7、魔法使いの集う夜
「テレサ先生、お久しぶりです」
私は目の前の大きな女の人――テレサ先生にペコッと頭を下げた。
それを見て、テレサ先生は満足したように笑う。
「はい合格〜。トレーズ先生なんて呼んだらマイナス五千点よ〜。留年させてやるんだから」
「……それ、まだ言ってるんですか。もう、すっかりテレサ先生で定着したでしょ」
「まぁねぇ。でも、やっぱり久々に会うんだからやっとかないといけないかと思って」
これはテレサ先生との定番のやりとりだ。
テレサ先生は、出会ったばかりの頃はトレーズ先生と名乗った男の人だったのだけれど、それから徐々に女性らしい見た目になっていき、ついには名前もテレサと女性名を名乗るようになったのだ。
その変化に生徒たちは大いに混乱し、悪意のある者はテレサ先生に失礼な言葉を浴びせ、悪意のない者も戸惑って名前を呼び間違った。
それで先生は挨拶するときに名前を間違えたりする生徒には「今の不合格よ〜。ちゃんとした名前で挨拶してくれないなら成績からマイナス五千点してやるわよ」などと言うようになったのだ。
これが冗談ではなく本気らしいという噂が広がると、生徒たちはテレサ先生への呼びかけに注意するようになった。それでも悪ふざけを続ける者がいて、そいつらが本当に留年してしまってからはますます生徒たちは気を引き締めてテレサ先生に向き合うようになった。
留年が怖かったわけではないけれど、私もそのうちテレサ先生の変化には慣れた。
それに、本人が女性だというのなら女性ということでいいと思う。やたら身体が大きいだけでテレサ先生は美人だし、地雷を踏まなければ面倒見がよくて優しいし。
「それで、あんたたちこれからどっか行くんでしょ? あたしもご一緒させて」
お決まりのやりとりをして、改めてテレサ先生は言った。許可を求める言い方だけれど、すでにリリベルと手をつないで、ついてくる気満々だ。
「マルク先生とパブで夕食を一緒にしようって約束してるんですけど、約束の夕方まで時間があるから、どこかでおやつでも食べようかなって。昼食らしい昼食も食べてませんし」
「アイス食べたの」
私が説明すると、得意げにリリベルがつけ足した。食事の時間にデザートだけを食べたのは初めてらしく、その甘美な背徳感に小さなリリベルはちょっと酔っているのだ。
「あらぁ、だめじゃない。ちゃんとご飯を食べなきゃ」
「でも、すっごい大きなアイスだったの。三段! ラズベリーとバニラとチョコ食べたの」
「よかったわねぇ」
リリベルはテレサ先生と話したかったらしく、ニコニコと報告している。それを聞いてテレサ先生も微笑んでいて、二人の関係が良好であることがわかる。
「じゃあ、今からパブに行きましょうよ。待ち合わせ場所でゆっくりしてたほうがいいじゃない。あんたたち、半日以上歩き回って疲れたでしょ? それなら、そろそろ腰を落ち着けなさい」
「そうですね。リリベル、よく頑張って歩いてくれたね」
テレサ先生に言われて、リリベルが大人の私に合わせて半日以上行動していたことに気づかされた。
だから、促されるままパブへと向かう。
ランチタイムとディナータイムのちょうど狭間の時間だったから、パブの中は空いていた。コーヒーや紅茶などの小洒落た飲み物は扱っていないから、この時間でも店内にいるのは昼間から酒を飲む静かな酔っぱらいだけだ。
「んじゃ、ルーラの帰郷を祝ってカンパーイ」
適当に見つくろって飲み物と食べ物を注文してきてくれたテレサ先生は、そう言ってさっさと飲み始めてしまった。
上機嫌というより、何だかヤケになっているようにも見える。それによく考えたら、この時間から先生が町中にいるというのも何だか変だ。
「そういえば先生、こんな時間から飲んでていいんですか? というより、こんな時間に学校から出てるのも、ちょっと疑問なんですけど」
私は、気になったことをそのまま尋ねてみた。
「やってらんないから飲んでんのよ。使い物にならなくなってやらぁってこと。星読み派のじいさんたちに追い回されたら逃げてきてんのよー。だから、酔っぱらいになってやろうと思って」
