6、見る見るリリベル
お風呂に入って新しい下着と服に着替えると、何だか生き返った気分になる。
やっぱり、お風呂に入らないと疲れが取れないんだなあと実感した。それに、やっぱり湯船に浸かるのは良い。
「お風呂、めちゃくちゃ楽しかったー」
一緒に入ったリリベルも、どうやらお風呂を気に入った見たいだ。あまり表情がないその顔に、わかりやすく笑みが浮かんでいる。
「だね。たくさん種類があるお風呂に入るのって、贅沢だね」
「ここのお風呂なら毎日入りたい!」
「そっか。そんなに楽しかったか」
脱衣所から出た休憩スペースの椅子に並んで座って、少しまったりとする。
リリベルの笑顔に、そういえば私も久々のゆっくりとした入浴が楽しかったなと改めて思う。
毎日身体は清めていたけれど、仕事が忙しくて、何より疲れていて、シャワーで済ませてばかりだった。広々とした湯船に浸かるのなんて本当に久しぶりだし、こんなにたくさんの種類のお風呂に入ったのなんて初めてだ。
「普通のお風呂にシュワシュワ風呂にカミナリ風呂に美肌効果のハーブ風呂、花びら風呂と蜂蜜レモン風呂もあったね。……うまい商売だわ」
この大型銭湯は、ドワーフたちが工房の熱を利用して経営しているものだ。温泉が涌き出ているわけではないから、薬草や魔法を利用して特殊なお風呂を作り出している。そのため、種類の多さがとにかく売りだ。
「うまい商売だね、本当。……アイス食べたあとじゃなかったら、チョコレート風呂に入りたかったなあ。あれはきっと、うまかった」
「そういううまいじゃないんだけど……でも確かに、チョコレート風呂は入ったらおいしくなっちゃうねえ」
リリベルは“うまい”の意味がわかっていないけれど、何だかご満悦だから突っ込まないでおく。
私の買い物におとなしくついてきてくれたし、アイスひとつで良い子にしてくれるし、本当に助かる子だ。お風呂も嫌がらず入るなんて、私が同い年の頃なら考えられなかった。
「リリベルはお利口さんだねえ。ご褒美に何か飲み物買ってあげようか? 湯上がりの冷たいものは格別だよ」
何か食べ物を与える以外にこの健気なリリベルをねぎらう方法がわからなくて、私はそう提案してみた。それを聞いてリリベルはパッと顔を輝かせたけれど、少し考えてから首を振った。
「だめ。ここの飲み物を口にすると、お腹が痛くなるみたい。ルーラと私、病院に運ばれるよ」
「……え?」
リリベルはそんな恐ろしいことを言う。その顔は冗談を言っている様子ではなくて、真剣そのものだ。
しかも、こういった発言はこれが初めてではない。
「う……は、腹が痛い……」
少し離れたところで何か飲んでいたおじさんが、この世の終わりのような顔をして駆け出していった。向かう先はお手洗いだ。間違いなく、お腹に危機が迫っているのだろう。どうやら、口にした飲み物が傷んでいたらしい。
それを見て、私はまたリリベルの言ったことが的中したのだと思った。
今日一緒にいた中で、リリベルは何度も私に些細な注意を促してくれた。
「ここで少し立ち止まって。すごい勢いで走ってくる人がもうすぐ来るからぶつかっちゃう」だとか、「そこの角の店ではお買い物しないで。あとちょっとしたらガラの悪い人が入ってきて店主と口喧嘩を始めるよ」とか。
聞いたときは意味がわからなかったけれど、リリベルが言ったことはそれから少し待つとどれも本当になった。
だから、私は理解した。
リリベルが先見の力がある子だということを。
これは、マルク先生とテレサ先生が気にして隠すのも当然だと思う。
「リリベルの言うとおりだったね。ありがとう。お腹壊すのは嫌だもんね」
私がしみじみと感心して言うと、リリベルは泣き笑いみたいな表情になる。何だかほっとしたのと悲しいのとが、混ざっているみたいな顔だ。
「……ルーラは、私のことを嘘つきとか気持ち悪いとか言わないんだね」
「誰にそんなこと言われたの?」
「前にいたところで。私は先のことが視えるけど、それを周りに話して外れたら嘘つき呼ばわりされて、当たったら気持ち悪いって言われたの。しかも、私に全然関係ない悪い出来事まで私のせいにされるようになって、責められて追い回されて……。助けてくれた人がこの町まで連れてきてくれたの」
「そうだったの。……怖くてつらかったね」
不意にリリベルが語った過去があまりにも過酷で、私は大した返事ができなかった。
保護されて魔法学校のあるこの町に匿われたということは、きっと命の危険すらあったということだろう。
私のように孤児で周りの人間たちからそんな目に遭わされたのか、それともそんな目に遭わせた人間の中に親も含まれるのか……怖くて私は聞けなかった。
とにかく、ここに至るまでにつらい思いも怖い思いもたくさんしたということは間違いない。それなら、せめてこれからの日々は平穏に幸せに過ごさせてあげたい。
「リリベル、お風呂屋さんの隣のドワーフの工房で、何か素敵なものを買ってあげようか? 今日いろいろつき合ってくれたお礼だよ」
私は努めて明るい声で言った。
経験上わかるけれど、すぐに忘れろとか気分を切り換えろと言っても無理だ。怖い思いやつらい思いを日常的に経験した人は、不意打ちで蘇るそれらの記憶と共に生きている。
だから、本人に気持ちを切り換えろと言っても意味がない。それよりも、楽しいことや嬉しいことを積み重ねていって嫌な記憶を上書きするしかない。
周りにできるのは、その手伝いだけだ。
「え……いいの? 実はね、このお風呂屋さんに入る前にちらっと隣のお店の商品が見えて、いいなって思ってたの」
