5、マルク先生の憂鬱
森の中でルーを見つけたとき、俺はてっきり自作の面影鏡を落っことしたのかと思った。
だってそれは、公式に販売されているステージ衣装を着た魔女っ子ルーラではなく、私服姿だったから。
親のいないあの子のささやかな成長記録のつもりでこっそり動く姿を留めておいた面影鏡なら、地味な色のポンチョにショートパンツという姿でも何らおかしくない。
でも、しばらく呆然と見つめてから違和感を覚えた。
――俺の知ってるルーは、こんなに痩せてないだろ。
目の前にいたのは、ちょっと力を込めて触れれば折れそうなほど華奢で儚げな、きれいな女の子だった。
洗練されていると言えば聞こえがいいが、人間離れしているように俺には見えた。
「先生、眼鏡ずれてる」
そんな壊れそうな女の子が俺に近づいてきて、両手で顔を包み込むようにして眼鏡の位置を直してくれた。
そのへにゃっとした人懐っこい笑顔を見て、やっぱりこの子はルーなのだと理解する。
売れっ子のアイドルであるルーがここにいるわけがないと思っていたけれど、どうやら目の前にいるのは本物のルーであるらしい。
ここにいるなんて信じられなくて面影鏡かと思ったけれど、俺の知っているルーとは変わってしまっているけれど、どうやらあのルーが帰ってきたらしい。
――ああ。何か腹いっぱい食べさせてやらなきゃ。
出会ったときみたいに痩せっぽっちで疲れた顔をしているルーを見て、俺はそんなことを強く思った。
――何でちびのくせに、こんなにボロボロなんだ。
それが、俺が初めてルーを見たときに思ったことだった。
魔法の才能があるといって孤児院から連れてこられたルーは、何とも言えないほどボロボロだった。
栄養が行き届いてなくて痩せていて髪とか肌がパサついてるのはもちろんのこと、子供らしい笑みを一切浮かべることのない顔や光に乏しい目を見れば、身体だけでなく心もボロボロなのはすぐにわかった。
笑顔で出迎えてみたものの、正直言って内心ではかなり戸惑っていた。
魔法学校を卒業して二年、いろんな雑用とか手伝いとかをして待機して、何とか星読み研究会に入れてもらえないかとあがいて、どうやら無理そうだと思って勧められるまま空きが出た魔法薬学の教師に収まった途端のことだ。
魔法の才能がある子を引き取ってきたから、いろいろと世話を焼いてくれと命じられたのは。
――子供の世話なんて、俺にできるのかよ。
実際にルーを見るまでは、そんなことを思っていた。
――俺が何とかしなきゃ、この子はどうなるんだよ。
自分の目の前に立つ小さな女の子を見てからは、そんなふうに思うようになった。
それからは、なかなかに過酷な子育ての始まりだった。
ルーは笑わない。
食べたり寝たりという生命活動を維持することに熱心じゃない。
他者とのコミュニケーションをすぐに投げる。特に同年代の子たちに対しては、気に入らないと噛んだり叩いたりする。……といってもルーばかりが悪いわけではなく相手にも非があり、やられっぱなしではないというその姿勢を、俺は大いに評価してやりたかったけれど。
とにかく、こんな感じでルーの問題行動は愛情不足によるものなのは目に見えていたから、俺は必死になって足りないものを補ってやろうとした。
笑顔で接すること、面倒くさがらず丁寧に言葉で説明すること――これらを心がけるだけで、ルーの振る舞いはずいぶんよくなった。
ルーはたぶん、そうやって誰かに接してもらったことがなかったのだろう。
人は、他者に扱われたように振る舞うようになる。特に小さな子供は。だからルーが粗雑で自分を顧みないのは、周りが彼女を粗雑に扱い、顧みてやらなかったからに違いない。
親がいないだけではなく、ろくでもない孤児院にいたこともルーの不幸の原因だったと思う。
でも、そこから一歩抜け出すことができたのだ。それなら、幸せにしてやらなければと俺は決意した。