「先生の口から生徒に避難指示を出せってことで突かれてるの?」
「それだけじゃなくて、『占星術師ならお前も占えー。占えばわしらの言っとることの正しさがわかるじゃろ』とか言われてんの。耄碌じじいたちは、占いとか星読みが何なのかを履き違えてんのよ」
うんざりして言ってから、テレサ先生は二杯目のジョッキに手を伸ばした。その様子を見る限り、よほど鬱憤が溜まっているようだ。
「じいさまたちは不安を煽ることを言ってるだけで、実際に厄災は起きないってことですか?」
「んー、ちょっと違うわ。起きるかもしれないけど、起きないかもしれないって話よ」
はっきりしない言い回しに、私は首をかしげた。
「占いも星読みも先見の一種なんだけど、簡単に言うと見える未来って二種類あるのよ。確定した未来と、まだ確定してない未来ね。でも、実際にその瞬間が訪れるまではあらゆる未来は“確定してない”のよ。わかる?」
突然授業のようになった語りに、私はぴんと背筋を伸ばした。
「わかります。どんな占いや予言も“当った”というのは結果論にすぎないってことですよね?」
「そこまで言うと乱暴だけど、まあ、そういうことね。だからあたしは、先見の意義って見えたものをそのまま鵜呑みにして伝えることではなく、そのに至るまでの筋道を考えて、回避するなり到達するなりの方法も含めて伝えることだと思うのよ。だから占いって『水辺に気をつけよ』とか『北の方角に吉あり』くらいしか言えないのよ。あれ、別に術者がポンコツだからじゃないわよ。どこまで介入するか分を弁えてるってだけ」
「見えた結果だけ伝えるのは占いじゃないってことですね」
「そういうこと」
たぶん占星術の講義のときにすでに聞いているのだろうけれど、私は新鮮な気持ちで先生の話を聞いた。でも、こうして差し向かいで雑談のように聞くほうが頭に入る気がする。
「とはいえ、じいさまたちの言ってることも気になりますよね。テレサ先生は、何か大きなことを感じ取ったりはしてないんですか?」
「あるわよ。『大きな存在の訪いあり』って何日か前に出たのよ。これって、あんたの里帰りのことだったのかしらね? ほら、ルーラって文字通りスターじゃない。大きな存在といえばそうでしょ」
わりと真剣な質問だったのに、ウインクしつつ軽くあしらわれてしまった。
その占いの結果が本当だとしたら、絶対に私のことじゃない。私は確かに売れてはいたかもしれないけれどまだまだ上り途中だったし、何よりもう先がない。スキャンダルによって落ちるのみだ。そんなものをビッグな存在なんて言わない。
マルク先生もテレサ先生もまだ知らないものの、そう遠くないうちに知ることになるのだ。
「何しけた顔してんのー? ルーラ、あんた何かあったでしょ?」
「べ、別に……」
気持ちが沈んだのを察知されて、ぐっと身を寄せて顔を覗き込まれた。テレサ先生の紫水晶みたいな目で見つめられると、すべてを見透かされるようで怖い。
じっと見つめられているうちに知られたくないことすべてを暴かれてしまう気がして、目をそらした。
「ほほぉ〜、なるほどねぇ」
にらめっこに勝ったのが嬉しいのか、テレサ先生はにやりと笑った。
「マルクのことね。帰ってきたはいいけどマルクとの仲が進展しなくて、それでしょげてんでしょ?」
「ええ……!?」
「あんた、ずっとマルクが好きだもんね。そんなの、見てたらわかるわよ」
「えぇー……」
突然の指摘に、私はすぐに言葉を返せなかった。事実だけれど、それを認めてしまっていいものかと悩む。
恥ずかしくなってまた目をそらすと、これまでずっと私の隣で黙々と食事をしていたリリベルと目があった。
「好きなの?」
「えーっと……そうね。好きよ。だって、もう長いことお世話になってるんだもん」
「私のほうがルーラのこと好きだよ! マルク先生もルーラのファンかもしれないけど、私のほうがうんとうんと好きなんだから!」
恋バナに混じってきたのかと思ったら、まさかのヤキモチだった。しかも、マルク先生を巡って私に妬いているのではなく、私を巡ってマルク先生に妬いている。