「そうなの? それなら早く行こ行こ」
リリベルの表情が少し明るくなったのを見逃さず、私は手を引いて歩きだした。
お風呂もいいけれど、ドワーフの店と言えば細やかなアクセサリーや細工物だ。せっかくなら、彼らの職人技に触れさせてあげたい。
「あ、あれ! 見て! うさぎさんのブローチ」
「わあ、細かいね。お店に入って、近くで見せてもらおう?」
通りに面した店の小窓から見えた商品に、リリベルは夢中だ。お風呂屋に来るときにしっかりとチェックしていたなんて、何だか可愛い。
そうやって歩きながらいろんなお店の商品をチェックするというのは、私にも覚えがあることだ。マルク先生に連れられて歩くとき、目に入った素敵なものを忘れないようにじっと見つめていた。そうすれば、寝る前なんかに思い出して幸せな気持ちになれるから。
そんなふうに見つめていることを気づかれていたのだろう。誕生日にはマルク先生が、そうしてひそかに欲しいと思っていたものを必ず買ってくれた。
成長して遠慮する気持ちが生まれてからは商品チェックは気づかれないようにこっそりしていたつもりなのに、マルク先生は魔法のように私が欲しがっていたものを見抜いて用意してくれた。
「すごいね……きれいなものが、こんなにたくさん」
店内に入ると、リリベルは小さく感嘆の声をもらした。目はキラキラ輝いている。憂いが晴れたその顔を見て、ひとまず私はほっとした。
「ルーラ、見てもいいの?」
「どうぞ。ゆっくり、好きなものを選んでね」
私の許可を得ると、リリベルはこわごわと店内を歩き回り始めた。私は、彼女の視線を慎重に追う。
リリベルはきっと、本当に欲しいものではなく値段を気にして商品を選ぶだろう。だから、そこできちんと気づかってあげられるように、リリベルの目の動きを注視した。
「やっぱり、そのうさぎさんのブローチ可愛いね」
「うん、これがいいかなって」
しばらく悩んでから、リリベルは最初に惹かれていたうさぎのブローチの前で足を止めていた。
視線の先にあるブローチは、躍動感あふれるポーズのうさぎの鋳物に、目と首輪のラインに小さな宝石があしらわれている。シンプルで、リリベルくらいの歳の子でも持てそうなデザインだ。
でも、私はこれがリリベルの本当に欲しいものではないと知っている。
「でもね、リリベル。私はこっちのほうがリリベルに似合うんじゃないかと思ったんだけど」
私はそう言って、別の商品を指差した。
それは、長杖を模したブローチ。しかもただの長杖ではない。魔女っ子ルーラのトレードマークである星を冠したキラキラの長杖だ。
ちゃんと事務所に許可を得て監修を受けたのか心配ではあるけれど、出来栄えとしては申し分ない。私も欲しいくらいだ。
「これ、欲しいけど……高いよ、きっと。こんなにキラキラしてるんだもん」
「そんなこと気にしなくていいんだよ。――それに、リリベルがこのブローチつけてくれたら、私とおそろいみたいになるね」
パチッとウインクして囁やけば、たちまちリリベルの顔は笑顔になった。心配した通り、遠慮して商品を選ぼうとしていたけれど、うまく本当に欲しいものを手にできるよう誘導できたみたいだ。
「それ、今から服につける?」
「ううん。学校に帰ってから、ゆっくり見る」
会計をして店を出てから尋ねると、リリベルは包んでもらったブローチを大事そうに抱えて首を振った。
なくしたくなくて、でも早く見たいという気持ちみたいだ。幸せで胸がいっぱいになっているだろうリリベルを見て、私の心も温かくなった。
――マルク先生も私といるとき、少しでもそんな気持ちになってくれてたらいいな。
そんなふうなことを考えて、ふと大事なことを思い出した。
「マルク先生との待ち合わせのパブに行くより前に、宿を探してもいい? さすがに今夜も先生の部屋に泊まるわけにはいかないし」
「え? いつまでもいればいいのに。というより、出ていっちゃだめだよ!」
よほど聞き捨てならなかったことなのだろう。
さっきまでの幸せそうな雰囲気が一転、リリベルは真剣な表情になる。
「出てっちゃだめって、もしかして宿に泊まると私、大変な目に遭うの?」
「えっと、んーと……そう! そうだよ! だからだめ!」
妙に歯切れが悪いのが気になるけど、ギュッと握ってくる手の力と見つめてくる目からは必死な気持ちが伝わってくる。
理由がなんであれ、この子がこんなに必死に言うのなら聞き入れるべきなのだろう。
「リリベルがそう言うなら、とりあえず宿を借りるのはよしておくね。……先生に嫌がられなければいいけど」
「嫌がるわけないよ。だって先生、魔女っ子ルーラのファンなんだよ?」
「んー……まあ、どっか潜伏する場所くらいあるよね」
マルク先生が嫌がらないことは、長年の付き合いでわかっている。でも、その厚意に甘えっぱなしというのも何だか嫌なのだ。
「宿を探しに行かないとなると、夕方までまだ時間があるね。だったら、どこかで軽く何か食べる?」
通りをぶらつきながら、リリベルに尋ねた。
遠慮しているのかブローチで気持ちが満たされていて興味がないのか、リリベルは曖昧に首をかしげるだけだ。
そんな私たちの視界が、突如陰った。誰か背の高い人が目の前に立ったのだとわかってそちらに視線を向けて、ちょっとギョッとしてしまった。
「これからどこか行くの? だったら、あたしもぜひご一緒させてー」
目の前に立っていたのは、うんと背の高い、派手な女性だ。背だけではない。全体的に何だか大きい、めちゃくちゃ派手な女の人だ。




