることはなかっただろう。
ルーラを初めて見たときに、才能があるって見抜いてスカウトしたときに、絶対にこの子を守ってあげようって決めていたのに。
自分の夢を託すこの子をしっかり守って、絶対にスターダムを駆け上がらせてあげようって決めていたのに。
ルーラを初めて見たのは、三年前。
魔法学校のある田舎の町で行われる祭りにライバル会社の売り出し中のタレントが出るということで、敵情視察をかねて訪れたときのことだ。
ルーラは、祭りの始まりを盛り上げる係として、箒に乗って登場した。
箒に横乗りになり、手に持っていた花籠から花びらをまきながら。
登場した直後は、何の変哲もない余興なのだろうと思っていた。でも、会場の盛り上がりを見る限り、そうではないとすぐにわかる。
花籠が空になると、ルーラはそれをアピールするために逆さに振って、それからなんと、箒の上に立ったのだ。
杖をクルクル回しながら、箒の上に立ったルーラが悠然と空を飛ぶ。杖からは花や星や飴やお菓子が出るから、ルーラが通り過ぎたあとには降り注ぐそれらを求めて人々が押し寄せた。
それだけではなく、ルーラは箒の上から人々に手を振った。「ルーラ、こっち向いて」「ルーラ、今日も可愛いね」そんな声に答えるように、得意げに箒にまたがり直して宙返りしてみせたりもした。
会場は、あっという間に熱気に包まれる。
みんなルーラに、彼女のパフォーマンスに夢中だった。
このあとで出てくる真打のタレントが気の毒になるほど、会場の空気をモノにしていた。
そうなるだろうなと予想はできたけれど、その後のタレントのステージは白けたものになった。おそらく、そのタレントはこんな田舎の祭りのゲストなんてと甘く見ていたのだろう。
私だってそうだった。
こんな田舎に来て、面白いものなんて見られるわけがないと思っていた。
でも実際はそんなことはなくて、祭り自体も楽しくてにぎやかなものだったし、何より可愛いルーラのショーが見られた。
ルーラには、生まれながらのスター性があるとしか言いようがなかった。
人を楽しませること、そのために自分がまず楽しむこと――そんな、ステージに立つ人間が持ち合わせていなければならない精神を、魔法学校の生徒でありながら持っていたのだ。
――早く、あの子に唾をつけなくちゃ。
やる気のないタレントのステージを見ながら、私はそんなことを考えた。
あの子のスター性には、遅かれ早かれ周囲が気づくだろう。ライバル会社が目をつけないとも限らないし、この町ではすでに人々の心を摑んでいる。
それならば急がなければと、私はお目当てのタレントのステージが終わるのを待たずにルーラを探した。
祭りの人混みの中を闇雲に探すも見つからなくて、困り果てて祭りの事務局に駆け込んで相談しようとしたとき、あの子はそこでもりもりと屋台の食べ物を貢がれて食べていた。
「ねえあなた、アイドルにならない? あなたには、才能があると思うの!」
好きな男に告白するときだってこんなに緊張しやしないってくらい緊張して、私はルーラに言った。
だって、初めてだったのだ。
スカウトするのも、こんなに誰かに惚れ込むのも。
そのときまだ私はペーペーで、誰の担当マネージャーでもなかった。だから、どうせこれから誰かの担当になるのなら、心底惚れ込んだ子がいいと思っていたのだ。
だから、ルーラとの出会いは運命だったのだ。
「え、才能? 私に? 本当かなー? でも、嬉しいです」
ルーラはあわてて口の中のものを飲み込んで目を白黒させながら、それでも嬉しそうに言った。
そのときの笑顔がこれまた可愛くて、その場にいる大人たちの笑いも取っていて、さすがだなと思った。
「本当よ! あなたなら、ものすんごい魔女っ子アイドルになれるわ!」
名刺を握らせて硬く両手で握手して、私は力強く言った。
この子となら何だかすごいことができる気がして、他の誰にも取られたくなくて、必死だった。
そこからはトントン拍子とは言えないものの、口説いて口説いて周りも説得して、何とか魔法学校の卒業までには契約に漕ぎ着けることができた。
なかなか賛成してくれないという教師がいて、それがネックでルーラも渋っていたのだけれど、最後はルーラのやりたいという気持ちにその人も折れてくれた。
「私は自分が失敗してるから、どうやったら失敗しないで済むかはわかってるつもりよ。あなたをスターにする。売れっ子にする。だから、一緒に頑張りましょうね!」