こんなふうに子供にがっつり懐かれるのなんて初めての経験で、照れてしまうけれど胸が温かくなる。
「リリベル、ありがとう。私もリリベルが大好きよ」
「あ、うまいこと追及をかわしたわねー」
私がリリベルの頭を撫でると、テレサ先生が面白がるみたいに言った。でも、それ以上は聞かずにいてくれた。
「あ、テレサ先生がいると思ったら、ルーたちも一緒だったんな」
おつまみ系の食べ物中心だったけれどテレサ先生が注文したものを食べつつ待っていると、昨日より少し遅くなってからマルク先生がやってきた。
「何よ! あたしがデカイから目立つって言いたいの? 人を待ち合わせ場所みたいに扱わないでよ!」
「そんなこと言ってないじゃないですか。そんなことより、リリベルとルーと一緒にいてくれてありがとうございます」
「本当よー。あんた、遅かったじゃない」
「雑務追われてたのと、ちょっと星読み派の方々に遭遇してしまって」
「あんた本っ当だめねー。まあ、マルクが来るまで楽しくおしゃべりしてたからいいんだけどさあ」
テレサ先生は確かマルク先生の二学年上の先輩とかで、そのせいかこういった会話でも力関係がはっきり出ている。いつもいつも、マルク先生はテレサ先生にぐいぐい押されて困っているのだ。
そのせいか、いつもは通り一遍の受け答えしかしないのに、今日は違った。
「楽しくおしゃべりって、どんなことを話してたんだ?」
先生はテレサ先生ではなく、私のほうを見た。
マルク先生とのことを冷やかされていたのを思い出して、顔が熱くなってしまう。
「えっと、いろいろ。今日リリベルとどう過ごしたかとか」
「嘘よ。あんたに秘密にしてることを話してたのよ」
「ええー!? テ、テレサ先生……」
適当にごまかそうとしたのに、テレサ先生がとんでもないことを言い出した。バラさないでと目で訴えるも、テレサ先生はニヤッと笑い返すだけだ。
「実はルーラ、あんたと食事するとき量が多くて困ってて、こっそり箒で飛行するとか地味にカロリー使う魔法の練習をしまくってたのよ」
「どうしてそれを……!?」
危惧したこととは違ったけれど、誰にも話したことがない秘密をなぜか暴露されてしまった。
確かに、成長期を過ぎてからもマルク先生は私にせっせと大量にご飯を食べさせようとするから、学生時代は太らないようにと必死にカロリーを消費させようとしていた。
「そ、そうだったのか……ごめんな、ルー」
「いやいや! 食べたくて食べてたのは私だから……」
秘密をバラされて焦る私以上に、先生は焦り、しょんぼりしていた。
そんな姿を見たら可哀想になって、私はジトッとした目でテレサ先生を見た。でもテレサ先生に反省する様子はなく、ニヤニヤするだけだ。
「そういえばマルク、あたしの探知網が変なやつの接近をとらえたから、道に迷うよう目くらましの魔法を発動しといたわよー」
微妙になった空気を切り替えようとしたのか、テレサ先生はサラッと別の話題を口にした。
でもそれはマルク先生には重大なことだったらしく、しょぼくれていた眼鏡の奥の目が、くわっと見開かれる。
「変なやつ!? 探知網に引っかかるってことは、何らかの害意を検知したってことですか?」
「ううん。でも、何か勢いありすぎだからしばらく道に迷ってもらうことにしたわー」
「そうですか……この忙しいときに、これ以上のトラブルはごめんですからね」
「まったくよ」
マルク先生もテレサ先生も、うんざりした様子で溜息をついた。
その姿を見ると、生徒として触れ合うだけでは見えてこない、教師の大変さがわかる。
だから、二人の話を聞いていて怖いと感じたことを、何となく伝えられなかった。これ以上、わずらわしいことを増やしたくなくて。
――もしかして、誰か私のことを追いかけてきたのかな? 事務所の人? それとも記者? わからないけど、道に迷ってる間にあきらめて帰ってくれたらいいな。
祈るみたいに考えながら、私はいつの間にか眠ってしまったリリベルの頭を撫でた。