食べないのは、美味しいものを知らないから。眠らないのは、新しい環境になじめず神経過敏になっているから。
とりあえずそう考えて、俺は行きつけのパブの主人に相談してルーが食べられそうなものを作ってもらったり、精神を安定させて良い夢へ誘う特別なお香を調合したり、できる限りのことはやってみた。
そうやって手探りでやるうちにルーの肉つきはよくなり、髪にも肌にもつやが出てきて、子供らしい笑みが浮かぶようになった。
それを見て、俺は気がついたのだ。
ルーがものすごく可愛い子だってことに。
必死に世話をするうちに歳の離れた妹のように思うようになっていたから、もしかしたら兄の欲目もあったかもしれない。
でもやっぱり俺の目にはルーが特別可愛い子にしか見えなくて、笑顔でいれば天下を取れるのではないかとすら思えて、いつも笑っているよう教えてみた。
そしたら案の定、ルーの周りには少しずつ人が増え始めた。
友達ができ、手を差し伸べてくれる大人が増え、一緒に魔法を磨き合う仲間ができた。
ルーが元々素直で、気立ての良い子だったというのも大きいのだろう。
それに、才能もあった。人に好かれる才能も、魔法の才能も。
だから、町の祭りでのショーをきっかけにアイドルとしてスカウトされたのも当然だと思うし、声をかけてきた人物の見る目は確かだと思う。
そうはいっても、正直言って俺は、今でもルーのアイドル活動には賛成していない。
まだ手元においておきたかった。まだまだ教えてやらなければいけないことがあったはずだ。そのせいで、未熟だったり不安定だったりするところがある気がしてならない。
でも、リリベルに対する態度を見る限り、年長者としての振る舞いも優しさも身についているように思えたけれど。
「それにしてもリリベル、うっかりいろんなことを話してないといいけどな」
授業の合間に寮の自室に戻り、昨夜あわてて隠したものを確認した。
大丈夫だ。見られてまずいものは、とりあえず隠せている。
まさかルーが帰ってくるとは思わなかったし、そのルーが泊まるところがなくて俺の部屋に来るなんて思っていなかったから、あのときはかなり焦った。
いわゆる、一人暮らしの男として女の子に見られたくないものがあったわけではない。
そういうわけではなく、“魔女っ子ルーラ”グッズがあるのを見られたくなかったのだ。
最初は、可愛い教え子のアイドル活動を応援するためにグッズや情報を集めていただけだった。
あとで杞憂だとわかるけれど、最初のうちは「人気が出なかったらどうしよう」とか「グッズが大量に売れ残ったらどうしよう」とか、そんなことを考えて親心と老婆心で雑誌もグッズも買っていた。
田舎の店でそういったものを手に入れるには予約注文しておくしかなくて、そのうちに本屋でも雑貨屋でも「魔女っ子ルーラのファンの人」という認識で、入荷すれば自動的にルーラ関連の商品がとり置かれているようになってしまった。
だから、俺は魔女っ子ルーラのトレーディングカードを箱買いした者しか手にすることができない、記念品の面影鏡を持っているというわけだ。
そのせいで、同僚のテレサ先生には「やだぁ、ちょっとそこまで行くとキモくなーい? ルーラにバレたら絶対に嫌われるんだからぁ」とまで言われてしまった。
「そうだよなあ……こんなのバレたら嫌われる……嫌われる……」
俺は暫定的に隠していたものを改めて取り出し、再度念入りに隠し始めた。箱の中に整頓して入れて、それをそのほかの荷物と混ぜてベッドの下に隠せばよりわかりにくくなるはずだ。
ルーは勝手にそういったところを覗く子ではないし、これならリリベルが不用意に見つけて騒ぐこともないだろう。
……と、ここまで考えて、俺は自分がとんだ思い違いをしているのではないかと気づく。
「何でルーが今夜もここに泊まること前提で考えてんだよ……」
さすがに、町で用事を済ませるついでに宿も見つけてしまうだろう。ルーラの収入なら高くて安全な宿を取れるだろうし、むしろそのほうがいいはずだ。