ルーラが田舎の町を出て事務所のある都市部に出てきた日、私はそう言ったのだ。
私は、自分自身が売れなかった失敗アイドルだから、しかも魔法も使えないのに“魔法使いマリーン”なんていうヘンテコ設定で失敗しているから、ルーラの売り出しにはやる気があったし、自信もあった。
ようは、魔法使いマリーンが求められていたのにできなかったことを、ルーラには頑張ってもらうのだ。
呼ばれればどこへでも出向き、小さなことからコツコツと人々を喜ばせること――お茶を濁す程度の手品しかできない私には無理だったけれど、本物の魔女であるルーラにはわけないことだった。
それにあの子には天賦の才があった。人を楽しませることが楽しいという、なかなかない才能が。
こういう世界に飛び込む人間の何割かが、そういった精神ではなく“人気者になってチヤホヤされたい”と考えているからなかなかうまくいかないけれど、ルーラの場合はそうではなかったというのがかなり強みだったのだ。
どんな現場でも笑って、歌って踊って、コツコツとファンを増やしていって、あっという間にあの子は人気者になった。
そうすると事務所のちょっと偉い連中が変な仕事を取ってくることが増えたけれど、それも二人で乗り越えた。
人気が出てくると少しの見た目の変化でも雑誌なんかに悪し様に書かれるから、体型管理も徹底させた。
『人気急上昇中アイドル、まさかのストレス激太り!?』なんて見出しで面白おかしく書かれでもしたら、せっかくのルーラの頑張りに水を差される。だから、私のことを厳しくて怖いと思ってもいいから、食事制限はきっちりした。
たぶん、そういうこともあの子を追い詰めてしまってたんだ……。
「……やばい。どこにもいねえー……」
街中であの子が好きそうな場所を散々走り回ったのに、見つけることはできなかった。
人気のパティスリー、カラフルなドーナツ屋、生クリームたっぷりのパンが売りのおしゃれなベーカリーにも、ルーラの姿はなかった。
街中の人たちの会話にも耳を傾けたけれど、それっぽい話は聞こえてこない。ということはルーラがこのあたりに来てはいないか、来ていたとしてもパッと見てあの子だとわかる姿で出歩いていないということだ。
どこを歩くにしても私がついているからと、変装なんかさせたことはなかった。私服が変だなんて誰かに言わせてなるものかと、ステージ衣装以外の普段着にもいろいろ口出ししていたし。
――日頃の服装のまま歩いてるとしたら、可愛いから目立つだろうにな。でもあの子、私服のセンスが壊滅的だったよね。
ふと、まだ学校を卒業する前に休みの日にあの子を訪ねていったときに見たとんでもない姿を思い出した。
全体的に土色や草色の、クシャッとした質感の布地をまとっているのだ。くしゃくしゃのポンチョにダブッとしたショートパンツ、そしてへなへなのブーツという、どこで調達するのか皆目見当がつかない着こなしなのだ。
あの服装なら誰もルーラだと気づかないだろうし、私も見つけられる気がしない。
何より、あの子は魔女だ。姿を本気で隠そうとしたら、たぶんいかようにも方法を持っているはずだ。
「やばい……これは詰んだかも」
人混みから外れてとりあえず落ち着こうとしてみるけれど、呼吸は整っても気持ちも頭も全然すっきりしない。
追いつめられたあの子がどういう行動を取るのか、私は知らない。理解者で味方のつもりだったのに、私は何も知らないのだ。
――こういうとき、あの子の“先生”ならきっと、あの子がどういう行動を取るのかわかるんだろうな。
そんなことを考えると悲しくなった。
ルーラのアイドルデビューを最後まで案じていたという、ルーラの恩師。孤児だった彼女が魔法学校に引き取られてからの実質の保護者だったというけれど、おそらくそれだけではない。
ルーラにとってはたぶん、そんな言葉では片づけられないほど大切な人だ。
「あ……」
ふと考えたことだったけど、思わぬところで光明が見えた。
いないなら、見つからないなら、探してもらえばいい。
魔法使いなら、あの子の行方をパパッと占いか何かで見つけてくれるかもしれない。
たぶんこれ、藁にもすがるってやつなんだろうけれど、それ以外に思い浮かばないから仕方がない。
早くあの子を見つけなくちゃいけないから、私はひとまず魔法学校がある町へ向かうため、空飛ぶトラムの駅まで走り出した。