完全に自分の願望に基づいて先走った行動をしてしまっていた。
いつまでも兄気取りでいる自分が、何だか嫌になる。
懐いてくれているのが嬉しくて、俺を頼ってくれることに期待してしまう。
――こういうの、きっと若い子には「キモい」って言われるんだろうな。
想像しただけでショックのあまり倒れそうになるけれど、何とか立ち上がって部屋を出た。
片づけの問題が終わったら、今度は通常業務に戻らなければならない。まだまだ下っ端の若手教師の俺は、何かと多忙なのだ。
小テストの採点もあるし、実験や演習の申請書も作成しておかなければならない。特殊薬品取り扱いの許可ももらいに行かなければ。
その他にも熱心な生徒が自主的に書いた論文のチェックもしてやらなければならないし、魔法生物学との合同フィールドワークの計画書にも目を通さなければならなかった。
そんなふうに歩きながら頭の中で仕事を確認していると、こんなときに会いたくなかった方々が前方から迫っているのが視界に入った。
捕まったらやばいということはわかったものの、こちらが視認した段階で向こうにも気づかれている。
集団は俺に気づくと、その中の筆頭がつかつかと近づいてきた。
「マルク先生、まだこんなところで油を売っとるのか! 早く生徒たちを逃がすための避難要綱でも何でも作れと言っとるだろう! 決まりがあるから逃がせんだとか、逃がすためのノウハウが確立されとらんとか、言い訳を作ってのらりくらりとかわしおってからに!」
近づいてきたのは、星読み研究会の長だ。
見るからに怒っている。機嫌の良いときなんてほとんど見たことがないけれど、今は禿頭を真っ赤にするほど激しく怒っている。
一応俺のことを“先生”をつけて呼びはするものの、あきらかに下に見ていると感じる物言いだ。
「私も学長や教育主任なんかに話してはいるのですが、なかなか聞き入れていただけず、下っ端の私の一存ではどうにも……」
事実だから、それを申し訳なさそうに伝えるしかない。
星読み研究会は魔法学校の中にその籍を置きつつも、独立の組織になりつつある。というより学長と考えが合わず、切り離しにかかられている。
というのも、多角的に物事を捉えて向き合っていこうとする学長に対して、星読み研究会は星読み至上主義が過ぎるのだ。
先を読むことも備えることも大切ではあるけれど、いざ困難に直面したときに立ち向かうことができるのも魔法の強みだと学長は考えている。
だから星読みに執心し、その結果に従い、縛られることのみに取り憑かれている研究会はもはや学問ではないと判断しているというわけだ。
星を愛する俺としては不本意だけれど、学長の考えに概ね賛成だ。
「まったく、若いやつはどうにもならんな」
俺が役に立たないと判断したのか、長はブツブツ言いながら歩きだした。全身から忙しいという雰囲気を醸し出している。
けれど、していることといえば廊下ですれ違った生徒たちに「もうすぐ厄災が来るぞ。今すぐ逃げろ」だから、生徒たちからは“終末思想じいさんズ”とか呼ばれて相手にされていない。
生徒たちの間で混乱が広がっていないことだけが救いだ。
「“光の子”出現の星の動きもある。“光の子”さえ、我らの手中に収めることができれば……」
遠ざかっていく“終末思想じいさんズ”たちから、そんな不吉な言葉が聞こえた。
それを聞いて、俺の頭にはすぐにひとりの人物が浮かぶ。
――リリベルのことだよな。あの子には、特別な力がある。
テレサ先生と協力して隠しているあの子のことを思い出して、ひやりとする。
絶対にじいさんたちに渡してはいけない。なりふり構っていられなくなったあの人たちが、何をしでかすかわからないから。
「……待ってろ。事務仕事が片づいたらルーとリリベルに腹いっぱい食事を食わせてやるからな!」
俺はこっそり呟いて、教員室までの廊下をひた走った。